魔法塔でのひと悶着
アウストラル王国には二つの勢力が存在する。政治を司る王を長とする王宮と魔を払う任を与えられた魔法の総本山たる魔法塔。そこに集まるのは国中から集められた魔力を持つ者達。建国当時はこの両者の距離間は近かったけれど、代を重ねるごとにそれぞれが国の主幹を主張するようになった。小さな小競り合いを繰り返しながら、現在は微妙なバランスで平穏が保たれている。その魔法塔はと言えば、王都のはずれの森の中に隠れるように建てられている。その城壁は霧に包まれ、さながらおとぎ話の魔の巣窟のようないでたちだ。
訪れた者に畏敬の念と恐怖を植え付けるのにちょうどいい。
「失礼いたします。訪問の旨を伝えた…」
門番と思われる魔法使いに声をかけた。応対した魔法使いは真っ黒なフードで覆われ、その表情は見えないが、ステラを招かれざる客とばかりに値踏みしているのは見て取れた。
それでも引き下がるわけにはいかない。何もなかったでは済まされないからだ。
用意していたフワイトタニアの家門であるピラカンサがあしらわれたメダルを見せれば、魔法使いは小さく一礼して、巨大かつ重たいその扉を開き、中へと招き入れた。
さすがに公爵の名は効くらしい。
通されたのは簡素な応接室。窓一つないそこは監獄のような雰囲気を醸し出していた。
「ここでお待ちください。魔法塔の主がお会いします」
淡々と答えた魔法使いはステラを一人残して、去っていった。
お茶一つ出さないとは貴族社会では即問題視される行動だが、客人はこちらなのだから、強くも出られない。何より、先ほどの魔法使いの態度を見るに魔法塔は貴族をあまりよろしく思っていない事がバレバレである。ある意味で手の内が見えてやりやすい。そう思う事にした。
しかし、不安要素がないわけではない。魔法塔の最上位たる魔導士の座が入れ替わったのはつい最近の話だ。先の魔導士は人望もあり、王宮とも上手く渡りあっていた英傑。しかし、今の魔導士がどのような人物なのか全く情報が出てこない。
どう、話を切り出したらいいものか。今、王宮にいるレオポルト王子はニセモノで、本物が魔法塔にいると言ったとしても分かっている情報は多くはない。
魔法塔へと来るきっかけになった事情に関しても、数年前、魔力の高い孤児を一人の魔法使いが連れ帰ったというだけだとお父様の手の者が調べた資料には書いてあった。
ステラは思わず息を大きくはいた。
どちらにしろ、本物はレオポルトとは異なり、この国の地盤を高める魔法の素を持っている事だけは確かだ。
残念ながら、私には本物の王子を見分けるだけの目はないのよね。
でも、魔法塔の主は違う。
魔力の色を見極める術も心得ているはず。だから、どうしても魔法塔の主の力を借りなくては…。
そう意気込んだのはいいのだけれど、肝心の魔法塔の主は現れない。
すでに何時間もこの空気の悪い部屋に閉じ込められている。
いくら、王の権力にもひけをとらないかもしれない魔導士とはいえ、これは失礼極まりない。
気は長い方なのだけれどね。さすがに許せないという思いもわいてくる。
意を決して、部屋の外に出れば、やはり薄暗い廊下が続いてゆく。
昔、お兄様から聞いた話では最上位の魔導士は塔の一番上に住んでいると言っていた。待っていろと告げられた以上、あの部屋で待つのがセオリーだけれど、すでに4時間は待たされている。会う気がないなら、こちらから出向いて文句の一つを叫ぶぐらい許されたっていいわよね。
螺旋階段を一歩一歩、登っていくと同じ格好の魔法使い達の一団とすれ違う。
やはり、彼らの表情は見えないが、ステラに奇異な視線を向けているのは伝わる。
「なぜ、このような場所に部外者がいる!」
突然、上部から怒鳴り声が駆け抜けていった。
天を見上げると、宙に浮く人影。ローブは他の魔法使いとは違う上等な物だ。しかし、魔導士ではない。その色は紺。魔法塔におけるランクは上に行けば行くほど、黒に近くなる。おそらく、中角の魔法使い。
若そうに見えるけれど、優秀なのね。
そうは言っても、魔法使いの外見は年齢に比例しないという話もあるけれど。
「私はステラ・フワイトタニアと申します。魔法塔の主への謁見は事前に伝えてあります」
「主は忙しい。お前のような者に会う暇などない!」
「何時間も待たせておいて、その物言いはあまりにではありませんか?」
「貴族風情が…。我々魔法使いがいなければ、その身一つ守れぬくせに…」
敵対心むき出しとは、これが今の魔法使いと貴族の距離なのね。
魔法塔はそもそも結界の隙間を入り込む魔の処理にあたるために初代アウストラル王と手を取った深淵の魔法使いが創設した由緒ある機関。本来は両者が手を取り合ってこそ力を発揮するというのに。どうして、こうもこじれてしまったのか?
「もちろん。わかっています。あなた方がいてこそ、国の治安は守られる。ですから、最大限の敬意をもってここに訪れているのです」
「どの口で…。魔法使いが置かれている状況すら知らぬ小娘が…」
「ジェマイアス!やめろ!」
敵意を持ってステラを見降ろすジェマイアスの魔力の向上に周りにいた魔法使い達はさすがに顔色を変えた。
「どけ!セベス!」
止める同僚と思われる魔法使いを払いのけたジェマイアスはステラに軽蔑のまなざしを向けた。
「ここは魔法使いの楽園。お前のような魔力なしがいる場所ではない!」
魔力なしね。この国…いえ、世界中探したって、魔力を持っている者の方が少ないでしょうに…。
何がそんなにジェマイアスと呼ばれる魔法使いの逆鱗に触れたのか分からない。
けれど、抵抗すらしていない相手に魔法陣を展開するはいかがなものかしら?
真っ赤に燃え上がる炎がステラに迫る。
この状況、普通の人間なら恐怖で動けないだろう。それどころか、火傷どころでは済まないはず。
魔法を扱う者は皆、こうも喧嘩っ早いの?
全く、王宮もしかり、魔法塔もこれでは国の行く先は真っ暗闇じゃない!
もう、何度目か分からないため息をステラはつき、炎に手を伸ばした。
その瞬間、魔法で生成された炎の渦は消え去った。
無傷のまま、そこに立つステラに困惑の瞳を向けるのは魔法使い達だ。
「申し訳ありませんが、私に魔法は不要な産物ですの」
フワイトタニア家が国の暗部で動く役目を担ったのはこの素質故でもある。
他の多くの者達と同様に魔法を扱う魔力はない。だが、最初のフワイトタニアの当主にはあらゆる魔法への抵抗力が高かった。
その力を我が家は何百年とかけて、進化させ、魔法の利かない体と魔法を消滅させる力を得たのだ。
だから、この能力の事を知る者達はフワイトタニアを無効者と呼ぶ。
目の前の魔法使い達はその呼び名を知らないようだけれど…。
「このっ!」
動揺を見せるジェマイアスは再び魔法陣を展開しようとする。
「やめろ!」
その場にさらに大きな怒号が響き渡り、ジェマイアスの手が止まった。
彼らよりもさらに上部の階段をゆったりと降りてくる仮面の男。そのローブは漆黒で塗り固められている。
「魔導士様…」
ジェマイアスをはじめ、魔導士たちが一斉に頭をたれる。
この方が魔法塔の主…。
フードの下から伸びた大きな手がステラの前へと差し出された。
「ステラ・フワイトタニア公爵令嬢でらっしゃいますね。ジェマイアス・ローズベルト他、魔法使い達の非礼をお詫びいたします」
銀色の仮面の下に隠された素顔も考えも分からない。
しかし、その声色は先ほど、一喝した人物とは思えないほど穏やかだった。