エピローグ
王宮の政務を司る高級貴族の密輸、それも幻魔草を国内に持ち込んだ事件は世間で大きな波紋を呼ぶ事になった。それでも、メイアー嬢が望んだように王家への批判は最小限に抑えられている。
それはつい先日、国中に…街へと侵入した幻魔の討伐を鮮やかに解決したアルベルト殿下の手腕と蔓延していた汚職を解決したという美談をフワイトタニアが広めたからだ。
その憎しみの対象は財務長官たるベイルーズ公爵がすべて被ることになった。
「ここにいたのか?」
未だ咲かぬ精霊花を眺めながら、ステラは寄り添うアルベルトに頷いた。
「少し、一人になりたかったので…」
「やはり、処刑は嫌なものだ」
「いいえ。そういう訳では…。ベイルーズ公爵は金に魅せられた哀れな道化でしかありません」
つい、先刻粛々と行われた元財務長官チャルストン・ベイルーズの処刑場面を想い越した。
もはや見世物とかし、民衆が色めき立つその光景が頭を離れない。
誰もが彼を極悪人と呼ぶ。しかし、あの男も過ぎた夢を見たメイアー嬢と変わらない。
奴が望んだのは…ただ欲しかったのは金だけだった。
『王家を騙し、金品を奪うのは快感だったよ。特に幻魔草は金になるからな。しかし、残念な事に国内に幻魔草はない。外から持ち込むしかないじゃないか!』
お父様の取り調べで語った公爵は悪びれもなく答えたらしい。
幻魔草は人を操る毒だ。ジェマイズに使用されたように…。
すでに持ち込まれた物を駆逐するのは難しい。
もしかしたら、これから先、さらなる被害者が増えるかもしれない。
起きてもいない事を考えても意味はなさないわね。
「だが、まさか魔法塔の目を掻い潜って、幻魔草を持ち込むとは…」
アルベルトは心底悔しそうに眉を潜ませた。
「いつの世もあらぬ知恵を使う者はいるものです」
「そうだな。まさか、先代の魔導士が張った幻魔草探知の魔法を掻い潜るため、親父の魔力を宿した
魔法具を製作したとは…。クソっ!」
「セバスと呼ばれる魔法使いからの情報ですか?」
「ああ。幻魔草に親父の魔力を纏わりつかせれば、探知を免れる事に気づいたらしい」
「幻魔草が放つ独特の香りを遮断させ、探知魔法をカモフラージュできるからですか?」
「全く、悪知恵の働く奴だ」
「ですが、悪事は露見しました。彼も早いうちに公爵の跡を追う事になる」
「分かっている。しかし、国中に幻魔が出現した事は奴らも想定外だったと漏らしている」
「ええ。それはもう一人のご子息のせいですもの。メイアー嬢の城に作られた隠し部屋に保管してあった幻魔草を遊び半分で持ち出し、使用してしまったんですから。そのせいで、国中に胞子がばらまく結果になってしまった。現に幻魔が出現した地域を調べてみれば、王都からベイルーズ公爵の領地までの道順に位置する街ばかりでした。幻魔草のばら撒きによって幻魔が強力化したというのは推測の域を出ませんが、彼はさらに恋焦がれるメイアー嬢におすそ分けするという暴挙にも出た。明るみに出るのは時間の問題だったという事でしょう」
「なんとお粗末な話だ。すぐに新しい幻魔草探知の魔法をかけ直す」
「よろしくお願いいしたします」
メイアー嬢もとんだバカを引き込んでしまったものね。
彼に望みをかけなければ、命は助かったかもしれないのに…。
「ですが、哀れなのはハーラン自身が幻魔草に取り込まれすぎて、もはや正気を失ってしまっている事です。屋敷で見つけた彼は夢の中に引きこもっていました。命だけは助かるでしょうが、一生、牢から出る事はできないでしょうね」
ベイルーズ公爵家は実質的に取り潰される。
財務長官まで上り詰めた男の一族の終わりだ。
「そう言えば、新しく侍女を引き入れたらしいな」
「エイダの事?ええ。彼女は有能ですから」
「ステラの尽力のおかげで、ガイドアーク子爵は命を長らえたのだろう?」
「あの方も被害者ですから。しばらく牢で罪を償う日を余儀なくされるでしょうが、エイダが当主となったあかつきには恩赦の可能性もあるでしょう」
それまではフワイトタニアがガイドアークの領地を管理する。あの土地は国境沿いにあるのだ。
重要拠点に変わりはない。変にガイドアーク子爵の跡目を争ってゴタゴタされても困る。
「ところで、そろそろ、俺達の今後についても話し合わないか?」
「婚約の件ですか?」
「ああ、先日の件で心は通い合ったと思ったんだがな?」
アルベルトは含みのある笑みを浮かべた。
「それとこれとは…」
言葉が続かなかった。
「私はアルベルト殿下に相応しいとは思えないのです」
心を通わしたとされるあの時は強力な幻魔の誕生の危機の余波が残っていた。
要は気が高ぶっていて正常な判断がつかなかったのよ。
そう自分自身に言い訳を繰り返す。
冷静になるととても恥ずかしくて顔を覆いたくなる。
「まだ、そのように言うのか?思っていた以上に強情なんだな。何度も伝えてきただろう?この命は君のおかげであると…」
「だからです。私がフワイトタニアとして生きる事になったのもあの日でした。私にとっても貴方は運命の人です」
「なら、何を迷う必要がある」
「私はアルベルトに自由でいてほしかった。でも、縛るのは嫌です」
口を開こうとするのにできなかった。アルベルトの温かく心地の良い唇と触れ合っていた。
過去の記憶を思い出した時とは違う。もっと熱を帯びた意思を持った感触だ。
その感覚に意識がもっていかれそうになる。
背筋が燃えるように熱くなってくる。
そして、少し離れたアルベルトと視線がただ合わさった。
「縛られてもいい。俺はステラが欲しい。あくまでフワイトタニアとして生きたいというならそれでもかまわない。もう、貴女しか愛せないんだ。あの日から…」
縋りつくようにアルベルトは膝をついた。
そうか。この人はすでに私に縛られている。自由でいて欲しいと願ったあの日からずっと…。
そして、私も…。
ずっと、昔。あの牢獄に放り込まれる前に感じていた喜び、感動が思い出されるようだった。
押し殺していた感情が湧き上がってくる。ならば、選ぶ答えは一つしかない。
今は冷静だ。不測の事態だったとは言い訳できない。
本当に覚悟を決める時がきたのだ。
そもそも、王太子として迎え入れると決めた日に彼を守ると決めていたのだ。
その関係が少し変わるだけだと思えばいい。
その瞬間、植えた精霊花が真っ赤に花開いたのが分かる。
けれど、赤い幻魔草のどす黒い物とは違う。鮮やかでみずみずしい。
「ほら、やっぱりステラのように美しい」
アルベルトのつぶやきに答えるようにステラは微笑み、同意の意味を込めて、その背中に手を回した。いつぶりかの安らぎをステラは感じ、そっと瞳を閉じる。
数奇な運命をたどり、王太子となったアルベルトとフワイトタニアの令嬢の婚約が正式に発表されるのは遠い未来ではない。
完結となります。
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