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痛みの過去

「フワイトタニアに生まれたと言うのになんとひ弱な…」


蔑み、人とも思わぬような鋭い視線を向けるのはおじい様。

なぜ、今頃になってあの人の顔が浮かぶのだろう。微睡みの中で痛みが全身を駆け巡る。


生まれた頃のステラは普通の女の子で天真爛漫な少女として数年の時を過ごしていた。

出会うものすべてに好奇心をくすぐられた。どこにでもいる公爵令嬢として生きる道が約束されていたのかもしれない。何不自由のしない暮らし。けれど、国の暗部で動くのを定めとされたフワイトタニアでは無理な話だ。かつてのステラにはそのいばらの道を歩むにはか弱すぎた。

魔法への耐性もない無垢な女の子だったからだ。


「お願いです。お義父様。この子にはまだ早すぎます。いえ、むしろこのまま…」

「バカを言うな。無効力の才で魔法への抑止力となる。それがフワイトタニアに与えられた使命だ。それを持たぬ者に生きる価値などない!」


当時のフワイトタニア当主に真っ向から反対するお母様の声などつゆのように消え去り、何も分からぬ5歳に満たないステラは奈落の底へと落とされる。

人として扱われず、ない者とされる。家族の誰もがおじい様には逆らえない。思い出したくもない無知と傷の記憶を植え付けられた。

それでも最も恐ろしかったのは屋敷にひっそりと作られた隠し部屋。無用の者を送り込む試練の扉の前に立たされた時だ。


閉じ込める前、泣き叫ぶお母様とただ真っすぐにこちらを見つめるお父様がいた。ただ冷たくこちらを見据える氷のように表情のない男。そして、鬼の形相で無力な少女に地獄を突き付けるおじい様。ステラに恐怖とトラウマを与えた老人はこの時でも冷たく人とは思えなかった。

そして、この瞬間すべてを諦めたのだ。何も感じない選択をした。


そうだと言うのに…当の昔に死んだというのに…。

なぜ、今になってあの男の事を思いださなければならないの?


そういえば、メイアー嬢はどうなったのだろう?


もしかして、私は死が近いのかもしれない。咄嗟だったとはいえ、この身に宿る無効の力を考え成しにぶっぱなしたのだ。自らの力以上の物を放ち、自滅してしまったのかもしれない。

参ったわね。まさか、メイアー嬢にとどめを刺されるなんて。お笑い種だわ。


でも、それがお似合いなのかもしれない。本来、持たない力だったのだから。

あの地獄の部屋で何もなく、ただ広がる暗闇に恐怖と孤独に苛まれ続けた。

死を待つばかりの日々。どれほどの時間がたったのか分からなかった。

小さな壁に無数の血の跡がこべりついていた。

それが、冷たい地面が続くあの場所に送り込まれ続けた一族の者達の最後を物語る。

幼いステラにも自分の行く末が見えた気がして、ただわけも分からず泣いた。

でも、誰も助けてはくれない。

絶望を知り、笑顔を忘れ、ただ、死を待った。

でも、一向に平穏は訪れない。空腹すら通り越して、ただ冷たい地面に頬をこすりつけ、安らぎを得る中、声が聞こえたのだ。


助けを求める叫び。自分と同じように寂しさと孤独を募らせる少年の嘆き。

それはもしかしたら、この部屋に閉じ込められた者達の断末魔だったのかもしれない。

あの時の私は今と同じように夢と現の狭間にいた。狭い部屋に閉じ込められているのに、その視界に映るのはどこまでも続く生い茂る森。

命の宿る土の上を歩いていた。まるで、天の地へと歩むように…。

それでも目の前に現れたのは苦しむ少年が横たわる姿。


背丈はステラよりも幾分か小さく、ボロボロの服を身にまとう彼を思わず駆け寄った。

だけど、なんと声をかけたらいいのだろう。

その体の周りにまとわりつく魔力の塊に火傷しそうになる。

なんとか助けてあげたかった。

身動きの取れない私とは違う。ステラは直感的に自分の体は今もあの窓もなく、閉ざされた部屋の中にいると分かっていた。けれど、少年は違う。少なくとも美しい星空の下で自由に動き回れる。

少年を苦しめる魔力の塊さえ、何とかすれば…。


助けたい…。助けたいの!


ステラの中に誰に向けるでもない想いが溢れてきた。まるで、少年を自分の事のように感じた。


「誰でもいい。私に魔法を鎮める力を…」


おじい様が切望したフワイトタニアの証たる力を切に願った。

その力が魔法を無力化するとステラも分かっていたから。

痛むのを覚悟で少年の体を抱きしめた。

全身にその痛みが移る。それでも辞めなかった。


「無効力の才を…。なんでもするから」


静かにそうつぶやいた時、奇跡が起きたのだ。

自身の中に何かが流れ込むのが分かった。

どこからくるのか、誰の仕業なのか分からない。

それでも、力が湧き上がってくる。

そう認識した瞬間、少年にまとわりついた魔力が静まるのに気づく。


「よかった」


思わず、少年に笑いかければ、真っすぐにこちらを見据える瞳とぶつかった。

その色は黄金を放っていた。

そう。黄金だ。

なぜ、忘れていたのかしら。

彼の容姿は特徴的だったのに。その姿は今のアルベルトを幼くしたような…。


そうなのね。あの子は…。


あの無垢な少女の頃のステラなのか、今のステラの心なのか分からぬままに笑みが自然と漏れた。


記憶力はいい方だと思っていたのに…。

案外、忘れっぽかったのかもしれない。


でも、もうどうでもいい。

少年は自由になったのだ。でも、その彼を再び鎖に縛り付けてしまうなんて…。

王太子という鎖に…。


これは罰なのかもしれない。

私がいなくなれば、彼は再び自由になれるかもしれない。

脈略もない言葉が頭をかすめていく。

あの運命の日と同じように。


ただ、こちらを凝視する澄んだ瞳を捉えた瞬間、ステラの視界はあの地獄の部屋に舞い戻ったのだ。夢でも見ていたんだろうと思い込んだ。

でも、足取りは軽かった。しかし、もう、無垢な少女ではなかった。

生まれ変わったのだ。孤独を知り、フワイトタニアの力を手に入れたのだと理解した。

ある意味、あの少年が引き金だ。そして、この力を授けたのはこの部屋で死を受け入れた者達の怨念によるものなのかもしれない。どちらでもいい。

ずっと閉め切られていた扉が開け放たれたのだ。

フワイトタニアとして生きる事を義務付けられるかのように…。

同時に一族で最も強い無効力を手にしていた。


だから、決めたのだ。なんでもすると言って、得た力なのだから。

フワイトタニアとして生きると…。


こうして、ステラ・フワイトタニアは生まれた。

そして、その日が終わろうとしている。

もう、休めると思った。


『戻ってきてくれ!』


どこからかステラを呼び寄せる声が背中を押し寄せる。


誰?

眠たいのよ。


あんなに全身を駆け巡っていた痛みが引いていく。どうして?

意識が浮上するのと同様に温かい感触が伝わってくる。


おぼろげな視界の先、人影がはっきりしていく。黒い髪と黄金の瞳。


アルベルト!


整ったその顔が間近に迫っているのを確認して、ステラは息を詰まらせそうになった。

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