メイアーの野心
「さあ、よくお聞きくださいな。王都…いえ、国中に突如として現れた幻魔の大群。それらはすべて、偽の王子、アルベルトのせいよ。そして、奴を連れてきた張本人、ステラ・フワイトタニアこそこの事態の黒幕!さあ、今こそ、立ち上がらなければ…。あの女に国はめちゃくちゃにされるわ!」
ネフェルトリアの街から少し外れた村でメイアーは叫んでいた。まだ、少ないけれど始めたころに比べれば、確実に耳を傾ける者が増えてきてきる。ハーバンが金をつかまして書かせた記者崩れの記事では注目を集められなかった。
でも、まだ運には見放されてはいない。
幻魔襲来事件は格好のネタだ。王子取り換え事件が公になってから日は浅い。
民のなかで、王家への信頼が揺らぎ始めている。そこをつけば、あの女に一泡吹かせられる。
私の幸せを奪ったステラ・フワイトタニア。彼女が見つけてきた男もレオポルトと変わらぬバカだと知らしめてやる。傲慢ですべてが鼻につく女。その姿を見るだけでヘドが出る。
今頃、王太子妃として、未来の王妃として何不自由なく暮らしていたはずなのに…。
私が今までどんな思いで生きてきたか。生まれた時からすべてを持っているステラ・フワイトタニアには絶対に分からない。
ニルフィーユ家の貴族としての歴史はせいぜい100年と数年しかない。それでも、先祖は商売がうまかった。建国前から商人として国中、いえ、大陸中を駆け巡っていた。その功績により、曽祖父の代になると豪商と呼ばれるほどの一族になっていた。それでも平民のままだ。地位はなくただの成金だと呼ばれるだけ。だから、金で爵位を買ったのだ。男爵の称号を…。
だから、メイアーは自分を貴族だと思って生きてきた。父も母も少ない使用人たちも彼女の愛らしい姿を天が恵んでくれた奇跡だと称賛して愛を振りまいてくれた。それが当たり前の日常で愛されるのが必然だと信じていた。それでも、知ったのだ。近くに住む貴族の令嬢の集まりで、名前も知らぬ列席者がニルフィーユ家をバカにする発言をしたから。
「所詮、金で買った爵位でしょう?嫌ね。名誉もない方が貴族の末席とはいえ、同じ空気を味わうなんて…」
ショックだった。自分は天に愛された者だと思ってきたのに、違うというの?
その日はお父様に泣きついた。
「なぜ、同じ貴族なのにバカにされなければならないの?」
「すまない。お前の曽祖父が安易に貴族の名を欲したばかりに…」
的外れな釈明をするお父様に失望した。ただの商売人だった方がよかったというの?
私もただの豪商の娘であれと?冗談じゃない。
ふつふつと怒りが込み上げてきた。お母様はお父様に賛同するだけ。
「私は貴族なのよ。そうよ。男爵だからバカにされるんだわ」
この日、決意したのだ。自分は特別なのだと誰れもかれもに認めさせようと…。
それだけの容姿に恵まれた選ばれた女なのだと。
けれど、国境のはずれに近い領地にいては何も変えられない。
国中から人が集まる王都。若きエリートたちが集まる学院に行こう。
運命を切り開くために…。そして、天はやはり、味方してくれた。
入学式の祝辞として現れたレオポルト殿下。彼に見初められれば誰もが私に傅く。
もう、彼しか目に入らなかった。けれど、殿下のそばにはあの女がいた。どこまでも冷たい表情を向ける。愛らしさとは程遠い。それでも、ただの男爵とは違い生まれながらの高貴なステラにひどく自尊心を傷つけられたような気がした。あの女の惨めに歪んだ顔がみたくなった。だから、余計にレオポルトに執着したのだ。そして、彼はあっさり落ちてくれた。
レオポルトだけではない。私が微笑むだけで、男達は頬を染め、愛を囁いてくれた。それが嬉しかった。それなのに、もう少しというところでやはりあの女に邪魔をされ、ただの男爵家の令嬢に舞い戻ってしまった。
さらにレオポルトは王家どころか貴族ですらなかった。
その事実に同じ空気を吸うだけで吐き気がした。だから、御者にすり寄って、レオポルトを馬車から追い出したのだ。それでも煮えくり返る腹の虫は収まらない。
領地に戻ってもそれは変わらなかった。
「フワイトタニア様の寛大なる慈悲に感謝しなければ…」
「そうですね。ニルフィーユ家への罰は下さないとのご配慮とは…。噂とは違いお優しい」
お父様もお母様も口を開けばそればかりだ。
「どうして、あの女を庇うのよ。私にヒドイ事をしたのよ。今頃、王太子妃になれたのに!」
「まだそんな大それた事を!私は貴女をそんな風に育てた覚えはないわ」
始めてお母様に頬を叩かれて驚いた。その瞳は涙で濡れている。
「王都に行かせるんじゃなかった」
そう言ったお母様は間もなくして息を引き取る。元々、体調を崩していたらしい。
「ストレスがかかっていたんだろう。これで分かっただろう。過ちは誰にでもある。この領地で大人しくしているんだ。王宮が…いや、国がお前を見放してもニルフィーユ家はお前の味方なのだから」
お母様のお葬式が静かに行われる中、お父様は小さく語りかけてきた。
だが、責められているようで腹が立った。
私は何も悪い事などしていないわ。お母様だって死なずに済んだ。
王妃の…いえ、いずれ誕生したかもしれない王子の祖母となれたのよ。その方が良いに決まっている。
そうだというのに、お父様は喪に付すばかり。上昇志向の強かった先祖とは似ても似つかない。
名もなき男爵で終わる気なの。
私は失望した。眠るお母様が土に埋められるのを確認した足で屋敷を後にした。
計画があったわけではない。けれど、仲間が必要だった。
誰でもいい。お父様以外の貴族。手助けしてくれる可能性のある男。
歩き疲れた頃、一台の馬車が通り過ぎた。
一か八かだった。飛び出し、美しい装飾の施された貴族の馬車に引かれる寸前まで息を止めた。
「メイアー!」
降りてきた青年に見覚えがあった。学院で追い回してきた男。赤い髪が特徴的な公爵家の嫡男。
やっぱり、天に愛されている。思わず笑みが漏れる。
「ハーバン…」
ピッタリとくっつけば、レオポルトと同様に彼は頬を染め、その体を支えてくれる。
なんて。簡単なのかしら。
ハーバンに連れられて、彼の屋敷へと向かった。望みを乗せて…。
彼は私を独占したがった。昼も夜も…。それはうざかったけれど、今はハーバンに頼るしかない。
夜な夜な、ステラの悪口を語って聞かせた。フワイトタニアと同様に公爵の位にあるベイルーズの子息なら何かしてくれると思ったのに、まさか、ゴシップ記事を書かせるぐらいしか脳がなかったのは誤算だったわ。それでも、彼と語り合うのが面白かったのも本当だ。その脈略のない話に耳を傾けながらお茶を飲むと高揚した。
そしてひらめいたのだ。今の王家に執着しなくてもいいんじゃないかと…。
それこそ、公爵の地位にある者は過去に王家と婚姻を結んだ者も多いと聞く。ベイルーズ家だって同様だ。ならば、ハーバンが王になってもいいじゃないの?
何とも浅はかな考えだと誰も言ってはくれない。
だから、メイアーは根拠もなく自身に満ち溢れていた。
まるで何かに操られるように…。
どうすれば、ハーバンを王に出来るのか考えを巡らせていた。
当のハーバンはというとあまり役には立たず、ただ、愛を囁くばかり。
そんな中、風の噂で漂ってきたレオポルトの状況。
ネフェルトリアで見世物をしているというその話が信じられなかったけれど、興味もあった。
興味本位に会いに行けば、客たちに笑われるレオポルトがいた。
王太子という称号しか取り柄のなかった男が惨めに地べたを這いずりまわっているなんて…。無様だわ。
あんな男の妃になろうとしていたなんて…。背中に蛇でも這いずりまわるような気持ち悪さが込み上がってきた。あちら側には絶対に立ちたくない。
だが、哀れでもあった。同じ女に地獄に突き落とされた同志にも似た感情。
「一緒にあの女に復讐しない?貴方がいるべきだった場所にいる男にもね」
ちょっとした慈悲から声をかけたというのに、レオポルトは頷かなかった。
「アイツにはもう関わるな」
「何よ。それ!」
まさか、私を拒むなんて…。何様よ。
何をやっても怒りがおさまらない。平民に成り下がって満足だというの?
その人生を笑われて生きていくのが良いっていうの?
かつて、全身全霊で愛を囁き、その心を射止めた男が人とすら思えなかった。
もう、顔すら見たくない。
イライラする。どの街へ行っても魔法塔の主。アルベルトの話ばかり。
あの運命の日。あの女の隣に寄り添ったその男は私に微笑みすらしなかった。
すべてが腹立たしい。
「アルベルトは国を崩壊させる悪魔。幻魔の手先!そして、奴を操るのはフワイトタニア!」
私の言葉を聞いて。歓喜して…。そして、怒りを王室に向けるのよ!
私のために!
ハーバンの屋敷で画策した計画など忘れていた。
ただ、自分を見て欲しい。
集まる群衆たちにメイアーは高揚感を感じていた。
世界が輝いているように見えた。
「王室侮辱罪で捕らえろ!」
遠くで喚く男の声が響き渡っても、幸せだった。
小さな村は騒然となっていたのに、メイアーは踊るような心地だった。
足が軽い。体も飛ぶようだ。天使になったように幸せだった。
ずっと続けばよかったのに、夢から覚めたのは目の前に固い鉄によって、外と遮断された牢に閉じ込められていると気づいた時だ。
さっきまで、声をあげ、人々に王室とあの女の非道さを訴えていたはずなのに…。
なぜ、こんなジメジメした場所に閉じ込められているの?
「まさか、こんな形で再会するなんてね」
そして、なぜ、牢のむこうにステラ・フワイトタニアが立っているのよ!




