レオポルトという人生①
ステラが静かに後にした扉をしばらく見つめていた。
彼女との間にはいざこざしかなかった。
それでもなぜ、こんなにもかき乱されるのだろう。
取るに足らない女のはずだった。居てもいなくても変わらない。
そのくせ、隣にいるだけで惨めな気分にさせられる。
そんな想いをずっと抱いてきたのに。今になって、こんなにも悲しくなるのはなぜなんだ。
フワフワとした感覚に襲われ、そのまま、膝をついたまま重くのしかかる肩の痛みを感じていた。
始めて彼女に出会った時、正真正銘のお姫様だと思った。
「レオポルト殿下。お初にお目にかかります。ステラ・フワイトタニアと申します」
背筋を伸ばし、ブルーのドレスの裾を持ち、お辞儀する彼女はすべてが完璧だった。
だからこそ、自分の未熟さが際立った。
「殿下は魔力をお持ちでないのね」
「王妃様が命をかけてお生みになったというのに残念な事で…」
「よろしいじゃない。過去には魔法を持たない名君もおられましたでしょう」
「それにしたって、陛下とちっとも似ておられない。武道も勉学もさっぱりなのでしょう?」
大人達の身勝手な言葉が本人の耳に入らないと思っているのか?
子どもの頃の僕はそれらを払いのけられるほど強くはなかった。けれど、自然や花、植物の香りや生命力を感じられれば、安らぎも覚えられた。鳥かごの中に押し込められたような感覚に襲われても、少しは自由かもしれないと思えたから。
それでも、父上と呼ぶにはあまりにも偉大な国王からの静かな圧力には震えあがった。
「レオポルト。お前はいい時代に生まれた。創成期の頃ならば、魔法を扱えぬ王族など、闇の中で消されていただろう」
それは殺されていたと言いたいのか?遠まわしにそんな事を言われたって、僕にどうしろって言うんだ?僕だって何も考えていないわけじゃない。魔力がないなら、せめて、知識で国を導こうと思った。だが、いくらやっても頭に入らないんだ。剣だって弓だって、上達しない。
皆の冷たい視線が突き刺さる。何もできない王子だと言われているようだった。
孤独だった。誰でもいい。寄り添ってほしかった。だから、ステラに少しばかり期待したんだ。
歳の近い少女。大人達が何を思って引き合わせたのか推測すらしなかった。
可憐で美しい少女。しかし、彼女も他の者達と同様に僕を王位継承者として扱った。
それが少し寂しかったが、話し相手になってくれたのは覚えている。何も否定せずに、一緒に植物を愛でた。ステラの存在が子供の頃の僕に彩りを与えてくれたのだ。
あの瞬間が大切だったのも本当だ。
しかし、同時に彼女が疎ましかった。いくつもの言語を操り、あらゆる学問、歴史に精通し、幼いながらに社交界で渡り歩く完璧な令嬢。会話するだけで劣等感に苛まれた。皆が彼女を褒めれば褒めるほど気分が悪くなった。
王位継承者たる僕ではなく、ステラ・フワイトタニアと呼ばれる踊りも所作もすべてが完成された少女に誰もが注目した。
「殿下は良い相手に巡り合えた」
「あの令嬢ならば、誰も文句はつけまい…」
「さすがはフワイトタニア公爵ね。上手くやるわ」
「でも、あの家から王家に嫁いだのは随分、昔でしょう?」
「ほら、だって、レオポルト殿下がアレだもの。王の懐刀として捨て置けないのでは?」
嫌味な笑いが突き刺さった。やっとわかったのだ。彼女と引き合わされた理由。僕の生涯の伴侶となるためにあてがわれた少女。吐き気がした。僕の意見も無視して進んでいく人生。
身動きが取れなかった。ステラの顔を見るだけで腹が立った。本心で笑っているのか分からない冷たい表情も見つめ返す瞳もすべてが、責められている…いや、品定めされていると思った。
なぜなんだ。僕は王になる男だ。それなのに、どうしてこちらの方がお前の相手に相応しいかどうか決められなければならない。悔しい。僕の前から消えてほしかった。
だから、見るに堪えない言葉を彼女に投げかけた。それでも、僕のそばを離れようとはしなかった。ただ、悲しそうに微笑むだけ。その態度もひどくイラついた。
フワイトタニアの当主に言われているから仕方なくいるのか?それほどまでに王妃になりたいのか?
まだ、正式に婚約を確定したわけでもないのに、彼女をずっと人生を共にする女なんだと思い込んでいた。自分の所有物だとも…。だから、何をやっても許されるんだと勘違いした。
それでも、いつまでたっても心は満たされなかった。
運命の彼女に出会うまでは…。
あまり、いい思い出一つない学院の入学式での祝辞を述べるために訪れた校舎でメイアーは木に登り、歌っていた。その姿はまるで妖精のように可憐で目が離せなかった。
「ごめんなさい!」
突然、自分の元に降りてきた彼女の甘い香りと豊満な胸のぬくもりに背中が温かくなる。
「何をしていたんだ?あんな所で?」
「鳥が落ちてしまったので、巣に戻していたんですわ」
彼女が指し示す方に、小さな巣が出来ていた。
「ですけれど、何だか、小鳥たちを見ていたら楽しくなって歌ってましたの!」
無邪気に笑う彼女は純真無垢で穢れを知らない。なんて、愛らしいんだと思った。
「あの、先輩でらっしゃいますか?」
メイアーは僕が王太子だと知らない様子だった。ただ、一人の人間として僕と向き合ってくれているとそう思った。学院の関係者が“殿下”と呼んだ時、彼女は心底驚いていた。
それでも、変わらずにたどたどしい敬語で詫びるだけで、距離を取ろうとしてこなかった。
「申し訳ありません。私は王都にはふさわしいとは言えない男爵家の娘です。王太子の顔すら分からず、無礼をしでかすなんて…。お父様に知られたら何をされるか…」
縋りつく彼女はとてもか弱くて守ってやりたいと思った。そして、メイアーの置かれている状況は自分と重なった。何とかしたいのにできない。周りの期待に押しつぶされそうになる。彼女は同志だと勝手に思ってしまった。だから、学院でのステラの噂に腹を立てた。
下級生のメイアーをイジメている。男爵だからという理由だけで…。
泣きはらす彼女に何かしてあげたかった。僕のすべてを差し出してもいいと思うほどに、愛おしかった。メイアーの麗しい香りに溺れたかった。すべてのしがらみから解放されていく気分だった。
可憐な少女への想いが募れば募るほど、同時にステラへの憎しみが増すばかりだった。




