兄妹の相違
エイダ嬢からもたらされた不安材料を胸にとどめて、一通りの日常に戻ったステラが自室の扉を開けたのは数刻後であった。しかし、部屋にいるはずの青年の後ろ姿が目に止まる。
その瞬間、大きなため息が漏れた。
「お兄様。いくら、立体映像とはいえ、無断で人の部屋に出現するのはいかがなものかと思いますわ」
「すまないな」
振り返るヴェルナードの細身の肉体はうっすらと透けている。フワイトタニアの息がかかった魔法具技師が制作した通信装置。しかし、声だけのやり取りですら大量の魔法石を必要とするため、発信者の姿を映像化する物はほとんど一般化されていない。
昨日のメイアー嬢の信者たちに使用した物はごく限られた場所かつ短時間であったこと、元から像の中に魔法石が埋め込まれていたからなんの弊害もなく女神の降臨を再現できた。
けれど、リアルタイムに遠くはなれた者にその言葉を飛ばす術は未だ不安定で普及されていない。
金銭的に余裕のある我が家でも家族同士の連絡手段ぐらいにしか使用されていないのだ。
逆に言えば、使用者が少ない分、秘密は漏れにくい。
壁の向こうで立ち聞きでもされていれば、その意味はないけれど…。
「で、何か御用がおありで?」
ステラはソファーに腰掛けた。
「妹の近況を知るのにわざわざ理由が必要なのか?」
「会ったばかりではありませんか?」
「心配なのは事実だ。後手後手に回っているからな」
「学院に巣くっていた彼女の信奉者は無害ですわ」
「それではない」
ヴェルナードの手に新聞が握られている。今日の夕刊だ。
厳密にいえば、あらぬ噂や証拠に基づかないゴシップを載せている事で有名な三流雑誌。
「アルベルト殿下に関する中傷記事が乗せられている」
「それは、幻魔の多発をあの方のせいにするものですか?」
「知っていたのか?」
「私もフワイトタニアです。情報源は持っています」
エイダ嬢の言った通りね。でも、同時に彼女への不信感も強くなっていく。
「だが、それだけではない。魔法塔が幻魔草の温床とかしていると…」
「まさか!幻魔草の使用どころか所持だけでも大事なのに…。ですが、それを掻き立てているのは正規の新聞社ではないでしょう?捨ておいても…それに幻魔の出現率の高さは先の王太子の頃からでではありませんか!」
「そうだ。だからこそ、問題でもある。本来、本物の王家継承者たるアルベルト様が王宮に入った時点で幻魔の出現率は減少するはずだ。だが、実際は変わらない所か増えている」
「何がおっしゃりたいのです?」
「いいや。なんのこともない」
「そもそも、アルベルト様と幻魔を結び付けるのがおかしな話です。結界を知る者事態少ない…」
「だが、伝説は国中に浸透している。誰もがアウストラルの血族が続く限り、国は安泰だと思っているのも事実だ。その方法をよく知らないとしても…」
「そうですね。お兄様の言いたい事も…」
「そんな悲しそうな顔をするな。王子取り換えというスキャンダルを演じたばかりだ。気を引き締めておかなくてはあらぬ方向から足元を崩されるかもしれないと肝に銘じておけばいい」
「分かっています。もしもの場合は何とか致します」
「また、お前が矢面に立つ気か?」
「前回はそこまで表に立つ事はなかったはずですが?皆、魔法塔の主に夢中でしたから」
レオポルトからの婚約破棄騒動をさらに衝撃的な王室スキャンダルへとすり替えた事で、ステラの名前などほとんど上がらなかった。
「それは父上が…」
「お父様が何か?」
「いや、何でもない」
なぜ、そうも歯切れが悪いの?
ここであの人の名前を出すまでもないでしょうに…。
まだ、無知だった私に祖父が強いる痛みにも無関心にしていた男よ。
「とにかく、お前がそこまで心を砕くまでもない。先の王太子のせいで悪女のレッテルをはられていたんだ。再び、そこに舞い戻るまでもない」
「アルベルトはそんな方ではありません!」
驚いたように目を見開くヴェルナードがそこにいた。
「なんです?」
「いや、まるで恋する乙女のようだと思って…」
「まさか、世迷言ですわ。あの方はレオナルドと違って、大衆を見る目をお持ちだと言いたいだけです。さすがは魔法塔の主と呼ぶべきでしょうか」
それとも、王としての資質がそうするのかしら?
少なくとも自分とは違う他者を思いやる精神は持ち合わせている。出なければ、押し寄せる幻魔への対処を続けたりはしない。
「それに、そこまで悪女を演じていたとは思いませんわ。幸いにして、味方は意外といましたから」
メイアー嬢に少なからず恨みを持っていた令嬢方とかね。
「何より、アルベルト殿下を王宮にお連れしたのは私なのですよ。責任があります」
「お前はなぜ、そうやってすべてを一人で背負うんだ」
「フワイトタニアたるお兄様がおっしゃるのですか?お兄様だって、同じことをなさるはず…」
無言で、視線をそらすのが何よりの証拠だ。
だが、その先に見られたくなかった手紙を置きっぱなしにしていた事に気づく。
まずい!
咄嗟に背中の後ろに隠すが遅かった。顔を見て話せる魔法具の弊害は通信者の周囲も視界に入ってしまう点だ。
油断していたわ。
「それはあの男からの手紙か?」
「あの男だなんて、レオポルトという名前があるのですよ」
それすら、偽物だったけれど。
「手紙のやり取りをしていたのか?」
「まさか。あの日、彼に真実を突き付けてから一度も連絡など取っていませんわ」
「なら、その手紙は?」
「私に近況報告をしたかったそうです。早便でこの部屋に届くように伝書鳩を手配していたのでしょう」
まだ、紙による連絡手段が一般的なため、特殊な訓練を受けた鳥に手紙を預けて飛ばす手法が国中に根付いている。どこへでも運んでくれる。たとえ、個人の部屋であっても…。
「あのような形で追い出されたというのに、どんな精神構造をしているのか!」
「おやめください。元気にしてるのですから」
「まさか、会いに行くとは言い出さないよな?」
「どこにいるかもわかりませんのに、ありえません」
「なら、いい。お前を無下にした男にこれ以上、振り回される必要はないのだ。いいな?」
「分かっています」
軽く頭を下げれば、ヴェルナードの気配は途切れる。通信が終了したのだ。
一気に背中に重たい物がのしかかってくる。
実の兄と話すだけなのに、どうしてこうも疲れなければならないのよ。
ステラはレオポルトから届いた手紙の感触に思いやる。
そこには“会いたい”と記されている。
お兄様にこの事が知られれば、何か企んでいると思われるわ。
確かにその可能性はある。
恨まれても仕方がない事をしたのだから。
正直、言葉通りに信じて会いに行っていいのか、ずっと悩んでいる。
もう、会う事はないと思っていたのに…
ただ、胸が締め付けられるばかりでしゃがみ込むしかできなかった。
「ピピン!」
柔らかな頭を寄せて、胸に飛び込んできたのは、アルベルトから送られた使い魔だった。
もしかして、慰めてくれてるの?
つぶらな潤んだ瞳が見上げてくる。
「ありがとう。貴方、そういう声なのね」
可愛らしく首を動かす使い魔を眺めていると自然と笑みがこぼれた。
「そう言えば、名前はなんていうのかしら?」
アルベルトに聞かなくてわね。
ステラはそっと、黒い毛を撫でた。




