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アルベルトの想い

「仮面、外して大丈夫なのか?」

「今更だろう」

「確かにな」


薄暗い魔法塔の最下層へと続く階段を降りながら、アルベルトは後ろを歩くローガンに言い返した。

育ての母と呼ぶにもおぞましい女との思い出はほとんどない。

だが、覚えている物だけで言えば、この顔は不気味だといつもぶたれていた。

その頬の痛みはとうに消えたというのにまだ痛む。


今思えば、この顔が視界に入るだけで己の犯した罪を突き付けられるような気がしていたのだろう。だから、孤児院に置き去りにしたのだろう。先代の魔導士たる育ての父がどこまでの事を知っていたのかは分からない。それでも安住の場所とも言えなかった孤児院から連れ出してくれた。


「アルベルト。今日から私の息子だ」


始めて交わした親父はやせ細った老人だった。だが、その笑みに得体の知れない恐怖も抱いた。

それでも育ての母とは違い、人間として扱ってくれた。人並みの食事と寝床、そして、服も用意してくれ、魔法という自らの力で生きていく術を教えてくれた恩人。


しかし、この顔はあらぬ疑いをかけるかもしれないと仮面を外す事は許さなかった。

それでも我が家となった魔法塔の中で、友となった者達には素顔を見せる日も少なからずあった。

魔法塔の魔法使い達は皆、結束が固く、下界との繋がりもわずかだったからかもしれない。

俺の容姿が外に漏れる事は皆無だった。それでも情報はアルベルトの元にも入る。

俺の顔が建国の王に似ていると言い出したのはローガンだった。

そして、魔法の才に長けているのも、もしかしたら、王家の血縁者だからではないかとも漏らした。


「恐れ多い言葉を口にするでない!アルベルトは次代の魔導士となる人間だ。王宮の者ではない!」


いつも穏やかな親父の殺気を感じたのはこの時が最初で最後だった。

隣で震えるローガンがみるみる青白く染まっていったのも懐かしい。

それでも、自分とよく似た容姿を持つ建国王に興味が湧いた。もしかしたら、自分は王家に連なる者なのかもしれないというおとぎ話にも似た感覚も覚えたのも事実だ。しかし、それはわずかでしかなくで好奇心を少しだけ満たすだけだった。


まさか、その出自に過去と呼ぶには浅すぎるスキャンダルが隠れていたなんて思いもしなかった。

正直なところ、魔法の才は現在の魔法塔の中でも群を抜いている。そして、英雄たるサルバトール卿が連れ帰った才能ある少年。誰も彼もに言われてきて、当たり前のようにその後を継いで時間がたっていない。いくら、魔法塔全体の結束が固いとは言え、若い俺に反感を持つ者は塔内にいくらでもいる。出現する幻魔の数も力も増すばかり。王太子という大役まで引き受けたこの身でどこまで抑え込めるか。しかし、諦めるわけにはいかない。何より、これはやっと会えた彼女の願いでもあるのだから。


「それで、ジェマイズの様子はどうだ?ステラにあのように突っかかるなど、異常だ」

「それがさっぱりで…。アイツは魔法使い至上主義者というタイプでもなかったはずなんだが…」

「同室のゼベスは何も知らないのか?」

「そちらも急に態度が変わったとしか言わず、俺達じゃあ、埒が開かない」

「分かった。俺が直接聞いてみよう」


ステラに食って掛かった日から、中級魔法使いであるジェマイズは地下牢で謹慎していた。

その重い塀を開け、俺自身の手で尋問を行うつもりだ。そのはずだったのだが、


「いないだと!」


薄暗い地下牢はもぬけの殻だった。残された魔力の匂いから察するに消えたのはついさっきだ。

少し放置させすぎたか?


鍵が閉まっていた所を見ると転移魔法を使ったらしい。だが、あれはかなり高度な魔法。

奴一人では抜け出せないはず。しかもここは魔法の技術の中心部だ。魔法対策は万全のはず。

となると…。いや、今よぎった考えは後だ。


「ローガン。すぐに奴の魔力を探せ!遠くには行っていないはずだ」


ステラが塔の中にいる今、一刻も早く奴を見つけ出すのが先決だ。


「いや…いい。俺が探す!」

「お前自らか?だが、それは制約に反するんじゃ…」


ローガンの反論にも耳を貸さず、両目を静かに閉じた。意識の集中と共に視界に魔力が流し込まれるのを感じとる。魔法塔の主である魔導士は塔で行われる魔法すべてを掌握していなければならない。しかし、同時にいくつもの掟も存在している。絶対的な魔法使いの頂点として君臨するが、他の魔法使い達の指針として信頼し彼らの魔法に干渉してはならないという物だ。魔法塔が危機にさらされれば真っ先に動かなければならないが、それ以外の事態ならば、他の魔法使いに任せる。要は魔法使いのランクによって仕事が割り振られ、それぞれの役割を果たす事で秩序は保たれているのだ。


「魔法塔に招いた客人がいる今。最も重要なのは彼女の安全だ。それを怠れば魔法塔の危機だろう?」

「半分私情が挟んである気がするが…」


長年の友のつぶやきなど届かなかった。魔法の宿った瞳が捉えた奴の魔力は寄りにもよって書庫へと向かっている。


クソ!


すぐさま、転移魔法を展開した。


「おい!」

「そんなに大切なのか?あの令嬢が…」


そんな風に呆れる友の嘆きが遠のいていくのは転移の魔法が無事に発動した証拠だろう。


大切?そんな短い言葉で言い表せるような物ではないんだ。


一瞬の浮遊感の末に地面の感触を味わう。耳元に通り抜けるのは、女性の笑い声。

ステラともう一人はキャロルか?

そう言えば、キャロルは書庫に入り浸っている。女性同士、話が合うのかもしれない。


だからこそ、身を引き締めなければならない。

不穏な魔力が溜まっている方向へと歩みを進めた。ちょうど、書庫の裏手。

彼女達の様子が丸見えだが向こうからは気づけない位置。

その男、ジェマイズはいた。


「魔法使いは絶対。魔法使いは絶対だ!」


明らかに焦点のあっていない。常軌を逸している。

殺意のこもった視線は紛れもなくステラを捉えていた。

魔法使いが魔法を発動する初期的条件の一つ。腕を大きく振り上げたのと同時に動いた。


「うっ!」


小さな悲鳴と共にジェマイズの体に大きな電流が流れていき、うずくまる。

だが、顔はこちらを見上げていた。


「なぜです?魔導士様…。奴は…。魔力なしの女…」


雷鳴を発生させたのが誰であるのかは理解しているらしい。


「一度ならず二度までも、ステラを危険にさらして、ただで済むと思っているのか」


しかも、この魔法塔で…。多大なる失態だ。


思わず唇を噛んでいた。

その間もジェマイズは諦めた様子が見受けられず、その上、立ち上がった彼は一筋の魔法の糸を繰り出した。気付けば、頬に鈍い痛みが走る。


「切れたか…」


少量の赤い血が流れているのを確認した。


「魔導士様に傷をつけた。つけたぞ。魔法なしを贔屓するからだ。だから、魔力が下がったんだ。俺は正しい!」


高らかに宣言しているジェマイズは恍惚の表情を浮かべている。

結構な量の電流を流したはずなのだが、よく動けるものだ。

普通なら気絶しているはず。しかも、ジェマイズはそれほど体力に自身がある魔法使いではない。

明らかに能力以上の力を発揮している。


「ふっ…」

「何を笑っている?お前など、ちょっと先代に可愛がられただけの男だ。魔導士の器ではない!そうさ。王族の一員というのもあの卑しい女がでっちあげたウソではないのか?そうさ。貴方は騙されているんだ。この神聖な場所にも土足で上がり込むぐらいだ」


全く、何がお前をそうさせたのか。検証は穏便にやりたかったが、そうもいかないか。


「悪いな。外に会話が漏れないように結界を張っておいてよかったと思ってね。出なければ、今から行われる事が彼女にバレてしまう」


そこでようやく、ジェマイズは俺との短い距離に薄い膜が張られている事に気づいたらしい。


「だからなんだと…」


言い返しそうになるジェマイズだが、なぜだか喉が回らない。無意識に恐怖を抱いているのだ。

さっきまでとは明らかに雰囲気の変わった魔導士を前にして足がすくんでいる。


「俺は確かに若いし、魔導士という役目を担うのはおこがましいとは思っている。しかも正直言って、そこまで優しい男でもない。何せ、生い立ちがまあまあ、壮絶だからな」


虫けらでも見るようにジェマイズを見降ろせば、それだけで、奴は悲鳴をあげた。

上空に打ちあがった小さな黒い空間から、真っ黒な光線が降り注がれる。


「俺がステラを侮辱されて、ただ制圧するだけだと思ったのか?」


そうさ。大切だとも。彼女は俺の命の恩人だ。

かつて、母だと思った女に疎まれ、素顔を隠して生きるように強制された幼少期。

周りからも気味悪がられた。そんな時に出会った小さな女の子。

まだ、己の中に流れる魔力も才にも気づかずに魔法を暴走させたことがあった。

幸い、森の中で誰もいなかった。


「俺はやっぱり、母さんがいうように化け物なのか?」


そんな自問自答を繰り返しながら、魔力の波に飲み込まれ、その命を終えようとした瞬間に現れたのは天から舞い降りたように愛らしい妖精だった。


「大丈夫よ。貴方はちゃんと血の通った人間だよ」


すれ違うようなほんの一瞬の交り合いだった。だが、彼女は俺の痛みを直感したように微笑んだ。

手を伸ばしたかった。だが、掴む前に意識を手放してしまった。それが今でも悔しい。


気付けば、泉のほとりで寝ていた。ずっと、彼女は夢の中の住人だと思っていた。

だが、魔法塔を訪ねてきた時に一目でわかったのだ。


年齢を重ね、思い出の中の彼女のように天真爛漫な微笑みは絶やさなくても…。

あの時の妖精だと…。


冷たく、どこか寂しげで世を儚んでいるステラを抱きしめてあげたかった。

しかし、彼女はそんな風に守られたい女性ではないのだろう。力強さもその瞳に宿っていたから。

だから、その隣に立てる男であろうと決めたのだ。

何も知らず、手を伸ばせなかった小さな少年ではもはやないのだから。


「ぎゃあああっ!」


ジェマイズの悲鳴がこだまする。だが、すぐそばで談笑するステラもキャロルも気づいていない。

俺は動かなくなったジェマイズをただ見降ろしていた。

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