使い魔を送る意味
生暖かい風に当たりながら、まるでコソ泥のように王太宮に忍び込む事になるなんて…。
厳密に言えば、抜け穴を出口から逆走しているだけであるが…。
別に表から堂々と入ったっていいとは思うのだけれど、なんとなく気が引ける。
ある意味で疑似婚約者という立場を承諾したと身とはいえ、アルベルトから向けられる視線、声のトーンは本物を連想させ、胸がざわつく。
何より、私達の関係を詮索されるのに若干、不満が湧くのはなぜなのだろう。
察する能力は高い方だと思っていたのだけれどね。
「それにしたって、どうして、こうも目的地に一向につかないのよ」
アルベルトはステラをあの秘密の植物園に入れるように鍵の術を施してくれたと言っていた。それにも関わらず、あの場にすらたどり着くこともなく、この薄暗い地下道をさっきからずっと、彷徨っている。
変な意地を張らなければよかった。
思わずため息が漏れ、手をついた。すると、固いはずの土壁がぐにゃりと粘土のような柔らかさでステラの真っ白な肌を覆っていく。
「えっ!」
驚く間もなく、バランスを崩したステラの体は傾き、浮遊感に包まれていく。
気付けば、芝生の上に転がっていた。天には太陽が見え隠れしている。
「外に出られたの?」
おもむろに起き上がれば、そこが、王太宮の中庭だと確認した。
抜け道にこんな仕掛けがしてあるなんて聞いていない。少なくともレオポルトとの遊び場となっていた幼いころはこんな現象に遭遇しなかった。
だとすると、主が魔力のあるアルベルトに変わったからなの?
植物園の存在もしかり…。
これらは些細な変化だ。
でも大きい。
「アルベルト殿下ではやりずらいですな」
「まだ王太宮の中だ。どこで、誰が聞いているか分からないぞ」
嫌味に満ちた言葉が耳を通り抜けた。
「だが、贈り物を突き返されるとは…。レオポルト殿下なら…」
「仕方ないさ。あの方は閉鎖的な魔法塔におられたのだ。価値観が王族に当てはまらないのは育ちのせいと言えよう」
含みのある笑いをたたえるのは、上級貴族達だと一目でわかった。
「ステラ…」
優しく呼び止められて、背筋に甘い感触が伝わる。
「殿下…」
「アルベルトでいいと言っただろ」
「来訪者がおられるでしょう!」
中庭と隣接する渡り廊下を歩く上級貴族達の背中に視線を送る。
「彼らはもう帰るさ」
疲れたように息をはくアルベルトの様子に、分かりやすい政治的駆け引きの渦中にいるのだと気づいた。まだ、王宮に慣れていない彼を誰も彼もが取り込みたいのだ。
突然現れ、王子の座についた、いわくつきとはいえ、現状、彼の容姿と魔法塔の主という肩書はどの王族よりも強い物だ。しかし、レオポルトをいいように利用していた貴族の中にはこの状況を快く思ってもいない。
不満の種は確実にまかれている。
いいえ。こうなるってわかっていたはずでしょう。
人の業と欲望が渦巻くこの場に連れてきたのは私なのだから。
何を動揺しているのよ。
「どうした?気分が悪いのか?」
心配そうにのぞき込んでくるアルベルトにさらに罪悪感が募る。
少しぐらい責めてくれた方がやりやすいのに…。
「なんでもありませんわ。私の事より、ご自身はどうなのです?」
「俺は好きにやらせてもらってるよ。まあ、こうも毎日、訪問者が来るとは思わなかったが…」
軽快に笑うアルベルトにステラはやっぱりと思った。
「まだ、日が浅いですから、殿下とお近づきになりたい者が多いのでしょう」
「そういうものか…」
しみじみとつぶやくアルベルトにそれ以上、会話を突っ込む気にはなれなかった。
「そういえば、驚きましたわ。まさか、コウモリの姿で私の前に現れるなんて…」
だから、話題を変える事にした。
「すまない。驚かせたか?」
「ええ。野生のコウモリが寮の寝室に入ってきたのかと思ったら、人の言葉を話し出すのですもの。あれは使い魔というのかしら?」
「ああ…」
微笑んだアルベルトはステラの肩スレスレに手を置いた。その瞬間、少しばかりの重みと共に黒い羽が出現し、モフモフとした装いへ変化していく。
「まさか、コウモリをプレゼントする方がいるとは思いませんでしたわ」
「普通に口説いていてもモテるステラには印象に残らないと思ったからな」
「私がモテる?まさか…」
「そうか?こんなに魅力的なのに…」
悪びれもなく、そんな甘く、体の芯を震わすような音をどうして、いとも簡単に醸し出せるのか。
理解できない。
社交界の花どころか、男性に愛を囁かれるなんて経験一度もない。常に失笑と悪意のみにさらされてきた。
だからこれも、きっとただの戯れ。真に受ければ、こちらが絡めとられる。
「魔法使いは簡単に使い魔を人に贈る慣習がおありとは知りませんでしたわ」
「好いた相手に贈るんだ」
まっすぐに向けられる好意に思わずたじろぐ。平常心を保つと決めたばかりなのに、こんな戯言一つで喜んでしまうとは…。想像していた以上にこの手のロマンスへの耐性は微々たる物しかないらしい。
自分の弱みをこんな風に知る日がくるなんて…。
正直泣きたくなる。
「ステラ?」
「なんでもありません。ところでどうしてこちらに?」
「どうしても何も王太宮は俺の家だろう。ステラこそ何をしていたんだ?」
そうだった。私の方が部外者だというのを忘れていた。
「精霊花が心配だったんです」
これは本当。そもそも、フワイトタニアは王宮のあらゆる場所に出入りできる。
影のように起こるすべての事を把握し、国と王家を守る。
「植えた精霊花を見に来たのか?」
「あれはとてもデリケートな植物だと教えてくださったのはアルベルトでしょう?」
「勝手に行こうとしたのを咎めているんじゃない。来ているなら、俺に会いに来てくれてもいいのに…」
「おいそれと、会うものではありませんわ」
「疑似とはいえ婚約の件は受け入れてくれたと思っていたんだが…」
「そうだとしてもです。後、この贈り物もお返ししますわ」
アルベルトには知らないふりをしたが、魔法使いの慣習は知っている。
使い魔の授与は恋人同士の愛の証と呼ぶには非常に重いものだ。
それはいわば魔力を伴う契約。本来は結婚の契りの場でお互いの愛を確かめ合うように、使い魔に付与される言霊によって縛られ、運命を共有する意味を込める儀式。どちらかが傷つけば、相手も同様の痛みを伴う。使い魔を送られたというだけで心配するには大げさかもしれないが、相手は魔法塔の主。何もない方がおかしい。
しかも、今は消えているが、手の甲に現れていた魔法陣を考えれば、私とアルベルトの間に何らかの契りを交わされたのがうかがえる。
「大丈夫。心配するほど強い魔力は込めてはいない」
ステラの意図する物を感じ取ったのかアルベルトは答えた。
「その発言は私に契約を施したと認めるのかしら?」
「大事な貴女を守るための術をかけたと白状はしても否定はできない」
「なるほど。つまり、私がその内容を知らなければ、危険になる事はないとおっしゃりたいのですね」
「察しがいいな」
この手の魔法を最大限に発揮するには相手もかけられる魔法を知る必要がある。
つまり、知らないままなら、魔法はほとんど意味をなさない。
「あくまで念のためだ。だから、神殿へ行くのは保留で構わないんじゃないか?」
私がここに来た理由もバレてるって事ね。使い魔の授与を解除するには主となる魔法使いに解いてもらうのが通例だが、初代様の魔法が残る王太宮の奥に設置されてある聖遺物にも解除の効果がある。それを拝借しようと思ったのだけれど…。
「分かりました。この話は保留にします」
「そうしていただけると幸いだ」
「全く、私に使い魔をよこすほどの価値はありませんのに…」
「俺にはある!」
そんな力強く言われてしまってはもはや言い返せない。その情熱を宿した瞳に吸い込まれそうになった。思わず手を伸ばしそうになった瞬間、アルベルトの視線は遠くへと意識を飛ばしたようにうつろになった。
「アルベルト?」
「魔法塔からの定期連絡だ」
「何かありました?」
「いや…。でも一度戻る」
「戻るね…」
些細な言葉だが、ステラには重要だ。
仕方ないとはいえ、やはり、彼の味方は現状、魔法塔にしかいないのよね。
「ステラもどうだ?」
「ついて来いと?」
「精霊草がらみの書物を見せると約束しただろう」
「じゃあ、お言葉に甘えて…」
ステラは純真無垢な少女の笑みをたたえた。




