バカげた仕打ち
一か月もたっていない学院は以前のような騒がしさは嘘のように静かな空気感に包まれていた。
騒動から一度も足を踏み入れてはいなかったにしても、一人の生徒がいなくなるだけでここまで変わるなんてね。同じ土の上とは思えない。
「ステラ様!」
「フワイトタニア公爵令嬢!お久しぶりです!」
出迎えた令嬢達はフワイトタニアと懇意にしている家の者達でばかりあった。
「学院はどうです?」
「ステラ様のおかげで平穏を取り戻せましたわ」
穏やかな日差しに照らされた褐色肌の令嬢は愉快そうに微笑む。
「余計な事をいう物ではありませんわよ」
「申し訳ありません」
優雅な集いという雰囲気を保ちながらステラを取り囲み、お菓子をつまむ少女達は指先一つまで洗練されている。
「あの、フワイトタニア公爵令嬢様。私も仲間に入れて頂いてもよろしいでしょうか?」
腰掛けるステラに一人の令嬢が歩み出た。
濃いブラウンの髪とそばかす。そして、目の下のほくろが印象的な彼女の瞳はどこか力強い。
「まあ、なんです。ガイドアーク子爵令嬢。今頃になって…」
含みのある声色を含んだ褐色肌の令嬢は鼻で笑った。
「そうですわ。貴女はレオポルト殿下、いいえ、もはやその称号にすら値しない方と懇意にしておられた癖に…。虫が良すぎますわ」
ステラの取り巻きとかしている令嬢達は呆れたように吐き捨てた。
厳密にいえば、彼女ではなく、彼の父親がレオポルト派というだけだけれど…。
「おやめなさい。彼女自身は中立を保っていたように見受けられます。学院内においては…、ねえ、エイダ嬢」
「私の名前を知っておられるのですか?」
「当然でしょう。同じ学び舎で勉学に励む者同士ではないの。どうぞ。座って…」
「ありがとうございます」
確かにエイダ・ガイドアーク子爵令嬢が派閥の違うステラと距離をつめようとする事には疑念がわく。
とはいえ、むげに断るにも材料がない。ならば、引き入れ、その心のうちを見定めるのも手ね。
この場を仕切る私がエイダを受け入れたとなると令嬢達は何も言い返す事はないだろうし…。
「なんだよ。アレ。もう、王妃気取りか?」
明らかにステラに敵意を向ける声が耳に届いた。
「まあ、ベイルーズ公子。言いたい事があるなら、はっきりと申し上げたらどうです?」
ステラに聞かすつもりはなかったのか、しどろもどろになる赤毛の青年に微笑みかけた。
メイアーにちょっかいを出された時も真っ先に彼女に駆け寄った青年である。
「言いたい事?あるに決まっている。自分に振り向いてくれなかった男を追い出し、どこからか連れてきた得体の知れない奴をその後釜に据えた女にはな!」
「アルベルト殿下の容姿とその力を見ても同じことが言えるのかしら?」
ステラはあえて、扇で顔を隠して淑女を演じて見せる。
ベイルーズ公子の顔がみるみる怒りで赤くなっていく。
「やめろよ。ハーバン」
敵意をむき出しにするハーバン・ベイルーズを止めたのはその周りで肩を寄せ合う男子生徒達であった。
「お前のせいで…。メイアーは…」
それでもハーバンの怒りは収まらない様子で、手を払いのける。
「嫌だわ。あれでも王国を担う貴族の令息ですの。あの身の程知らずの女にいつまで現を抜かしているつもりかしら?」
ステラの取り巻き令嬢から誰ともつかぬ言葉が飛び出し、笑いが漏れる。
「そんな冷たく突き放しては可哀そうよ。彼らは愛する方にフラれた身。その悲しみを誰かに向けたくなる気持ちは理解できますもの」
「さすがはステラ様。慈悲深いお言葉を彼らにおかけになるなんて…」
「エイダ!貴様!」
ハーバンの怒りの矛先がエイダに向かう。彼女は彼に視線すら送らず、紅茶を見つめていた。
だが、その手が震えている事にステラは気づく。
もしかして、彼女はベイルーズ公子に想いを寄せていたのかしら。
だとすると、エイダ嬢の目的は他の令嬢の多くと同様にメイアーを追いやった私への純粋なお礼故の行動なのかしら。でもそうだとすると、肝心の意中の相手たるベイルーズ公子に敵意を向けられては意味がない気もするけれど…。
ハーバンはその握りしめた拳の逃げ場所がないように踵を返した。それに続く男子生徒達。
「折角、風紀を乱す輩が消えたというのに、その幻影にまだ悩まされるなんて…」
「すべては未だ、あの女が残した負の遺産が建っているせいですわ」
ステラを取り巻く令嬢達は好き勝手に語り出す。
確かに、メイアーの城とかしていた学院の棟はその存在感をはなっている。あれを取り壊すにしてもかなりの費用が掛かる。何とか、再利用できればいいのだけれどね。
「噂によれば、彼らはメイアー男爵令嬢を偲んで、夜な夜な棟に集まって集会を開いているそうですわ。ほら、例のメイアー嬢の御殿の…」
「それは本当ですの。エイダ嬢」
「私も人づてに聞いただけですが…」
令嬢達は気味悪そうに眉をひそめた。
集会ね。噂というには具体的な気もするわね。
そんな疑問を持ちつつ、学友たちとのひと時は過ぎていく。
正直、メイアーに想いを寄せた生徒達が傷をなめ合うのは仕方がないという思いもあり、エイダ嬢が漏らした噂は頭の片隅でひっそりと忘れていくはずだった。
しかし、数少ない授業を終え、一度、寮の自室に戻ると、彼らへのとある疑惑が湧きあがってくる。なぜなら、ステラのプライベート空間へと続く扉には、大きな字で、『悪女!』と記されていたから。その他にも口に出すのもおぞましい言葉がつづられている。
「なんとまあ、幼稚ね」
言いたい事があるなら、面と向かって言えばいい物を…。このような手段でしか、ストレスを発散できないなんて、学のある者の仕業とも思えない。
だとしても、その犯人はやはり十中八九、お茶会を邪魔した彼らの顔が浮かぶ。
私への誹謗中傷レベルならば、このまま、放っておいても害はないだろうけれど…。どれほど無知な者でも集まれば厄介な事態になる。それが歴史である。何より、お兄様からの忠告もある以上、野放しにはできない。
容疑者の素行調査は必要ね。
そんな事を考えていると、窓を叩く黒い鳥が目に入った。
「こうもり?」
それにしては、少し大きく、目が可愛らしい。
「ス・テ・ラ!」
漆黒の小さな口から人の言葉で自身の名を呼ばれ、ステラは一瞬、ドキリとした。
しかし、その赤い瞳の奥に見知った人物の気配を感じて、ホッともする。
全く、こんなやり方で私の元に訪問してくるなんて、愉快な人だわ。
コウモリの首元にリボンと小さな手紙が括り付けられていた。
その内容を見る限り、これは贈り物らしい。
まだ日が沈むには早い。
一抹の不安を拭い去るのはも少し先でもいいかもしれない。
手に刻まれた魔法陣がその姿を現していた。
この茶番がいつまで続くのかしら?
煩わしい音を感じつつも笑みがこぼれた事にステラ自身は気づいていない。




