プロローグ
小国なれど豊かな緑と商業、そして魔法に彩られるアウストラル王国。その王都にある宮殿は今宵も貴族達が集まり、舞踏会が盛大に行われていた。いつものように。
されど、今回の主役はホール中央に向かい合う男女。
「ステラ・フワイトタニア。王太子たるこの俺、レオポルト・クラウスラ・アウストラルの名においてお前との婚約を破棄する」
高らかに宣言したレオポルトにステラはショックを受けた。しかし、それは男女の愛を向けているわけでもない王太子から婚約破棄されたからではないし、図ったように王太子派の貴族達で構成されたこの催しで貴族達に捨てられた女として噂されているためでもない。
さらに言えば、わが物顔でレオポルトの隣にくっついている何かとお騒がせな男爵令嬢たるメイアー嬢が目障りというわけでもない。
まさか、ここまでバカだったとは…。
思わず頭を抱えるステラにレオポルトはさらに畳みかける。
「いいか。お前の学院での話は耳に入っている。よもや嫉妬に狂い、メイアーに数々の嫌がらせをしたそうだな。仮にも王を補佐すべきフワイトタニア公爵の名を持っていながら、何たる醜態。これ以上は見過ごせないぞ」
ふわりとカールした髪にうるんだ瞳。17才という歳を考えれば少し幼げに見えるメイアー嬢は確かに男受けするだろう。今だって、涙目で王太子の腕に掴まる姿なんてまさに守ってあげたくなるとこの場にいる男達は喉を鳴らしているはず。
一方、無駄のない飾りっけのないドレスに身を包み、スッとした顔立ちのステラは可愛らしいというよりは美しいという言葉が似合う。されど、あまり表情豊かではないのは自分でもわかっているし、よく何を考えているのか分からないと陰口を叩かれているのも知っている。もっと言えば冷たくて怖そうとも揶揄されてきた。だから真逆の少女二人を並べれば王太子がどちらになびくのかも納得はできる。
とはいえ…。これはあまりにも…。
「あの、恐れながらレオポルト様、私たちはそもそも婚約していた事実がおありで?」
「なに!まさか何もなかったことにする気か」
王子の平凡な顔が怒りで真っ赤に燃え上がる。
「ですから何もありませんでしょう私たち。ただ、同時期に同じ学び舎で過ごしていただけです。婚約なんて…」
恐れ多い事というように優雅に扇で口元を覆えば、集まっていた貴族達はその美しい所作にウットリとした。
「うっ嘘よ。ステラ公爵令嬢は王太子婚約者筆頭候補として学院で威張りまくっていたわ。現に…」
「現に?メイアー嬢。その言葉に責任を持てるのなら発言なさい」
普通に質問を返しただけであるのに、メイアー嬢は大粒の涙を流して王太子にさらに抱き着く。
「ひどいですわ。私が片田舎の男爵だからって…」
「おい。貴様この期に及んでまだ…」
ますますため息が漏れる。
「確かに王の最側近たるフワイトタニア家は貴族の長たる公爵の筆頭。もちろん、王家に嫁いだ者も過去にはおりました。けれども、何度も言うように私たちの間に婚約したという事実はございません。それはメイアー嬢も認識していますわよね。この私を婚約者候補と発言したのですから…」
「だから、何よ。違いはないはずよ」
「いいえ。実際に”婚約した”と”候補”では全く意味は異なりますわ。婚約者ならば、その相手が別の女に現を抜かしていれば文句の一つや二つ言う権利も与えられるでしょうけれど、候補というだけの男性に対してその言動を咎めるような事は普通の貴族ならしませんでしょう」
「つまり、その絶対しない事をアンタはしたんでしょ!」
「仮にも格上の私に最低限の敬意を払うぐらいはなさってください。それが貴族令嬢というものでしょう」
「レオポルト、また言われた」
「可哀そうに…。心配しなくていい。もう、お前を苦しませる事はない。俺がきっちり処分してやるから」
「レオポルト!」
このまま二人だけのお花畑に行かれても厄介ね。
「ではいつ私が貴女を貶めたとおっしゃるのかしら?」
「会うたびによ。ドレスに泥をかけたり、普通に歩いていただけなのに、階段から突き落とそうとしたり…」
レオポルトの胸の中に顔を埋めながらメイアーはすすり泣いた。
「学院の校舎は学年ごとに違いますでしょう?一学年上の私とメイアー嬢が会う機会なんてそうないと思うのですけれど?」
「屁理屈言わないでよ。皆、見てるのよ!」
「その皆とは誰をさしていらっしゃるの?」
メイアー嬢は王太子以外の男子生徒達とも仲がよかった。校舎をただ歩いていただけなのに、彼らから身に覚えのない言動を咎められた事が一つ二つどころか数十個はある。対応するのは地味に面倒だったのはそれほど遠い昔でもないが懐かしくも思う。しかもそのすべての生徒が王政内に力を持つ上級貴族の子息ばかりだったのはただの偶然ではないはず。
さらにしだなれるメイアーの胸がレオポルトの肌に圧迫感をかける。
そのたびに頬を染める彼にやはり何の感情も湧かない。
「どこまでも意地の悪い女だ。謝罪でもすれば許してやろうと思ったが、これ以上、俺の愛おしい女性を愚弄するならその首をここで斬ってやる!」
今までの会話のどこをどう聞けば愚弄しているという解釈になるのか、ますます頭が痛いわ。
ついに腰にぶら下げている剣を抜いたレオポルト。
場内の雰囲気が変わった。しかし、それは剣先がステラへ向けられているからではない。
突然、彼女を守るように長身の男が現れたからだ。魔法使いである事が一目でわかるローブを羽織った黒髪と金色に輝く瞳。
「サルバトール卿。どうして?」
「すまない。大切な貴方がこの男の汚れた悪意にさらされるなどこれ以上耐えられない」
サルバトール卿はステラの腰をガッチリとした腕で引き寄せた。
状況を見守っていた貴族夫人たちが黄色い声をあげた。
「なっなんだ貴様は…。私を誰だと…」
「まあ、殿下。アルベルト・サルバトール卿をご存じないのですか?最年少で魔法塔の最上位の魔法使い…魔導士の称号を手にした天才ですのに…」
「ステラ様に褒められるのは嬉しい限りですが…」
レオポルトに冷たい視線を送るアルベルトは向けられた剣先に優しく触れるだけで、その刃をまるで柔らかい布のように小さく丸めてしまった。
さすが、この国の権力を王家と二分する魔法勢力のトップに20歳の若さで上り詰めた男。やる事が派手だわ。息をするように甘い言葉を吐かれるのは勘弁してほしいけれど…。
「ひっ!」
さっきの威勢はどこへやら、青白い顔でブルブル震え出すレオポルト。メイアー嬢はさっきまで王太子にベッタリだったと言うのに、なぜかその恍惚とした覇気が宿った瞳をアルベルトに向けている。
どこまでも、貪欲な女だこと…。
ここまで見境がないと滑稽というよりは尊敬すら感じるわ。
「ステラ様。正直、貴女様から聞かされた話に乗る気にはならなかったのですが、私もこの国で生まれ、育った身。愛着もあります」
流れるようなしぐさでアルベルトはステラの手を取った。
この流れはもしかして…。
「では、申し出を聞き入れてくださると…」
「ああ。何より、ステラ様を愚弄したこの男への罰は魔法塔の主としての権限だけでは足りないですから…」
「おやめください。この件は私と殿下の問題」
「しかし、私の傍にいると約束してくださったステラ様を守るのは必然だろう?」
含みのある重低音の美声が背中を駆け抜けていく。
「守るのは私であってアルベルト様では…。それにこれから、この方は身をきられるような思いをする事になるのです。大目に見てあげてくださいませ」
丁寧にステラはアルベルトに礼を述べた。この先は自分に進めさせてくれと懇願の意味を込めて。
その思いを汲み取ったのか、彼は小さく頷いた。
本来なら、レオポルト王太子の処遇はもっと穏便に対処したかったが、このように喧嘩を吹っ掛けられたとなると、こちらだって黙ってはいられない。
「護衛兵!王家守護筆頭フワイトタニア家の名において殿下の名を騙った不届き者を捕らえなさい!」
高らかに宣言したステラの叫び声と共に複数の王宮騎士たちがなだれ込み、レオポルトを押さえ込んだ様子を眺めて、初めて彼への少しばかりの同情と切なさが心をざわつかせた。
もういつぶりか分からないわね。貴方に何かを感じるのは…。
短編版の際になんとなく考えていた設定を新たに加えていたら、書き始めておりました。
評価をつけてくださると、書ききるモチベーションにつなげられるかと思います。
よろしくお願いいたします。