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日曜のある午後、自転車に乗って

作者: jima

 私にとって自転車は特別な乗り物です。

 といって私は今流行のスポーツバイクには縁がない。それどころかここ10年くらい自転車に乗った記憶さえない。


 では何をもって特別なのかというと、私にとって自転車は家族の幸せの象徴ともいうべき乗り物なのです。

 今は息子も娘も独立して家を出、それぞれ自分なりの場所で自分の生活を築いています。ですがこの二人の子供と自転車の練習をした数日間のことは私には忘れがたい思い出です。


 そんなわけで今回は皆さんにその思い出を語ろうと…したわけでは全然なく、二人の子供に教えることで自転車に乗れるようになる極意をせっかく開眼させたにも関わらず、その後誰かに教える機会がほとんどないことを私は憂えているのでした。いや、すんごく教えたくてウズウズしてるんでした。

 でも近所に出かけて下手に押し売りしたら通報されそうな気もします。

「あなたの娘さん、自転車乗れますか?うへへっへ」つうのはまずいかもしれません。



 ま、簡単にいうと「お父さん、自転車はこうやって教えるとすぐ乗れますぜ」講座ですね。ずいぶん大きなお世話な感じが自分でもしてまいりました。それも承知で話を進めましょう。


 さて皆さん、自転車を大人が子供に教える図を想像していただきたい。

 だいたいこんな感じかと。

 子供さんがこわごわ自転車にまたがる。お父さんは後ろで荷台を支える。

「さあ、お父さんが持っててあげるからペダルをこいでごらん」


「お父さん、絶対離さないでよ」


「任せとけ。離さないよ」

 お父さんの言葉に子供ペダル漕ぐ。自転車ゆるゆると進む。


「お父さん、怖いよ。倒れるよ」


「ダイジョーブだ。お父さんが持ってる」


「うわわわ。倒れる」

 自転車グラグラする。


「頑張れ。漕ぐのだ。死ぬ気で漕ぐのだ。俺がついてる」

 子供、父親の声がやや遠くにあることに気づき、または若干車体の揺らぎが大きいことに気づき、後ろを振り返る。


「あっ、お父さん。持ってないじゃん!うわっ!」

 ガシャン!


「痛いよ!血が出てる!お父さんの嘘つき!」


「大丈夫だ。さあ、もう一度」


「嫌だよ。痛いもん」


「大丈夫、お父さんが支えてるから」


「…嫌だよ。お父さん、そう言って途中で離すもん」


「ハナサナイヨ」


「お父さんの嘘つき!もう止めた!」


「そんな弱い子に育てた覚えはないぞ!」


「そんな嘘つきのお父さんに育てられた覚えはないよ!バーカ!」


「あっ、何処へ行くのだ?」


 かくしてひとつの家庭が崩壊を迎えるのです。


 この教え方にはいくつかの欠陥があります。

 ①乗れるようになるまでに何回か怪我をする確率が高い。

 ②乗れるようになるまで時間がかかる。場合によっては嫌になって練習が中断し、結局乗れないままになる可能性もある。

 ③子供はお父さんに対して不信感を持ち、家庭は崩壊する。


 スポーツの練習でもそうなのですが、怒鳴られたり、痛い目にあったりして覚えることというのは一種のトラウマです。この場合、上手くいくのは指導者にカリスマが存在し、練習者がその存在に心から酔っている時なのですね。たまにそういうコーチがいて、多くの凡人が真似をしますが上手くいくわきゃないのです。トラウマとカリスマは字面が似ているようで全く違うのです。似てないですか。


 考えてもご覧なさい。セカンドを守る野球初心者のあなたの前に強めのゴロが転がってきます。当然心臓の鼓動が激しくなりますよね。そんな場面でドキドキするあなたの脳裏に浮かぶのが、以前ミスしたときに叱責されたコーチの般若顔や怒鳴り声だったら、うまく捕球してファーストに投げる自信はありますか。


 成功体験が重視されるのはここなのです。人は何かが上手くいったとき、賞賛の言葉が与えられたり、笑顔が向けられたり、褒美が与えられたりとキチンとしたタイミングで嬉しい反応があれば快感を覚え、それが次の成功へと繋がるのです。

 「うまくいった」→「ほめられた」→「次もきっとうまくいく」→「自信をもった動作手順」→「さらなる安定的な成功」…単純なことですがこれはコーチングの鉄則です。


 何だか大げさな話になりました。自転車の教え方でした。

 なぜ初心者は転ぶのか。

 自転車の推進に関わる物理法則を顧みるに『自転車は普通に乗ったら転ばない』のです。

 そう、ペダルをこぎ続けたら転ばないようになっているのが自転車なのです。プラモデルの小さなタイヤを転がしてみましょう。勢いよく転がっている状態から突然倒れた場合はあなたの家の床に欠陥があるか、地震が発生した場合です。


 自転車が転ばないのは『ジャイロ効果』といわれる科学原理ですが、それだけでなく重心がそのタイヤの上から出ていかないようになっている自転車の構造によります。

 ただこういう構造であっても、わざと重心を外へ移動させようとするようなヤバい操縦者がいれば当然転びます。そんな人がいるでしょうか。いるんです。乗れない人ですね。これは「乗れないと思っている人」とも呼べます。


 逆に「自転車に乗れる人」とは「それが当たり前だと思っている人」と言い換えてもいい。自転車に乗れる人はどうしたら倒れないかなど考えもしない。倒れないようにしようと頑張るその操縦者の挙動こそ自転車が倒れる原因となるのです。


 思い出してください。

「頑張れ。大丈夫、俺が支えている」

(あっ、誰も持っていない)「お父さんの嘘つき!」

 パニックになり不安と怒りで暴れる重心、慌てて倒れまいと力んでグリグリ動かすハンドル。

 ガチャン!「痛いよ~!ばかー!」

 そして家庭崩壊…の流れを。


 出来ないと思っている人は出来ない方向に物事を力強く持っていってしまう。

 会社でチームに最も不要な人材とは、単に仕事が出来ない人ではなくて、無理だと口に出してしまう人なのです。ため息の出るような失敗をする彼ではなくて、誰かの失敗にため息をついてしまう周囲なのです。失敗に懲りない彼女ではなくて、失敗する理由・撤退する理由を探しているあなたなのです。


 はっ。私は何を言っているのでしょう。自転車の話をするのでした。


 自転車の練習でお父さんがついているべき場所は後ろではなくて、自転車の横、操縦者の傍らです。

 自転車の横についてハンドルを支え、練習者と同じ方向を見て一緒に早足で歩いてあげればよいのです。見つめ合う二人より同じ方向を向く二人の方が強い絆があるとよく言われます。ここでは特に関係ありませんが。

 

 ハンドルが曲がらなければ、自転車は倒れません。練習者が足下を見たり、後ろを振り向いたりしたら重心がタイヤの外に出やすくなります。一緒に前を向いてあなたの早足にあわせるくらいに自転車をゆっくり走らせます。ハンドルはあなたが固定するのです。ハンドルの固定は多少腕力がいりますが、子供用なら大丈夫、ゆっくり走っている状態であれば支えられます。


 全然乗れない状態でドシンバタン倒して、傷だらけになって、ある瞬間から「乗れる!」ってその方が不自然です。そう見えたなら、練習者自身が無自覚にいろいろ克服していったのが見えていないだけです。それじゃあ褒めるポイントがないですよね。練習にあなたは関係なかったことになります。


 チームで何かをやるということは関係性を活かすということ。この場合、コーチの仕事は『自転車に乗れるようになる』という目的に合わせて『乗れる乗れない』という練習者の大問題を『ペダルを連続して漕ぐ』『ハンドルを曲げない』『視線をコーチと同様にする』など小さな課題に分解することです。

 練習者から見えにくい小さな課題解決が成功体験の積み重ねとなっていきます。

 プロジェクトチームに必要なのはその小さな課題と進捗状況を言葉にできる人間なのですね。


 あらら、また自転車から離れていきそうです。どこまで行きましたかね。私の話も自転車もうっかりすぐに遠くへ行きそうです…などとうまいこと言ってますね、私。そうでもないですか。


 倒れない自転車に乗った練習者に付き合って、何回でも公園を往復してあげてください。そうです、それこそ飽きるまで一緒に歩いてあげればいいのです。いずれ子供の方が飽きます。

「もういいから手を離してよ」


 このセリフが出たなら、その時点であなたの役割は終わっています。

 なかなか先へ進まないようでしたら、今度は一緒に大きく公園を回っていきましょう。大きなカーブをゆったりと例によってハンドルを支えて回っていきます。右回り、左回り…少しずつツトムくんは自分のコントロールであっちのブランコ方向やこっちのジャングルジム方向に向きを変えていきます。のんびり話をしながら一緒に歩きましょう。


「なあ、ツトムは将来何になりたいんだ」

「ツトム、クラスに可愛い子いるのか?」

「ツトム、最近どないやねん。ぼちぼちなんか」

「ツトム、お父さん、会社でしくじって今ヤバいんだ」


 こんな時間も悪くないと思いませんか?

 いろいろ話している最中にあなたのハンドルを支える手もそんなに力が要らなくなっているはずです。

 ツトムくんもお喋りしてたらお父さんの手がいつの間にか離れていることに気がつかないかもしれません。

「お父さん!手が離れてるよ!」


「おお、本当だ。話してたら離してたな。ウププッ、お父さん上手いこと言ったな」


「お父さんの馬鹿!嘘つき!」


 そうはなりません。もう離しても大丈夫。その時期は自然とくるものです。

 「今日からお前は一人前」とかじゃなくて父親は何かふとした時、息子がもう支えられてばかりいる保護対象ではなく、自分の横に立つ一人の大人だと気がつくのです。

 私は息子に仕事の愚痴を零し、彼から落ち着いた口調で「だよね、お父さん。いろんな人がいるよね」と諭されたとき、もうこいつは俺の保護下にあるあの泣き虫でなく、同じ一人の男なんだなと思ったものです。


 …何の話でしたっけ。


 そうでした。自転車は私にとって特別な乗り物です。

 息子と娘の練習につきあった日々は私の中で幸せな『家族の時代』の象徴かもしれません。

 もし幸福という名のアプリがあるのなら、夕暮れに練習を終え帰宅する自転車を引いた私と隣に歩く息子のシルエットはそのアイコンなのです。



 自転車の練習の話だけに内容もフラフラと迷走しました。読みづらかったことと思いますが、最後までお付き合いいただき本当にありがとうございます。

 次回「一輪車にうまく乗れるようになる方法」でお会いしましょう。嘘です。一度も乗ったことありません。乗れる気もしません。つまり無理です。人は乗れる気がしないものは乗れないものなのです。

 文中での主張と矛盾はありません。と思います。






 



読んでいただきありがとうございます。皆さんは今でも自転車乗りますか。私は根性がないので、電動アシストつきの自転車をカタログで探してます。

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― 新着の感想 ―
[一言] ちょうど下の子が先日自転車に乗れるようになって、この暑いなか一緒に自転車を乗り回してます。 練習の時に、荷台持っちゃってた~ もう少し早くこのエッセイに出会えていれば、ハンドル横に立つレッ…
[一言] すごーく面白かったです。何度も迎えてしまう家庭崩壊笑。自転車に乗るってこんなに一大イベントだったんですね。 確かに子どもの頃は何度か転んで、3日目にいきなり乗れるようになった不思議。でも失敗…
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