9.モンスター王女ベリンダ①
慌てて入室したルチアの目に、ふんぞり返って椅子に座るベリンダ王女が写った。ざっと見渡したが、ルチアの敬愛するセレーネ妃もその夫であるベネディクト王子も不在だ。
(あれ? いつの間におふたりは退室したの?)
視線を壁際に控える侍女頭に向けると、よろしいとでも言いたげに頷いた彼女がルチアと共にベリンダ王女の前に立った。
「お探しの侍女はこちらの者でしょうか」
「そうそう、その子」
侍女頭が畏まって問えば、ベリンダ王女が鷹揚に答える。
「ねえ、おまえ。さっきのお茶美味しかったわ。もう一回淹れてよ」
「ただちに」
どうやらお叱り等ではないらしい。ルチアはすぐさま仕度をするために控室に戻った。
控室では、ファナがすでにワゴンに新たな茶器を用意してくれている。簡易コンロでミルクを温め直していると、ファナがこっそりとルチアに耳打ちした。
さきほどルチアがこの場を離れている間に、王子夫妻が退出したことを。
セレーネ妃はルイ殿下が泣き止まないとのことで乳母に呼ばれ退出した。
ベネディクト殿下はそのあと、なんやかんや理由をつけて部屋から出たらしい。
「あれ、王女から逃げたのよ。だってなんだか隣に座って密着されそうだったから」
「隣に座って密着?」
「そう。セレーネさまがいなくなった途端、椅子を動かしてくれっていう王女の声が聞こえてね。びっくりしてこっそり覗き見してたら殿下のお隣に密着しようとしてたのよ」
「なにそれ」
「侍女頭さまもバラデスさまも護衛の人たちも、みんな引き攣った顔して怖かったわよ」
さらに怖いのは、そんな空気をものともせず、笑顔を振りまいてベネディクト王子へ接触を試みるベリンダ王女の姿だったとか。
「なんか……他国の王女さまにこんなこと思うのは不敬なんだろうけど……王女っていうより酒場の女みたいよね」
「酒場の女?」
「そう。酒場に来るお客にお酌して、どんどん売り上げをあげるやり手よ。場合によっては身体も使うらしいわよ」
「身体も使う?」
「酔い客に触ったり自分を触らせたりして、いい気分にさせるの」
そんな世界もあるのか。
ルチアには寝耳に水であった。
◇
「失礼します」
場をもたせるためであろうか。
バスコ・バラデス卿がベリンダ王女の横に立ち対応している。侍女頭がほっとしたような顔でルチアの入室を迎えた。
「お客さまのご機嫌を損ねないよう、注意なさい」
こっそりとそんな助言をルチアにしたが、ルチアにはなにが正解なのか分からない。分かるのは場の空気が重いということ。だというのに、ベリンダ王女は気にしていないということ。
部屋の隅には他の護衛と一緒にグスタフの姿もあった。
(ベネディクト殿下がここにいないのに、グスタフはなんでいるんだろう)
ルチアの疑問は顔に出ていたらしい。
彼女の視線の先を追った侍女頭がこっそりと耳打ちした。
「殿方の目が多いと暴走しないそうです」
――はい?
なにが?
ルチアの脳は疑問符に埋め尽くされた。
(侍女頭さま、目的語を省かないでっ)
『暴走しない』とはどういう意味で?
なにかを慮ってのことだと推測できるのだが、それは果たしてルチアの想像どおりなのだろうか。
逆に言えば、女性ばかりだと暴走する『なにか』。
恐らくきっと、ルチアは今からそれにお茶を淹れなければならない。
(ひーっ。なんだか余計なプレッシャーを感じるっっっ)
さきほどは、国宝級の茶器を守るためという目的があったので、さほど気負わずお茶を淹れることができた。
でも今は。
期待に目を輝かせている王女(他国の。殿方の目がないと暴走するという厄介な)殿下のお気に召すお茶が淹れられるだろうか。
(どんなお客さまでも同じよ。心を込めたおもてなし。だれにも後ろ指さされない所作。わたしが目指しているのは『完璧令嬢』だったセレーネさまなんだもんっ)
そのセレーネ妃に言われているのだ。
『あなたには落ち着きというものが必要です』と。
(落ち着いて。いつもどおりでだいじょうぶよ)
温めておいたカップに、やはりこちらも温めたミルクを少量入れる。その上から紅茶を注ぐ。高い位置から注ぎ入れれば、自然と攪拌されるからスプーンは必要ない。
(この王女さまの所作が乱暴だって聞いたから、スプーンを使わないで済むようミルクティのミルク先入れを選択したんだけど、まさかお代わりを所望されるとは思わなかったな)
ミルクティを淹れた茶器を静かに卓の乗せ、王女に勧める。余計なことは言わずに側に控えれば、ベリンダ王女は満足そうな笑みをみせた。
「やっぱりウナグロッサの茶葉はいいわね。おまえ、わたしのためにこの茶葉を選んだんでしょ? そういう賢い子、嫌いじゃないわ」
ウナグロッサの王女にウナグロッサの茶葉を勧める。
なるほど、王女のために特別な便宜を図ったように感じたということか。
(とはいえ、偶然ですよー。ほんの数日まえにあなたのご令姉さまがいらしたから、そのとき特別にウナグロッサの茶葉を仕入れたんです。その残りなんです)
数日前にセレーネ妃主催でお茶会が行われた。彼女が講師を勤めたときの教え子を招いての気の置けないお茶会だったのだが、その場にリラジェンマ王太子妃殿下も招かれた。順列的に最上位にあたる人をもてなす目的で、彼女の出身国である隣国産の茶葉も特別に用意したのだ。
今回、ベリンダ王女へ提供したものはその時の残り。
いわば偶然。好意的に解釈してくれてありがとうございますと言いたいくらいだ。
思わぬ場所で得点を稼いでしまったらしくてこそばゆいルチアである。
とはいえ、否定するのも角が立つ。“おそれいります”とだけ言って軽く頭を下げた。
「おまえ、センスもいいし気が利くし。気に入ったわ。わたしの専属としてつきなさいよ」
「……は?」




