7.そのモンスターの噂
キャトゥルグロスの茶器を回収したルチアは、それをきちんと洗浄するために厨房横にある洗い場を訪れた。
本来、洗い物は洗い場を担当する者に任せるべきである。しかし今回のキャトゥルグロスの茶器に限っては話が違う。国宝級でもあるし、これの手入れを任されたのはルチアである。彼女にはそれをきちんと洗浄し収納場所まで戻す責任があった。
ルチアが茶器を洗っている背後で、厨房担当の下級メイドたちが噂話に花を咲かせていた。
「なんかね……昨夜の舞踏会が終わる間近の深夜に、護衛三名を連れただけで来たらしいよ」
どうやら話題の的になっているのは、ウナグロッサ王国の第二王女ベリンダ・ウーナのようである。ルチアは聞くともなく耳を傾けた。
「へ? 王女殿下ともあろう者が護衛を連れただけで? 来たの? 侍女とかは?」
この疑問はルチアも持った。
そもそも『貴族女性』は単独で行動しない。ルチアが街で偶然会った親友も、日傘を持った侍女を帯同させていた。子爵家を継いだ彼女が『ただ外出するだけ』でそうなのだ。『王女殿下』が『他国へ』来るのに護衛だけを帯同させて、なんて有り得ない。侍女がいなければ普通に生活すらできないはずなのだから。
「迎賓館勤めの人からは『護衛三名と共に』としか聞いてない」
「身の回りのお支度はだれがやってるの?」
(うんうん。それよ、知りたいのは)
力を入れ過ぎたら割ってしまいそうなほど薄い茶器を気にしつつ、ルチアの耳はウサギよりも長くなった。(心象)
「迎賓館の侍女がやってるらしいんだけど、酷いわがまま王女でみんな持て余してるみたい」
(あー……まぁやっぱりそうなるか。迎賓館担当のみなさん災難だったねぇ……って、迎賓館担当の人って、わりとクレーム対応に慣れているベテランなんだけど? 熟練揃いなんだけど? そんな人たちが持て余すほどなの?)
「わがまま? 他国にいるのに?」
「出された夜着の色が気に入らないって交換させられたり、湯浴みを所望されたから用意したのに入らなかったり、髪の梳かしかたが悪いって叩かれたって」
(うわぁ……やりたい放題か)
ルチアは噂話を耳にしつつも、きっちり拭いた茶器を柔らかい絹の布で包み専用の箱に仕舞った。これで国宝は守られた。一安心である。
「え。ちょっと待って。“出された夜着”って……着替えも持たない状態で来たってこと?」
「侍女も侍従も来てないんだから、そういうことだよね」
(そりゃそうだ)
着替えをケースに仕舞う侍女も、それを運ぶ侍従も連れて来ていないということは……着の身着のままで来ている、ということになる。自分で着替えを持ち運ぶ王女なんていない。
(わたしが実家に帰るんなら自分でトランクに着替え詰めてさっさと運んじゃうけどね……あ、だけどリラジェンマさまは身一つで来たんだっけ? いや、王太子殿下がお支度品も従者もぜんぶ置いてこさせたんだっけ)
「え? じゃあ今日着ているあのどう見てもナイトドレスは? 持って来たわけじゃないの?」
「さあ?」
そこへ厨房の勝手口の扉を開け、メイドが入ってきた。
「新情報! 今日の午前中にリーキオッタ商会が山ほどお衣装を持って迎賓館に来たんだって! その中から選んだ一着を今お召しになっているそうです!」
どうやら今入って来たメイドは迎賓館で情報収集していたのだろう。新たに仕入れただろう情報を面白おかしく仲間たちへ披露している。
「リーキオッタ商会って……王妃殿下お抱えの、妃殿下ご自身がデザイナーをされてる服飾専門のあの?」
「そうそうあの。んで、王女さまはドレスの山に囲まれて上機嫌。選びに選んでながーーーい時間かけて本日のお茶会用のお衣装を選んでお過ごしになったそーでーす」
「あぁ……だからお茶会の時間に遅れてきたってこと?」
「着付けにもそれなりの時間がかかるもんねぇ……」
「ちなみに着付けを手伝った侍女が『このドレスをお茶会で着るのはいかがなものか』って助言したらしいんだけどね、すぐその侍女を下がらせちゃったんだってさ。ヒステリックな叱咤付きで」
「……まっとうな意見を言った人を遠ざけた、ということか」
「聞く耳は持たない人なのね」
「痴女だってファナさんがさっき言ってたよ」
(なるほどなぁ。厄介な王女さまってわけだ)
王子夫妻へ挨拶をした場面だけでも“厄介”だと理解してはいたが、その感想に太鼓判を押されるような続報だった。ルチアは溜息をつきながら国宝級の茶器を納めた箱を茶器専用保管庫へ納めた。
(とはいえ、王女への嫌がらせであの派手派手しいドレスになったんじゃなくて良かったわ。うすうすそうじゃないかとは思ってたけど、あれがご自分で選択した結果だってことならグランデヌエベ側に非は一切ないってことだもんね)
ルチアは厨房に戻り、大きめのケトルにお湯をいれ応接室へ向かおうとした。
その途中、夫グスタフ・アラルコンとばったり出くわした。




