3.ルチアの悩み
(だれも思わないよねぇ。結婚二年も経ってる夫婦が未だに同衾なし……だなんてさ)
いや、同じベッドで寝てはいるのだが。
『白い結婚』状態ではいやはやなんとも。
(お互い忙しくて、ベッドへ誘っても“明日(の業務)があるから”って眠っちゃうんだよねぇ……)
そんな生活も気がつけば二年。
(わたしに魅力がない、からかなぁ……)
自分の胸に手を当てる。なくはない。あるにはある。けれどすべての男性を魅了し圧倒するだろうサイズではない。
鏡を見れば、泣きそうな顔をした女がいた。
ピンクブロンドの髪と、晴れ渡った空色の青い瞳。自分で見ても『可愛い』に分類されてしまう容貌。全体的に小柄で細い手足。
どんなにトレーニングを積んでも筋肉がつかない薄く頼りない身体。女性としての魅力も足りない。つまり、どこまでも自分は『こどもっぽい』のだ。
(こんな風にこどもっぽいから、グスタフは手を出さないのかなぁ……)
ふとリラジェンマ王太子妃殿下を思い出した。
二ヶ月前に王太子が自ら選んで連れてきた女性だ。
あの方も小柄で可愛いと言って差し支えない容貌であった。
けれど、彼女はさすがに隣国の王女殿下だ。清楚かつ可憐でありながら、なんともいえない王族オーラがあった。
(可愛いのにどこかキリっと厳かで……プラチナブロンドのお髪がキラキラして冬の妖精みたいなお方だったなぁ。そのくせ微笑まれると春の陽だまりみたいで……王妃殿下と王太子殿下が競うように貢ぎ物を贈ってるって話だし……王太子さまも溺愛してるって噂だし……可愛いけど子どもっぽくない。ちゃんと大人の女性だ……)
リラジェンマ王太子妃殿下がこの第二王子宮に訪問した記憶も新しい。
ルチアが敬愛してやまないセレーネ妃はもとより、夫のベネディクト王子殿下や、この宮の真の主といっていい一歳のルイ王孫殿下すらリラジェンマ殿下をすぐに気に入ってしまった。
一目見て思うところがあったらしいルイ殿下は、乳母の抱っこから自分の意思で地面に降り立ち(実はこれ、珍しい)、リラジェンマ妃殿下の前までよちよちと歩いて彼女の前に立ち塞がり両手を上げて「んっ!(抱っこ!)」と強請ってらした。
幼児に立ち塞がれた妃殿下は、暫く彫像のように固まってルイ殿下と見つめ合っていたが(傍で見ていたルチアはハラハラした)、あの翠の瞳を柔らかく光らせ微笑んだ。
『わたくしがお抱きしてもよろしいのですか?』
穏やかなお声でルイ殿下に話しかけたあと(ルイさまはその間ずっと両手を上げて抱っこをせがんでいらっしゃった)、やさしくそっと抱き上げてくださった。
ふたりの可愛らしいやり取りは、セレーネ妃はもとより同席していたベネディクト殿下も目を細めて見守っていた。
(ふだんは人見知りの激しいルイさまが、リラジェンマさまには自分から近づいて抱っこをせがんでいらっしゃったものねぇ……そのあとずっとぺったりくっついてたし)
あれ以来、リラジェンマ妃殿下はルイ殿下のお気に入りとなった。
『今日はリラさまがおみえになりますよ』という一言を一歳の幼児であるルイ殿下へ告げると、とたんにご機嫌になる。すこぶる良くなる。お付きの者としては仕事がしやすくなった。
第二王子宮に勤める人間はすべて、リラジェンマ王太子妃殿下の訪問を待ちわびるほどになったのだ。
そのルイ殿下がセレーネ妃の胎内にいたころ。
学園生だった当時のルチアは生まれてくるセレーネ妃の子どもの乳母になりたかった。だが、当然と言えば当然の話であるが『乳母』になるには本人にも赤子がいて授乳可能でなければならない。セレーネ妃の代わりに乳を与える大事なお役目を担うのだから。
(あのとき“妊娠して乳母になりたいの”って話をグスタフにしたけど、“そうか”っていう返事だけだったなぁ……)
あのころのルチアは学生寮に住んでいた。
グスタフとデートをしても、彼は夜の早い時間にはちゃんと寮へ送り届けてくれた。外泊なんてこと、一度もなかった。
ちょっと味気ないな……なんて思っていた。
そんな状況をなんとか打破したくて一生懸命考えた一手。
ルチアとしては精一杯考えて迫ったつもりだったのだ。
これでグスタフがルチアとの関係を深いものにしてくれれば、一石二鳥の作戦になると思った。けれど、グスタフからはたった一言の軽い返答があっただけ。
とはいえ『こどもが欲しい』とねだる女子に対して、口下手なグスタフが『俺が協力しようか?』なんて軽口を叩くわけないのだ。
やはりあれはルチアのアプローチを意図的にスルー(聞かなかったことに)したのか。
それ以前に、アプローチだと気付かなかったという可能性もある。
ルチアは思う。
恋人同士で濃密な夜を過ごし朝にはにかみながら可愛らしいキスをする……なんて御伽噺に違いない。あるいは都市伝説。
単細胞生物ではないルチアにとって、妊娠するために殿方の協力は絶対必要不可欠だ。
けれど『夫』とは清い仲。妊娠なんて夢のまた夢だ。
健全なお付き合いしかしたことのないルチアにとって、『結婚式』は最大のチャンスだったのかもしれない。だって絶対『初夜』がある。周囲がそういう風にお膳立てする。
初夜らしい初夜がなかったのは、ルチアがすぐに働き始めたせいだと今ならわかる。
慣れない王宮での仕事でへとへとになって、夜はすぐに寝てしまった。新婚であるはずの夫を放置して。
(思い返すにつれ……わたしって鬼嫁だわ……)
念願の第二王子宮に勤めることが叶い、浮かれてもいた。
そこに勤められたのも、夫グスタフのお陰だというのに。
進路に悩んでいた在りし日のルチアに、グスタフは提案したのだ。
『確実に第二王子宮に就職先が決まる方法があるのだが……』
『確実に?』
『あぁ。王宮勤めには採用試験を受けて入る方法と、縁故採用という方法がある』
『縁故』
思ってもいなかった裏技に自分の目が輝いたことを自覚した。
『採用数は少ないが、殿下直属の配下になる方法だ……俺がベネディクト殿下に直接推薦すれば』
『殿下に直接』
『俺は、自分で言うのも憚られるが……殿下の信任厚いと思う、ぞ。その信任厚い騎士の妻、となれば……王宮経由ではなく、直接第二王子殿下の配下になれると、思う……ただ、それには……身内でないと……つまり、その』
ルチアはグスタフの言わんとしていることを理解した。
自分の妻になれば、信任厚い騎士の妻として家族ぐるみで殿下に(ルチア的には殿下の奥方に)仕えることが可能になると。
なんという素晴らしい提案だろう!
ルチアの就職先の問題も解消されるうえに、大好きなグスタフと結婚できるのだ!
その話、全力で乗った! とばかりに光の速さで食い気味にした返事が、自分たちのプロポーズのことばになってしまった。
『結婚してくださいっ! グスタフさまっ! いますぐにでもっ!』
こうして婚姻届けを提出。ルチアは『ルチア・アラルコン』になった。
グスタフは約束どおりベネディクト王子に自分の妻の第二王子宮勤めを推薦してくれた。一応、形だけとはいえ採用試験を受けた。採用水準に達する試験結果に、王子はルチアの採用を許可し現在に至る――のだが。
すぐにでもセレーネ妃に仕えたかったルチアの意思が尊重され、結局自分たちの結婚披露宴は行わなかった。学園卒業式の当日夜から勤務についた。
気がつけば、白い結婚のまま。
今晩はふたりでゆっくり過ごせるかな、なんて思って待っていてもグスタフは思わぬ夜勤に入っていたり。
お互い、なかなか休みを合わせられなかったり。
いまさら、誘い方も迫り方も分からない。
小さな擦れ違いが続いて、あげくにどうしていいか分からなくなって、ついついグスタフに不満をぶちまけた。
『わたしと仕事、どっちがだいじなの⁈』
自分の態度を棚に上げて言っていいことばではなかった。職場目当てで逆プロポーズするような自分なのに。
むしろ絶対言ってはいけない一言だった。
(ちゃんとした披露宴って意味があったんだなぁ……)
偶然街で出会った友のことばを思い出す。
なし崩し的に妻に収まり一般的な披露宴を行わなかったせいで、ルチアは周囲から『新婚』だと認識されていなかった。なんなら結婚しているとも思われていなかったらしい。子どもっぽいルチアの容姿も要因かもしれない。
勤務形態を配慮してくれたのは結婚してから一年以上過ぎてからだったし、その頃にはなんだか夫とぎくしゃくし始めていた。
(お互い、相手の出方を気にし過ぎて身動きとれなくなってるかんじ?)
お互いが気にし過ぎているだけなら、まだいいと思う。
(もしかして……わたしにたいして“そういう気にならない”とかだったら、どうしたらいいの?)
そもそもルチアに対して、彼はそういう情動を持てないのかもしれない。
好きだと告白されて付き合ったのは確かだ。
けれどあれは、小さなこどもに対する庇護欲とか保護者意識が働いたのだとしたら。
だから付き合ってくれていて。
そういうわけだから、深い関係にならなくて。
そこへ勢いで逆プロポーズされて、今に至るのだとしたら。
妻という立場すら、怪しいのではなかろうか。
(こんな根本的な問題に二年も経って気がつくなんて……!)
大きくて温かくて優しいグスタフ。
いつも険しい表情の多い彼が、ふいに見せてくれるやわらかい瞳と温和な空気。
大きな手で背中をぽんぽんと撫でられて落ち着いて。
逞しい胸に顔をつけてうっとりして。
(わたしの方はこんなにも大好きなのにっ)
結婚して同僚になったのだからと、彼のことは『グスタフ』と名前を呼び捨てにするようになった。
でも彼を『グスタフさま』と呼び憧れていた学園生のころのルチアも、心の奥にはちゃんと存在している。
わりと口が回るルチアでも、軽々しく言葉にできないこともある。
(はっきりと抱いて下さいって言えばよかったの? あぁ、でもはっきり言って拒絶されたらどうしようっ⁈ もしくは顔を逸らされたりしたら? グスタフさまに迷惑がられたら? 困らせたら? ただでさえこんな鬼嫁なのにっ⁈)
悩めば悩むほど答えは出ない。ひとりでぐるぐると同じ場所を堂々巡りする迷宮にはまり込んでいる心地になる。
(先輩方の言ってた“ゆっくり話して、らぶらぶに持ち込む”って、具体的にはどうやればいいのーーー⁈)
結婚できたからといって、そこはゴールではない。
悩みごとも日々様変わりして尽きることなどないのだ。