14.グスタフ・アラルコンは語る
いや違う。
ルチアにとってこの瞳は、結婚まえデート中によく見ていたものだ。あの頃からグスタフはこんな瞳でルチアを見ていたのだ。
だが結婚後職場が同じになり、日常のグスタフの姿とたびたび遭遇するようになるとその割合が減っていった。
当然かもしれないが、それが少しだけ寂しかったのも事実だ。
(いまでも、こんな甘やかすような瞳を向けてくれるの?)
率直にいえば嬉しかった。
グスタフはルチアのことをまだ愛してくれているのだと実感できる。
馬車で来たときにはもしや離婚を申し伝えるためなのかと恐れ慄いたけど、あれはルチアの早とちりで恥ずかしい勘違いだったんだと思えた。
だが、今、この場――実家の応接室――でのグスタフの行動は、強烈な破壊力があると断言できよう。
(みんな硬直してるよ?)
ちらりと弟を見遣れば、真っ赤な顔で驚き目を剝いている。姉がその夫といちゃつく姿など見たいものではないだろう。
母へ視線を向けると、彼女は両手を組んで『まぁあああああ』とでも叫び出しそうに嬉しそうだ。喜びに満ち満ちている。
そして父は。
眉間の皺がこれ以上無いほど深く深く刻まれた不機嫌そうな顔で、でも笑顔を作ろうとしたのか口元が微妙に歪む、なんとも形容しがたい表情をしていた。
こちらも娘のラブシーンなど死んでも見たくないと思っていただろうに。
ルチアの父、エステバン・デル・テスタ男爵という人は、普段は貴族というより商人として行動していることが多い。
柔和な笑みと穏やかな物腰で商談を成立させる営業のプロフェッショナルだ。そんな人がこんな嫌悪丸解りの表情をするとは、娘であるルチアは知らなかった。
「デル・テスタ男爵。いえ、父上」
グスタフが静かな声で父へ話しかけた。ルチアの手は彼の頬からは離れたが、いまだしっかりとグスタフの手の中だ。
「私は君の父親ではない」
父は不機嫌そうな表情を隠そうともせず、まっすぐな視線をグスタフに向け傲岸に言い放つ。
「……ルチアのお父上」
「我が娘を呼び捨てにするとはけしからん」
グスタフが呼び方を変えても父は態度も表情も変えようとはしない。尊大な態度のままだ。
「……ルチア嬢のお父上」
(いやいや、こんなへそ曲がりな人に付き合わなくてもいいよ?)
ルチアはグスタフにそう言いたかった。
けれど、言えなかった。
グスタフが自分の手をしっかりと握り締め、父と対峙しているから。真剣な表情で、なにごとかを言おうとしているから。
(……止められないよ)
馬車から降りるときグスタフは真剣な目でルチアに言った。『俺、ちゃんとやるから』と。あれはもしかして、父との対面を指して言ったのかもしれない。
父は『ルチア嬢のお父上』という呼びかけには反論しなかった。
その場にしばらく沈黙が訪れると、設置されている置時計の針の進む音が響く。
グスタフが一度喉を鳴らした。
「ほんとうに、申し訳ありませんでした」
彼は父に向って頭を下げた。
またしばらくその場を沈黙が支配する。
ひとつ大きなため息をついた父が重い口を開いた。
「君は、なにを謝っているんだ」
グスタフは頭を上げると正面を、父エステバンを強い瞳で見つめた。
「自分が臆病者のうえに小心者でしかも小賢しいせいで、ルチアお嬢さまを罠にかけ、きちんとご両親にご挨拶もせず、だまし討ちのような形でお嬢さまを我が妻にしてしまった件です」
(罠に、かけられたの? わたし。そうだったかしら)
ルチアの内心をよそに、グスタフはことばを続ける。
「学園でルチアお嬢さまと知り合い、自分はお嬢さまに強く惹かれました。お嬢さまは可憐で愛らしいうえに、その精神が素晴らしく潔くかっこいい女性です。勤勉で真面目、そのうえ向上心もあり非の打ち所がない素晴らしいお嬢さまです。
そんな彼女と結婚したいと思っていた自分には大きなハードルがありました。
自分は天涯孤独です。どこの生まれとも知らない自分を運よく引き取ってくださったのが、武門の誉れとして名高いアラルコン伯爵家でした。そこで教えを受け修業し騎士爵を得ました。アラルコン姓を名乗ることも容認されました。
グランデヌエベ王国王立騎士団で認められ、王太子殿下に目をかけて頂き、第二王子殿下の専属護衛として現在励んでおります。
いま現在はグスタフ・アラルコン卿などと周囲からは呼ばれてはおりますが、ルチアお嬢さまの実家デル・テスタ男爵家より格が低いのは明らかです。
こんな自分が結婚を申し込んでも断られる公算が大きいと思いました。なぜならルチア嬢の元婚約者は伯爵家の子息でありましたから。デル・テスタ男爵はご令嬢をそのような高位貴族へ嫁がせるおつもりだったのでしょう。
なのに、一介の騎士如きにお嬢さまをお任せくださるとは到底思えず……」
そんなことを考えていたのかと、ルチアは目を見張る思いで隣にいるグスタフのことばに耳を傾ける。
「罠にかけたとは、どういうことかね?」
あいかわらず不機嫌そうな父のことばに、グスタフはひとつ深呼吸をしたあと口を開いた。
「学園卒業間近のルチア嬢がセレーネ妃……ベネディクト第二王子妃の側仕えを希望していたのは承知していました。そんな彼女に自分との結婚をほのめかし、自分の家族ならばベネディクト王子殿下直属の部下として採用されるだろうと告げれば、彼女の方から結婚をせかすだろうと踏んでいました。
結果、ルチア嬢からプロポーズされ、まんまと婚姻届けを提出することに成功しました」
「まんまとなんて、グスタフが悪者みたいじゃない! わたしの意思もあってね」
「おまえは黙っていなさい。今はアラルコン卿が話している」
「……ハイ」
「慌てて婚姻届けを提出しそのままにしたせいで、自分たちは結婚披露パーティーを行っていません。それらの経緯をベネディクト王子殿下へ報告したとき、殿下からお叱りを受けました。
女性にとっては一世一代のお披露目の場だというのに、それを省いたのかと。
おまえはおまえのために美しく着飾る妻を見たくはなかったのかと。
そう言われてみれば、惜しいことをしたと思いました。
いつも愛らしいルチアが可憐に着飾ってくれたら――それも俺との結婚披露のためなんて、どんなに嬉しかったことだろう!
自分側に祝福してくれる親族がいないせいで、披露宴など不要だと思っていたことを後悔しました」
ここでことばを切ったグスタフはルチアに顔を向けた。
「ルチア。すまなかった。俺の思慮不足のせいで、きみに晴れ舞台を用意できなかった」
辛そうな顔で後悔を語る夫に、ルチアは首を振ることで否定の気持ちを表現したが伝わっただろうか。
(披露宴なんて要らないって思ったのはわたしもだよ? 騙されていたわけじゃないよ? グスタフだけが悪いんじゃないよ?)
首を振るだけで、なぜかことばにならない。
そんなルチアをやっぱりグスタフはやさしい瞳で見つめる。
「しかも、彼女は周囲に自分の妻だと認識されていませんでした」
そしてまた彼の視線は父へと戻されてしまった。