12.謹慎を受ける
「ベネディクト王子殿下から特別な措置として、ルチア・アラルコンに二週間の謹慎が申し付けられました。その間、王子宮に足を踏み入れることは許されません」
モンスター王女殿下が去った翌日早朝。
自室を訪れた侍女頭から口頭で告げられたルチアは、世界が真っ白に染まったような心境になった。
謹慎。それも二週間も。
昨日はベネディクト王子のお陰で、侍女頭さまからのお説教を回避することができた。だがやはり世の中そんなにうまい話は転がっていないのだ。
自分がしでかしたことの後始末はしなければならないのだ。
解っている。
解ってはいるのだが!
ルチアが敬愛するセレーネ妃のお側に行けないなんて。
あの愛らしいルイ殿下を遠目にも見ることが叶わないなんて。
(ものすごく……ピンポイントで的確な罰です……さすが、侍女頭さまというべきかしら……お仕事させてもらえないなんて……つらいわぁ……)
学園を卒業後、すぐに勤務した。毎日が忙しく、けれどやりがいに溢れた二年間だった。
もはや仕事中毒といっても過言ではないルチアにとって、謹慎を喰らうのは十分過ぎるほどの罰である。
がっくりと項垂れるルチアにバリトンボイスがかけられた。
「行くぞ」
項垂れた顔をあげれば、そこにいたのは夫であるグスタフ・アラルコン。
ルチアがどれだけの時間呆然としていたのか分からないが、いつの間にか侍女頭がいないドアに代わりのように立っていた。
彼は昨夜も帰ってこなくてヤキモキした(話があるって言ったのは彼だったのに!)のが、今戻ったらしい。
だがどうしたのだろう、夫の顔は緊張に満ち満ちている。その眉間に寄せられた皺は、もはやデフォルト状態ではあるがいつものそれより3割増しで苦悩に満ちている。
因みに、その違いは長い付き合いであるはずのベネディクト王子にも解らない程、些細な違いである。
「へ? 行くってどこへ?」
「デル・テスタ男爵家」
「へ? デル・テスタって実家?」
いったいぜんたい、グスタフはなにを言っているのだろうか。学園を卒業して以来、実家とは疎遠だ。一度も帰省していない。
忙しかったのもあるが、なんとなく気まずくて足が遠のいていたのだ。
だって、親には手紙を送るだけという究極に事後承諾な形で結婚してしまったから。
学園生時代、元婚約者が突然婚約破棄を突き付けてきた。
巷で流行りの『婚約破棄モノ』と呼ばれる小説に背中を押されたはっちゃけ行動だったのだが、その『婚約破棄モノ』と呼ばれる小説を流行らせたのは、実のところルチアの実家、デル・テスタ男爵家が経営する商会だったりする。
ルチアの祖母が他国であった実際の出来事を聞き付け、小説という形にして面白おかしく世に知らしめた。その面白さは庶民にまで及び、識字率を高める一端を担ったと当時の王族からお褒めの言葉を賜るほどの快挙だったと聞いている。
その因果が巡り巡ってまさか孫娘自身が『婚約破棄』されようとはと、母親から心配する旨の手紙を受け取った。
正直ルチアにとって好ましいところなどなに一つない婚約者との破談は望むところだった。なので思いっきり便乗して婚約破棄を推進した。自分も泥をかぶるけど、おまえも道連れにしてやるとばかりに、日頃溜めに溜めた不平不満を元婚約者さま(伯爵家のご令息なので不満があってもなにも言えなかった)へぶちまけ、わりとすっきりした。
すっきりとはしたが、心が傷つかなかったわけではない。
年頃の令嬢が婚約破棄を叩きつけられるなんて(それも学園の、人が一番集まる時間帯の食堂でなんて!)醜聞にもほどがある。
元婚約者さまに顧みられなかったのは、やっぱり胸か! お胸が貧弱だからかと悔しさが溢れた。
女としてまだまだ未熟、伸びしろしかないんだと自分に言い聞かせても惨めだった。
そんなときに現れてくれたのが王子の専属騎士であるグスタフ・アラルコンだった。ハンサムさんだったけどそれだけの元婚約者さまと比べ、すべてがルチアの好みど真ん中だった彼の存在に『奇跡の出逢い!』と歓喜した。
実家への手紙に
『婚約破棄したお陰で善き人と巡り会えました! だからだいじょうぶです。心配しないでください。結婚は好きな人とします』
としたため、その言葉のとおり行動した。
今思い返しても、我ながらなんて破天荒な娘だろう。
親は心配しているだろうなぁと理解していた――実際、帰宅を促す手紙も何度か受け取った――が、毎日の生活が忙しくて顧みなかった。
その疎遠になった実家へ行くと夫がいう。
呆然としている間に手を引かれ馬車に乗せられた。
隣にグスタフが座るとすぐに馬車は動き出す。
「え? あの、どうして実家?」
隣の夫を見上げれば、彼はとても怖い顔をしていた。ルチアの言葉など耳に届いていないかのごとく、なにやら思い悩んでいる。
(え? なんで?)
そういえば、先ほど実家へ行くと言ったときの彼の表情も緊張しきっていた。
(まさかこれは……わたしを実家へ帰そうとしてるの? つまり……離婚しようと⁈ そんなっ!)
離婚。
婚約破棄された女は離婚もされるのか。
職ばかりか最愛の夫をも失うのか。
いやだ。
たとえ職を失っても、グスタフを失うのは耐えられない!
「グスタフッ」
自身の膝上に置かれた彼の手を握れば、とても冷たい。彼がいかに緊張しているのかが判った。
手を握られたグスタフは、やっとルチアを見てくれた。
「わたし、このまま実家に戻るなんて、いや!」
大好きな人なのだ。
すべてがルチアの好みのど真ん中で、しかも寛容で優しくて温かくて、だれにも渡したくないと思っているのだ。
ルチアは未熟だ。
たくさん勉強してなんとか毎日粗相もせずに過ごしているけど、やっぱり伸びしろしかない未熟な人間だ。
でもこの人だけは失いたくないのだ!
このときのルチアは、ちょっと……いやだいぶ、感情的で感傷的になっていた。
切羽詰まった気持ちが喉の奥に詰まり、図らずも目に涙が溜まった。ルチア自身が嫌う『涙で男をたぶらかそうとする女』に成り下がろうとしている。
見上げたグスタフの瞳が驚きの表情を乗せたことで、やっとその事実に気がついた。
(だめっ。女の涙で同情を誘おうなんて、卑怯だ!)
ルチアは自身の容姿が愛らしいことを良く理解している。だからこそ、女の武器ともいえるそれに頼るのはいやだった。
だってルチアが好ましいと思うのは筋肉!
パワー!
力こそすべての世界の、なんて潔くわかりやすいことか!
ルチアはいつだって正々堂々と戦いたいのだ!
だがルチア自身はどんなに鍛えても筋肉がつかない。
身体的弱点を補うには、どうしたらいい?
ルチアはどうあがいても貧弱な女性だ。ならば、女性の戦いかたをするのだ!
女の涙などではない、あのセレーネ妃のように他の追随を許さない圧倒的な淑女力だ!
その淑女は簡単に感情を見せてはだめだというのに!
「ごめっ……泣き落としなんて、卑怯、だよねっ」
慌てて手を離したが、逆にグスタフの大きな手がルチアのそれを包み込むように握り返した。
「卑怯じゃない。ルチアはいつも潔くてかっこいい」
「へ」
自分に対することばの中で一番縁遠いものを聞いたルチアは耳を疑った。
『潔くてかっこいい』、とはなんぞや。
「俺は卑怯だ。今のままではルチアに釣り合わない」
「は?」
今グスタフは自分を『卑怯』と言ったか?
彼は王子殿下からの信任も篤い、高潔な騎士なのだが? それが『卑怯』? 幻聴にもほどがないか?
「だから一からやり直す」
「やりなおす?」
思ってもいなかった言葉の数々を聞いたルチアは、どう反応していいのか見当もつかずにぽかんと口を開けてしまった。