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10.モンスター王女ベリンダ②


 「専属……ですか」


 ベリンダ王女のご要望は、『ルチアに自分の専属侍女役を任せたい』ということらしい。

 ベリンダ王女がこの国に滞在している間、ということだろうか。


「申し訳ありません、管轄違いなので」


「カンカツチガイ?」


 一般的な侍女の雇用形態は、王宮に採用されそれぞれの持ち場に配属される形である。

 だが、ルチアの雇用形態は特殊だ。ベネディクト第二王子個人に直接雇われている身である。それゆえ、迎賓館滞在中の王女の専属として就くことはできない。


「はい。わたしはこの第二王子宮専任の侍女でございます。迎賓館にお泊りのお客さまを、この宮以外でおもてなしするわけにはまいりません」


 ルチアは至極真っ当な返答をしたつもりだった。

 気が利くと言われたのは嬉しいし、それゆえ傍に居ろと気に入られるのも、まぁ、有難いと言えないこともない。たぶん。

 とはいえ、ルチアはルチアの(あるじ)をもう既に決めている。いまさら他の人間に仕える気は髪の毛一本ほどもない。


 しかし、ベリンダ王女の返答はルチアの想定の斜め上にあった。


「あら、いいのよ。気にしないで。()()()()()()()()()ですもの」


(……はい?)


 なんてことないという顔でベリンダ王女は答えたのだが。

 なにか、とてつもなく不思議な単語を聞いた気がしてルチアは首を傾げた。


「わたしが決めたことに従えばいいのよ。おまえが気にすることじゃないわ」


(ナニヲオッシャッテイルノカ、ワカリマセン)


「そうね、今回はお父さまに黙って来ちゃったから一旦帰国することになるわね。そのときにもついてきていいわよ。わたし、おまえのこと気に入ったから。ありがたく思いなさい」


(ナニヲオッシャッテイルノカ、トントワカリマセン)


「いずれ王妃……さまになるのですか、オメデトウゴザイマス」


 反射的に口からことばが出たが、なにがなんやらさっぱり分からない。

 この王女はどこの国の王妃になるのだろう?

 輿入れ先でも決まっているのか。あいにくルチアには他国の王族の婚姻事情などわからないので適当に言ってみたのだが。


「あらやだ浮かない顔ね。もっと喜びなさいよ。おまえ王妃付きの侍女になれるのよ?」


 ルチアが王妃さま付きの侍女になる?

 いや、それはあり得ない。

 いま王妃宮にいる王妃さま専属の侍女はベテラン中のベテラン侍女だ。すべての侍女の統括でもある。

 その次に偉い侍女さまは、たしか王太子殿下の元乳母を勤めあげた信任篤い古参の侍女で、殿下じきじきのご指名でリラジェンマ妃殿下付きになったはず。

 そしてルチアの(あるじ)であるセレーネ妃は第二王子妃だ。王妃にはならない。


「いえ、わたしはそんな器ではありませんので……」


 なんだかわけが分からないが、適当に断っておこう。できないものはできない。たしか異国のことわざにもあった気がする。『無い袖は振れない』と。


「遠慮してるの?」


 ベリンダ王女はルチアの戸惑いなどどこ吹く風だ。

 ルチアは遠慮などしてない。事実を言っているに過ぎないというのに。


「今日は予定があるから会えないなんて言われたけど、わたしがウィルフレード王子に会えば全部問題解決よ。このわたしがそうだと言うんだから、おまえも遠慮なんかしなくていいのよ」


(ベリンダ王女がうちの王太子殿下と会えば問題解決? なんのことなの? 困った、なにをおっしゃっているのかさっぱり分からない)


 さっぱり分からないが、もしかしたらウィルフレード王太子の嫁(つまり未来の王妃?)になりたいということなのだろうか。

 ふいに脳裏を(よぎ)ったのは午前中に聞いたベリンダ王女についての噂話だった。

 たしか『ウィルフレード王太子殿下の本当の花嫁は自分だ』なんて世迷言をほざいていたとか。


(えぇぇ? 誹謗中傷系の噂話じゃなくてマジモンの情報だったってわけ?)


 王太子の側近であるバスコ・バラデス卿へこっそりと視線を投げれば、彼は盛大に顔を顰めている。


(王太子殿下の側近がありえねーって顔で嫌がってますー!)


 ベリンダ王女は美しい王女ではあるが、ただそれだけでうちの王太子殿下の心を射止めるとは到底思えない。だって『まるで酒場の女のよう』だと評される王女なんて!

 そもそも王太子殿下は、国内のどんな高位貴族の令嬢であろうと美しいと評判の娘であろうと関心を示さなかった。結婚なんて眼中にないお方だった。

 そんな王太子殿下御自(おんみずか)ら強奪するように連れてきたのがリラジェンマ妃殿下だ。それが覆ることなんてあるだろうか。いや、無いと断言できる。

 とはいえ、それについてルチアが反論してもいいのだろうか。不敬にならないだろうか。


 ルチアが返答に困って首を傾げた時、微かに赤ん坊の泣き声が聞こえた。おそらくルイ殿下だ。そういえばセレーネ妃がここにいない理由はルイ殿下が泣き止まないからだと聞いた。


(どうしたんだろう。セレーネさまがお側にいてこんなにご機嫌が悪い殿下、珍しい)


「いやね。赤ん坊の泣き声ってイライラするから嫌いよ。いつまで泣いてる気なのかしら。困ったものだわ」


「……はい?」


 同じ場所にいるのだ。ベリンダ王女の耳にもルイ殿下の泣き声が聞こえたらしい。彼女は眉間に皺を寄せると辟易とした様子で言った。


「おまえがいないときに、乳母(うば)が母親を呼びに来たわ。まったく、いつまでも泣かせとくなんて乳母失格じゃないの? そんなことに呼び出される母親もいい迷惑よね」


(このひと、なにいってるの?)


 いろんな意味で耳を疑った。

 まず、赤ん坊は泣くのが商売。そういう生き物だ。子育てのベテラン侍女がそう言っていた。泣くことについて文句をいうなんてどうかしている。


 そして『母親』と言ったのはセレーネ妃のことであろうか。ちゃんと紹介されたにも関わらず名前すら憶えていないのか。この王女は記憶力に難があるのか。


 それに乳母だって好きで泣かせ続けているわけではない。その証拠にセレーネ妃が呼ばれている。

 普段のルイ殿下は母であるセレーネ妃が大好きで彼女が傍に居ればすぐ泣き止む。だから、どうにも泣き止まないときはセレーネ妃が対応する。

 逆に『乳母ではどうにもできない事象』があってセレーネ妃が呼ばれたと考える方が妥当だ。

 こんなに長い時間泣き続けるということは、なにかしら別の要因があるはずなのだ。


「ベネディクト王子も息子が気になるからって席を外すし。こどもの世話なんて乳母に任せておけばいいものを」


 付き合いきれないといった感じでベリンダ王女は断じるが。


 ベネディクト王子は妻を深く愛しているが、彼女が生んだ自分の息子も目の中にいれても痛くないような可愛がり方をしている。そんな彼がいつもと違う反応をみせる息子の泣き声に無関心でいられるわけがない。


「そもそも、こどもと同じ宮で生活しているなんてありえないわね。どうなってるのよグランデヌエベの王家は」


(そんな批判を()()()()()()するアナタさまの見識を疑いますがね!)


 この第二王子宮の生活形態など、よその国の姫(ベリンダ王女)には関係のない話だ。したり顔で語られるなど腹立たしいにもほどがある。


 ルチアは表情を変えないまま、腹に据えかねる自分自身と静かに戦っていた。

『大きなお世話だ』と反論のひとつやふたつ言いたかったが、お客さま相手にそんな暴言が許されるはずもない。腹の底のほう奥深く、密かに怒りを溜め続ける。


 ルチアの内心など知らないベリンダ王女は、傍らに立つバスコ・バラデスに顔を向けると尋ねた。


「バスコ。ベネディクト王子はいつ戻ってくるの? 聞いてきてよ」


(バラデスさまのお名前はご記憶にあるのですね? ……なんだかむやみやたら無性に腹立つわぁ……)


 そういえば、ルチアのことを気に入ったみたいな口ぶりだったが名前も聞かれていない。ベリンダ王女にとっては『ピンクブロンドの侍女』なのだろう。

 名前など不要な替えのきく存在。個別認識する気などさらさらないのだ。


(姉君のリラジェンマ妃殿下とは雲泥の差ね)


 王太子宮の侍女が自慢していたことを思い出した。

 リラジェンマ妃殿下に名前を聞かれたと。彼女は一度人の名前を聞くと絶対忘れないと。大臣でも侍女でも側付きの護衛でも庭師でも、その姿勢は変わらないと。

 それはリラジェンマ妃殿下が、関わる人を大切にする証拠なのだと。


 バスコ・バラデス卿がルチアに視線を投げかけた。


(“あとは任せるけど大丈夫?”って言われてる気がするわ)


 どうやら心配しているらしい。ルチアが頷くことで返事をすると彼は退室した。


(任されますけどね、これはもう特別手当が欲しい案件ですっ)


 何はともあれ、どうやらルチアがお客さまの接待をしなければいけなくなった。気を取り直して話しかける。


「さきほど、厨房の噂で聞きましたが……王妃殿下お抱えのリーキオッタ商会から、ドレスが山のように持ち込まれたのだとか……本当のことなのでしょうか」


 ルチアが水を向けると、ベリンダ王女は嬉しそうに話しだした。

 つぎつぎと運び込まれた煌びやかな衣装の数々の話。優美な靴の話。美しいジュエリーの話。

 それらを身に着けた自分がどれほど美しいか。

 この身がひとつなのが惜しい、ドレスにも着る機会を与えてあげねばならない。などなど。


(この王女、自分を飾ることしか頭にないって感じね)

 

 このお客さまに気分よく語って貰う秘訣は、内容を聞かないことだとこの時ルチアは思った。

 内容ではなく、タイミングを見計らって相槌を打つこと。それだけでいい。

 この客はルチアに意見など求めていないのだから。


(おだ)てて、肯定だけしていればいいんだから、この人の相手は案外楽なのかも?)


 ウナグロッサ国の王宮でもそうやって侍女たちに煽てられて過ごしているのだろうかと、ふと憐れな気持ちにもなった。


 同じような話がダラダラと続くのを、ただただ聞いているのも苦痛になってきたころ。

 ベリンダ王女は、好き勝手に話しながら本日のセレーネ妃について触れた。


「やっぱり王子妃本人が子育てに関わるなんてどうかしているわね。王族としての自覚が足りないんじゃない?」


 我慢して我慢して。

 聞きたくもない自慢話を延々と聞き続けた挙句の(あるじ)批判を聞いて。

 ルチアの堪忍袋の緒がぷっつりと切れてしまった。


(『どうかしている?』セレーネさまに対し『どうかしている』ですって⁈)


 ベネディクト殿下は()()()()なのだ。

 王太子が正妃を迎え彼らの間に子どもができた時点で、王位継承権を返上し臣籍降下することは内々では決定済なのだ。いずれ王族をやめるのだから、ルイ殿下に対しての教育もそれに合わせるよう施すつもりなのだ。


 内情を知りもしないよそ者(ベリンダ王女)にとやかく言われるのは我慢ならなかった。


 ルチアは何杯目かお代わりのミルクティを提供した段階で話しかけた。


「さすがのご意見でございますねぇ。王女殿下のような方のことを異国のことわざで『せいていのア』と言うそうですね」


 侍女頭がギョッとした顔でルチアを見た。

 壁際に控えている護衛官たちのほうから息を呑む気配がした。

 その場の空気が一気に凍り付いた。


(そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。きっと意味なんか分かりゃしないだろうし)


「まさに王女殿下のことですね! 素晴らしいですっ」


 ルチアが何食わぬ顔で王女を褒め称え続ければ、王女はキョトンとした顔をルチアに向けたあと、まんざらでもないと言いたげに頷いた。


 褒め称えられることに慣れた王女。

 自分に対してのことばはすべて美辞麗句だと信じて疑っていない。


(ふんっ! 言ってやったわ!)


 ちょっとスッキリしてしまったことば。

 おそらくきっと理解されないだろうと踏んだ『せいていのア』。


 確かに異国から伝わった古いことわざである。

 だがこの宮に勤める侍従たちは皆知っていることわざだ。

 なぜならこの宮の(あるじ)、ベネディクト王子が言ったから。


 『セレーネと出会うまえのぼくは“井底之蛙(せいていのあ)だったな”』と。


 幼少時は本の虫だったという王子のエピソードの一つとして語り草で、ルチア自身も漏れ聞いていた。(あるじ)たちの会話の意味を知りたくて、ルチアも古い書物を読んだり日々勉強を重ねている。


(本物の井底之蛙(せいていのあ)はここにいましたがね!)


 ルチアは目の前のベリンダ王女へ、申し訳ないという風情を全面に押し出してことばを繋げた。


「そんな素晴らしい王女殿下にお仕えするには、わたしの身分が足りません。申し訳ありませんが侍女になるというお話はご辞退申し上げます。けれど王女殿下に見出されたことは忘れません。末代まで語り続けます! ありがとうございました」


 実際ルチアはしがない男爵家の娘で、いまは騎士爵であるアラルコンの妻だ。

 グランデヌエベ王国は身分も重んじているが、実力主義なところもある。能力がある人間は身分のいかんに問わず登用される。

 それが自国のいいところだと常々思っていたが、他国の王女へも通用するとは思えない。ルチアは、身分の違いを口実として利用することにした。こんな王女に仕えるなんてまっぴらごめんだから!


「身分が足りないって……そんなこと気にしないでいいのよ? それにおまえの嫁入り先も見繕ってあげるわよ」


 好きなだけ話しさらにルチアに(おだ)てられ気分がよくなったのか、ベリンダ王女はルチアの『暴言』をスルーしたばかりか、嫁入り先を見繕うなどずいぶん太っ腹な提案までした。

 ルチアにとってその提案はまるっきりお門違いの大きなお世話なのだが。


(えぇえー? 嫁入り先? こんどはなに言い出すのよ。しつこいわ)


「まあ! さらに身に余る光栄! けれどそれでは重婚になってしまいます……」


 苦笑するルチアのことばを聞いたベリンダ王女の美しい瞳が驚愕に見開かれた。


「重婚? え? おまえ、結婚してるの? その顔で?」


(その顔でって、どういう意味だろう)


 ベリンダ王女という人間は、素で失礼な発言をしてしまうのだなと理解した。



井底之蛙(せいていのあ)……意味が解りかねると仰る諸兄諸姉はggr推奨

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