3話 力の使い方
神殿の中は良くも悪くも普通で、別に神がいるとかいないとか、何も関係ないんじゃないかと思うような人間の色に染まった建物だと思っていた。
だが、そこだけは違う。
「特別な方のための修練場ですわ。一種の神域でもありますの」
扉から先は真っ暗闇に包まれていたが、しかし確かに神の重圧が感じられる。
魔導神が『お遊び』でリナに威圧していた時とは違う、本物の神の圧力。
それが、開かれた扉からリベルを誘い込むように放たれていた。
「叛逆者でも堪えますの?まあこれは間違って誰かが入らないようにする防衛装置でもありますし、効力があるなら何よりですわ」
ゆっくりと、何かの合図のように魔導神は扉の内側を撫でる。
それだけで部屋の中には明かりが灯り、人を拒絶し迷い込んだ者に絶対の死を与える空間が霧散する。
呆気に取られるリベルを置いて、魔導神は軽い調子で問いかける。
「どんな場所をお望みでしょう。街、森、海、山、空、遺跡、滅亡した都市。なんでもありですわよ」
魔導神が歩くたびに、部屋の景色がガラリと変わる。
もしかしたら人の技術でもできるかもしれないが、この現象は明らかに違う。
何せ景色が変わる度に、音が、匂いが、空気が、全て一変するのだ。
映像を投影したなんてものじゃない。
本当に、空間そのものを作り替えているかのようだった。
「……はは、なんでもいいや。こんなの、勝てる気がしない」
こてん、と魔導神は可愛らしく首を傾げる。
リベルが何に絶望しているのか、本気でわからないと言うように。
「もしかして、わたくしを殺すつもりでしたの?」
「……いいや。リナがやらなくていいって言うんだから、俺にそのつもりはない。ただ、力の差が大きすぎると思っただけだ」
なるほど、と呟いた魔導神は、一歩後ろに足を引き、手招きするように腕を広げ、特訓をするのに相応しい場所を用意する。
「まあ仕方のないことですわ。あなたは神への優位性以外に取り柄のない方ですし。さあ、こんなところでどうでしょう。集中しやすい環境だと思いますわ」
地面は均された土で、壁は倉庫のような無機質な金属。天井の辺りは真っ暗で、時間の感覚を狂わせるようだった。
地面から五メートルくらいまでが人工的な光に包まれ、閉塞感はないが自然と内側にだけ目線が向くような調整がされている。
リベルがようやく部屋に足を踏み入れれば、さっきまで開いていた扉が音もなく閉まる。
「これで、何をするんだ?」
「ふふ、簡単なことですわ」
パチン、と魔導神が指を鳴らす。
これは魔法を発動させるためのトリガーなのだろうか。
とにかく魔導神が何かをした、と思った次の瞬間には、広大な空間を埋め尽くす、大小様々な的が浮かんでいた。
「的当てゲームですの」
支柱などなしに空中に浮く的が、不規則に動き出す。
ある一定の範囲で動き回る制限のある的もあれば、本当にランダムに方向を変える的もある。
「今からリベルさんには、これらを一撃で破壊できるようになってもらいますの」
「いや、無理だろ」
控えめに言って無理というやつだ。こんな広大な空間を埋め尽くす夥しい量の的を一撃でなんて、それこそリナにも不可能な話だろう。
「今やってくださいとは言っておりません。できるようになってもらうのですわ」
「……だとしても」
「だとしても?」
ガァン!と盛大な破砕音が響き渡った。
どんな材質かもわからないが、あれだけあった的が粉々になった音だった。
「……」
時々力でねじ伏せるのやめない?とリナが言いそうなことをリベルは思った。
それくらい、馬鹿げた現象が起きていた。
「まああれを一瞬で生み出した張本人です。これくらいできない方がおかしいのですわ。それはそれとして、手数というのはそれだけで立派なアドバンテージ、戦力になりますの。一点突破の剣しか持たない者と、このように面で制圧出来る者。どちらが優位かなんて、実際にお見せしなくとも分かりますわよね?」
暗に、それもわからないようなら素質はないぞ、と言われている気分だった。
リベルにだって魔導神の言いたいことはわかる。
接近戦を強いられる剣しか持たない者より、大量の魔法を好きなだけ好きな場所に撃つことができる方が、もちろん強いに決まっている。
たとえ面制圧なんてできなかったとしても、遠距離攻撃が可能な魔法の方が圧倒的に強いはずだ。
「けど、俺は、戦い方を何も知らないぞ。魔法の方が強くたって、俺は魔法を使ったことすらない」
「大丈夫ですの」
魔導神はにっこり笑うと、優しくリベルの手を取る。
一瞬、これはリナに言われた通り殴った方がいい?なんて思ったが、それをすると強くなるどころかここでリベルの人生が終わりそうなのでやめておく。
「お人形さんが言った通り、水魔法の素養はありますわ。あとはこれを外側に出すだけでいいですの」
「?」
「こんな風に」
無造作にリベルの右手が前に突き出される。
その掌から、電柱くらいはありそうな太さの水のレーザーが射出された。
「……え?」
「ふむ。伝導率、変換率、魔力純度、どれも申し分ないですの。頭がクラクラしたり、吐き気があったりは?」
「いや、平気だが……」
「魔力量も十分、と……」
何かを考えている様子の魔導神は、すでについていけないリベルを置いてさらに話を進める。
「魔力の使い方は把握できたでしょうか。あの要領で、あとは分割、照準、調整、起動をできるようになれば私と同じことができますの」
「いや待て、待ってくれ」
「なんですの?」
「……今の何?」
電柱ほどの太さに、高圧洗浄機並みの水圧。
あれが急に出てきて、これがあなたの力ですって言われてもまず理解ができない。
「ええと……魔導教典第十六章二節水の項ハイウォータージェット……ということが聞きたいわけではなさそうですわね」
多分まだ簡単であろうはずのことを聞いたらより難しい言葉で説明された。
リベルの訊き方が悪かったとしても、教える側にも問題はありそうだ。
「強力な水魔法だとでも思っておいてくださいまし。正直、それ以上の説明をするなら魔法を一から説明する必要がありますの」
「ええと、つまり、あれは俺の力?俺がやったってことなのか?」
「あなたの力ではありますの。ですがあなたがやったわけではありませんわ。あなたの魔力に干渉して、半強制的に魔法を行使させましたの。ですからやったのはわたくしですわ」
「……もうよくわからん」
要するに、リベルの魔力で、リベルの体から、魔導神の意思で、水魔法を発動させたというわけだ。
本来人の魔力を勝手に動かすなんて真似はできないのだが、そこは神としての力量ということなのだろう。
「さて、それで質問に戻りますが、魔法の感覚は掴めましたの?」
「……いいえ」
「そうですの。では」
ドッ!とまた水の柱が横向きに発射される。
「どうですの?」
「……もうちょっと、分かりやすいのを……」
「まあ中の中ではそれくらいですわよね。では」
なぜか、目の前の風景が爆ぜた。
「どうですの?」
「……」
そのやりとりは、リベルが頷くまで続けられた。
一方別行動を取っているリナは、本当にただ観光を楽しんでいた。
(わー、なんかすっごい風景変わってるー……!住宅街の方はそんなに変わってない気がしたけど、繁華街になるとこうも顕著になるなんて……)
人の形をしているとはいえ、仕事が人の寄り付かないところに集中するものだから、こうしてゆっくり歩くのも随分と久しぶりになる。
前に来た時は路面電車が走っていた気がするのだが、今は全て地下鉄になっているらしい。
(魔法の練習なんて見ててもつまらないだろうし、こっち来て正解だったかも♪)
柄にもなく──外見だけならあまり違和感はないが──楽しげな笑みを浮かべて、リナは商業施設の立ち並ぶ区画を歩いていく。
いわゆるウィンドウショッピングとやらに当たるだろうが、こうも知らない街並みになっているとジオラマの世界にでも入り込んだような気分になる。
(えっ、何あれ!すっごいカラフルな綿飴?うわぁ……今ってこんなのまであるんだ……)
スマホを構えた女子高生が、何やら虹色の綿飴を持っていた。
と思えば色が二層に分かれた飲み物を持っている人もいる。
(なんかいいなぁ……『友達』と一緒に写真撮って……。後でリベルと来ようかな……)
なんて考えて、いつの間にかリベルが『友達』なんて枠に収まっていることに驚く。
(あいつが……あいつが『友達』……?うぅん……認めたくないけど、納得はできる、気がする……)
例えば頭を撫でられても拒絶しなかったり、つい背中に隠れるくらいの信頼はしていたり。
今の今まで一匹狼をやっていることから分かる通り、リナは仲間というのをある一定のラインまでしか信用していない。
『友達』なんて信頼の証を与えることは、この職に就いてからは決してなかった。
「……あれはなんなんだ……」
簡単に人の心に入り込んできて、『友達』の椅子に堂々と座る男。
人でないにしても、こんなことはありえない。
リベルという生き物についてまた疑問を持っていたところで、リナに正面から声を掛けてくる者たちがいた。
「ねぇねぇ君一人?」
「……あん?」
そんなお約束とも呼べるようなイベントに、リナは思わず反応してしまった。
思考の渦から這い出て現実を見てみれば、なんかいかにもな男が五人もいて、こっちをニヤニヤと気持ち悪い笑みで見ている。
変換器で見た目は変えているはずなのだが、無意識のうちにコンプレックスでいじった箇所が災いしただろうか。
「君若いよね。歳いくつ?」
別の男が話しかけてくる。
どうでもいいやと思いつつ、この手の輩で遊ぶのは嫌いではないので、意味もなく付き合ってみる。
「千百十四」
「……ん?」
「だーから、千百十四歳だって」
何も馬鹿正直に答える必要はないのだが、見た目も心もピッチピチの十四歳でっす!きゃるん☆とかやる方が面倒臭い。
そして、リナの年齢を聞いた男たちは、一瞬怪訝な顔をしたものの、冗談か何かだと思ったようで、千百の部分が思考の彼方へ吹っ飛んでいった。
「十四歳なんだ。ダメだよー?学校行かないと」
オメーらも大学くらいだろうが、と思うもののそういうのは言わない。
面白いのはここからだから。
「学校なんて面倒なとこ行かないわよ。独学でどうにでもなるし」
実際リナは学校を出ていない。千年前に学校があったのかはリナも覚えていないが、まあ生きていく中でどうにかなった。
そしてそんな答えに満足でもしたのか、一人の男が無造作にリナに手を伸ばしてくる。
「俺らもそういうの分かるわー。だからさ、ちょっとそこらで」
「あーそういうのは受け付けてないんだわー」
ペシっと男の手を払いのける。
明確な拒絶。
それを受けて、男の顔が怒りに歪む。
その前に。
「死にたい?」
甘い甘い声だった。
それに反して、リナから湧き上がるのは強すぎる殺意。
しかも指向性を持ったそれが、男たちだけに伝播する。
体の芯から熱を奪うような目に見えない凶器に、男たちは全身を支配されていた。
一瞬にして竦み上がった男たちは、どうにか悲鳴をあげてもたもたと逃げていく。
何事だ?と通行人たちが大声をあげる男たちを見ているが、誰もその元凶がこんな少女だとは思わない。
そんな恐怖の中心にいる少女は、口の端を吊り上げて笑う。
「もう一声♪」
いつの間にか伸びたワイヤーが、一番後ろにいた男の足を掴む。
前のめりに倒れた男は、助けを求めるように仲間たちに手を伸ばす。が、それを掴むような者はいなかった。
「悲しいねぇ。見捨てられちゃって。大丈夫。この先にはたっくさん人がいるわ♪」
「あああああああああああああっ!?」
その一言で何を想像しただろう。
とにかく絶望に染まる顔を見て、愉悦に顔を歪ませていた少女は、
一瞬にして神殿の応接室に戻ってきた。
「……は」
呆然とするリナの耳に、なんとも穏やかな会話が聞こえてくる。
「おお、本当に一瞬で出てきた」
「これが転移魔法ですの。あなたには難しいでしょうが、世の中にはこんな魔法もありますのよ」
「はー、便利なもんだなあ」
状況を把握したリナは、とりあえず何事もなかったような顔をして、リベルの隣に座る。
「今は休憩中ですの。昼食でもとお誘いしたところ、あなたがいなければと言うものですから」
「はぁ、昼。まあいいけど」
そんな時間だったか、と思っていると、隣から珍しく表情を楽しげに緩めたリベルが話しかけてくる。
「なあなあリナ。俺、少しは魔法使えるようになったぞ」
「あらすごいじゃない。難しかった?」
「最初は難しかったが、制御の仕方を覚えたら色々できるようになった!」
成果を報告する子供のようなリベルと話しながら、リナは魔導神に目線だけで訴える。
(あんた、わざとやったでしょ)
(あら、なんのことですの?)
舌打ちの一つくらいしたかったが、今やるとリベルが首を傾げそうだ。
リナからすると愉しみをいきなり奪われた形になるが、まあいっかと心の中で納得していた。
きっと、人の絶望する顔を見て得られる悦びよりも、『友達』と話すことで得られる喜びの方が、ずっとずっと大切だろうから。
彼らは一体どうなったのか。