プロローグ〜弱さと強さ〜
飛竜の背に跨り、大空を舞いながら、リナは後ろに座るリベルに話しかける。
「さて、まずは何から言いましょうかね」
リベルはただひたすら己の弱さを反省しているようだが、リナからすれば言いたいことはたくさんある。
「あんた、あんなことできるなら、どうしてもっと早くやらなかったの?」
「あんなこと……?」
「森を覆い隠したあの攻撃よ。あれ、神だけを滅ぼす力でしょ」
「……さあ。ただリナが傷付けられたと思ったら、頭の中が真っ暗になって、気づいたら、逃げられてた」
「……私がトリガーなわけ?」
あれは確かに暴走状態にも見えたが、だとしてもリナが理由になるとは。
「かもな。でも俺はそれで良いと思ってる。リナを守れるなら」
「……あんたも、なかなかに狂ってるわよね」
「?」
リナのためなら実力以上の力を発揮する。
リナのためなららしくないこともする。
おかしい、馬鹿げている。そう思うのに、自分がその対象になると、
「(悪い気分じゃない……)」
「どうした?」
「な、なんでもない」
咳払いを一つして気分を切り替える。
切り替えたいのに、やっぱり少し心が躍る。
「ね、ねえ、どうしてあんたはさ、私に執着するの?」
「? 執着しているつもりはないが、でもそうだな。拾ってくれたから、じゃないか?」
「それだけ?」
「後はまあ、リナが笑ってたら俺も嬉しいんだよ。だからかな」
後ろからリベルが頭を撫でてくる。
突然のことでビクッと体は震えるが、それだけだった。
事あるごとに撫でるのはなんなのだ、と思うのに、拒もうとは思わないのだから不思議なものだ。
「……私のこと好きなの?」
誰かが笑っていたら自分も嬉しい。だなんて、特別な感情がないと出てこないだろう。頭の上の手がなくなって若干寂しさを覚えつつ、気にしてない風に訊いてみる。
リナにそういう感性はわからないが、特別なことは理解している。だから、そうだったらいいな、なんて思っていた。
「好き、か。そうかもな」
「え、ほんと?」
「ああ。俺はリナのこと好きだぞ。リナがはしゃいでるの見るのは楽しいし。連れ回されても、まあいいかとは思ったからな」
「……なんかそれ違う気がする」
恋人同士がどんな感情を持つのかは知らない。
厳密に言えば、言葉でしか知らない。
だけどなんだか、リベルからは永遠を誓うほどの重さを感じない。
リナは、恋人とは人生を預け合うのだから、相当な覚悟なのだろう、と思っている。
でもリベルにそれはない。
だから、きっと違うのだろう。そう思えば、急に冷静になってくる。
「なんか随分話ズレてたわね。一気に戻すけど、あんた神と戦ってどうよ。正直勝ち目あった?」
「……いや、ないな。あれと出会った時、こいつが敵なんだ、殺さなきゃいけないんだって思うのに、同時に絶対に勝てないと思ってた。攻撃はなんか触れたら止まったけど、地力が違う。本気に見えてたのは、演技だったのかな」
リベルは先ほどの戦闘を振り返ってそう語った。
木の根を避けていた時はまだ余裕があったが、あの時からすでに、あぁ自分はこいつに勝てないんだ、と心のどこかで理解していた。
ただそれを認めたくなくて、殺さなきゃいけないんだと思って、リベルはひたすら攻撃していた。
そんな本音を聞いて、リナはうわあこいつも相当イカれてんなあなんて思ったが、それは同類の証拠でもある。
「あいつは多分本気だったわよ?逃げに徹したら捕まえられないから勝てないってだけで、向こうだって決定打を持ってるわけじゃない。あんたが体当たりすれば、それこそ大ダメージを受けただろうし」
「でも簡単に防がれたぞ」
「そりゃあ、あんたの動きなんて見てからで避けられるもの。まずは速度に慣れないとね」
今更だが、当然のように遅いとか弱いとか言われると、本当のことでも沸々と湧き上がるものはある。
それでも不満をリナにぶつけるのは違う気がして、リベルは困ったような表情を浮かべる。
「大丈夫よ。策はある。あんたは強くなれる。そもそもあれは上級神だからね」
「上級神……?」
知らない言葉だった。
まあ無理もないか、と呟いてから、リナはその問いに答える。
「そうよ。神にも分類があってね。覚えてないかもだけど、私が最初戦ってた水の神は下級神。さっき戦った生命神は上級神。そんで上級の上にもう一個、特級なんてのもいるけど、あいつらは敵対した瞬間殺されるレベルだから、戦おうなんてまだ思っちゃダメよ?」
「そんなものまでいるのか」
上には上がいると言うが、にしたって上のハードルが高すぎる。
言葉だけでは伝わりにくいかもしれないが、まさに今この瞬間、相手の顔を明確に思い浮かべて、明確な殺意でも抱けば、その瞬間に体が吹っ飛んでもおかしくない。そんな相手だ。
「ま、上級神はそこまでじゃないけど、それでも十分強いわ。(正直勝てると思ってたけど、まああんたはそこまで強くなかったしね)」
「?」
叛逆者なら、勝てるのかと思っていた。というか神が相手なら負けないだろうとたかを括っていた。
だがそう甘い世界でもなかった。
なら、強くするだけだ。
「下級神は後五体いるわ。だからそっちから叩く」
「下級なら勝てるだろうか」
「勝てるわよ。弱いって言っても、そこまで落ちぶれた能力でもないからね」
腐っても神への対抗手段。無知でもその力は発動し続ける。
あんな空間全体を飲み込むほどの力は知らないが、リナだって叛逆者の一端を知った者だ。
どこまで通用するかくらいはわかる。
「わかったらしゃきっとなさい。いつまでも落ち込んでたって、何かが変わるわけじゃないでしょ」
「……ああ」
ここまで元気づけているのに、リベルはまだ少し俯いている。
いっそ徹底的に潰してしまった方が楽なのでは?なんて思い始めるくらいには、リナは面倒に感じていた。
「ねえリベル。あんたに二つ選択肢をあげるわ」
「選択……?」
「ええ。一つは子供みたいに甘やかされてぬるい平穏を手に入れること。もう一つは、自分の立ち位置を理解して、危険な戦場に身を置くこと。どっちがいい?」
つまりは人類と同じ庇護対象になるか、神々との戦いに身を投じるか。
「一つ、質問をいいか?」
「どうぞ?」
「リナは、どこにいるんだ?」
「守られる側になるなら知識は無駄だから教えられないわね」
「……そうか。なら、俺は戦うよ。リナは、そっち側にいるんだろ」
まだ表情は暗い。それでも、瞳の中に意志の輝きが見えた。
リナはふっと表情を緩めると、何かの契約のように手を差し出す。
それをリベルが握り返すと、より力強く笑う。
「ようこそ。こちら側の世界へ」
大仰に言ってみるが、実際のところは今と変わらない。
ただ、全てを知れば明確に何かは変わるだろう。
「じゃあ、約束通りあんたのポジションを説明するわね」
「ああ」
「まずあんたは叛逆者って言う、世界でたった一人の神への絶対的優位性を持っている人間。ここまではいい?」
『神話大全』とかいう本にも載っていた、叛逆者という存在だ。
リベルはしっかり頷く。
「で、本で調べてみたけど、前例なんてないから予測でしか能力が書かれてなかった。そこにあったのは、神の位置がわかることと、神を容易く葬れること。だからこれは私の所感。あの時は切迫してたし私も余裕がなかったから完璧じゃないけど、あんたの力についてある程度調べたこと」
第一に、叛逆者はそれ以外の能力を保有しない。
リナのように肉体を改造すれば別だろうが、リベル本体から才能の類は感じられなかった。
次に、叛逆者は神以外に対して常に劣勢である。
これはリナがあの高揚感の中で感じた唯一の不安。敵は水の神とその眷属だったから良かったが、人間に、魔物に、竜などに襲われていたら、普段通りの力を発揮できない気がした。
気がしただけで試しているわけではないのがネックだが、あの何かが欠けているような感覚はそうとしか説明できない。
そして、これは先ほど気づいたことだが、あの闇は神以外には回復効果もあるようだ。
リナの薄く刻まれた傷は、何事もなかったように治っていたから。
「やっぱ怪我してたんだな」
「治ったからいいのよ。ていうかあれくらいなら全然許容範囲だし」
「俺は許したくないけど」
「……じゃあ、私が無傷でいられるくらい、あんたが強くなんなさい」
守られるほど弱くもなければ守れるほどリベルは強くないが、それでも乙女としては守られてみたい。それができるなら、だけれど。
そして最後に、これは憶測でしかないが、叛逆者は取り込んだ神の力を扱える。
「これは本当に推測の域を出ない。でも多分、あんたは水魔法だけは使えるはずよ」
「なんでそう思うんだ?」
「だってそうじゃなきゃいくらなんでも弱すぎるわ。神以外に攻撃されたらおしまいなんて、それこそ神が人を操ればすぐにでも殺せちゃうもの」
「……なんかそう聞くと俺って物凄く弱いのな」
そう簡単には死なないと思いたいが、かといって目を逸らし続けて失うのは滑稽すぎる。
「あんたは癪かもしんないけどさ、私があんたを守るわよ。それこそ、あんたが戦うまでもないくらい」
リナは神には対抗手段を持たない。しかしそれ以外であれば負ける気はしない。
リベルは神にだけ優位性を持つが、それ以外の種族全てが弱点となる。
そんな二人が協力すれば、まさに無敵と呼べるのではないだろうか。
「あんたは神を殺して、私はそれ以外に対処する。それでいいでしょ?」
後ろを振り返って、不敵に笑う姿は、リベルが守りたいと思う自信に満ち溢れたリナの表情。
それがあれば、それさえ見れれば、リベルには他の何も必要ないのかもしれない。
「ああ。それで行こう」
暗い気持ちは吹き飛んだ。前を向く理由も作ってくれた。
だったらもう、リナのために戦えばいい。
家に帰ってきた二人は、日常を取り戻すように昼食を食べていた。
ただリナも疲れていたので、今回は出前の寿司になった。
「どーよ。市販品は」
「美味いんじゃないか?」
「どっちが美味しい?」
「……リナの飯」
「……♪」
一瞬の間は気になるが、まあお世辞でも許してあげよう。そう思えるくらい、褒められるのは嬉しかった。
こういう雰囲気も悪くないな、とか思っていると、邪魔者というのはやってくるものだ。
「あ?」
「どうした?」
「……いや、ちょっと待ってね」
通信が入り、リナは席を立つ。
「何よ?」
『お仕事だってさー。下級神叩くならちょうどいいんじゃないかなって』
「え、もしかして面倒だから押し付けようとしてる?」
『いやいやまさか。ぼくはぼくでルイナの御守りがあるからさ』
「寝てるだけでしょうが。てかあいつ何したって死なないでしょうが。そんでそれを人は押し付けるって言うんだけど?」
『ぼく人間の感性なんて知らなーい』
「こいつ……ッ!」
主人がマイペースなら飼い犬もマイペース。
そう相手を馬鹿にしておくことで、どうにか相手の話を聞き入れる。
「……で?相手は何よ。邪竜?魔王?それとも突然変異種?」
『あーごめんごめん。敵じゃなくてね』
「?」
『魔の神が会ってみたいって』
「……はい?」
『まあぼくに頼まれたのは状況説明なんだけど、だったら本人で良くない?って』
「そりゃまあ、そうかもだけど」
魔の神。魔物の神ではなく、魔法を極めた先に辿り着いた魔法の神。
その名も魔導神。
上級神の中でも上位に分類され、現人神として敬われる存在。
そんなものが、何の用だ?
『自分に通用するか知りたいんじゃない?上手くやれば手伝ってくれるかもね』
「いや、あれの気まぐれ具合わかってる?てか私あいつ大っ嫌いなんだけど」
『なら叛逆者だけ放り捨ててくれば?』
「……あんたさぁ……あんたってやつはさぁ、とことん私が嫌がることを言うわよねぇ……」
『あはは、誰のせいだろうね。まあとにかく、用があるのは叛逆者。君は関係ないよ』
「クソッタレが行ってやるわよ行けばいいんでしょ!?ただし、起きたら主人に伝えときなさい」
『何かな?』
「いずれこっちについてもらうから。これはお願いじゃなくて命令よ」
『いずれ、でいいんだね』
「ええ。その時が来たら言うわよ」
ふん、と鼻を鳴らして通信を切る。
そこでようやく気づいたが、どうやらリベルが聞いていたらしい。
「……何よ」
「いや、荒れてるな、と。大丈夫か?」
「別に。これくらいたまにあるもの。それで、行き先が決まったわよ」
「また出かけるのか?」
「流石に明日だけどね」
リナはちょっと嫌そうにため息を吐いてから、
「メリー大陸。魔導神が治める国があるとこよ」
とっても嫌そうにそう教えたのだった。
とりあえずプロローグはこれで終わりです。