表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
日緋色の叛逆者  作者: 高藤湯谷
三章 消滅大陸編
52/362

15話 心の底の本音

普段の二倍

 頭の中に目覚ましの音が鳴り響く。

 体内時計では午前六時。

 どうやら修復は正常に完了したようだ。


「ん……起きるか……」


 リナは上体を起こし、この家には窓がなかったことを思い出す。

 手元のスイッチで電気を点けると、部屋全体が明るく照らされる。


「……何してんの?」


 リナのベッドの横に椅子を持ってきて、どこから取ってきたのか本を読んでいるリベルがいた。


「おはよう。昨日はこれくらいの時間だったなと」

「お、おはよう……それで、警戒してたわけ?」

「警戒って言い方は悪い気がするけど、まあそうだな。なんかあったら、止められるように」

「……大丈夫って言ってんのに……」


 そしてこの状況、何気に初めてリベルと会った時以来の寝顔を見られたと言う場面である。

 あの時は仕方ないかと思ったのだが、今回はとても気恥ずかしい。そして顔もちょっと熱い気がする。


「どうした?」

「な、なんでもないっ!」

「まだ何も言ってない」

「はっ」


 ばっと布団を被ると、リナはリベルに背を向けてふて寝する。


「こ、今回は理由が理由だからいいけど、簡単に私の部屋に入ってこないことっ!」

「ちゃんとノックはしたんだけどな」

「寝てる人が返事すると思ってんのっ!?」


 そういえばあの時、入ってくるならノックの一つくらいしろと言った気がする。

 それを守るのはいいのだが、ノックをしたら入っていいと思っているなら常識が欠けている。


「……嫌だったなら、謝る。ごめん。でもやっぱり、怖いんだよ。俺も」

「な、なにが」

「リナを失うことが」

「……そう」


 ゆるりともう一回上体を起こして、伏目がちにリベルの方をチラチラ見る。


「私もね、もうあんたを失いたくないって思う。今までは打算とか、利用価値とかの方が大きかったんだけどね……?今となっては……ちょっとは頼れるかなって、思ってるんだから」


 照れ隠しに少しとげとげした言葉になってしまったが、リベルはちゃんとその意を汲んでふっと笑う。


「そうか。俺としてはリナに失せろって言われたら終わりだからな。少しでもそう思ってくれるなら、嬉しいよ」

「そ、そんなこと言うわけないでしょ。確かになんか仮定の話で言った気がするけど、それこそあり得ない可能性だからね?」


 それにきちんと一緒にいるとも言ったはずだ。

 なのにそれを蒸し返すとは。実はリベルもいじめっ子気質なのだろうか。


「まあ、ないとは思ってるよ。だけど、あんなリナを見るとな。何もできない俺は、やっぱりいらないんじゃないかと、思わないこともないわけだ」

「……いらないわけ、ないでしょ」


 顔は逸らしつつ、しかしリベルを手招きする。

 リベルは椅子ごと前に出ると、手を伸ばせば触れられる距離までやってきた。


「わ、私にとって、今はあんたが生きる意味。なの。やっと、目処が立って、それで浮かれて、好き勝手やって……なんか私ってわがまますぎるね」

「? 何を思い返しているかわからないけど、俺はそれくらいが普通だと思ってたぞ」

「……ふふ、私ね、多分あんたのそういうところ気に入ってるんだと思う」


 最初は躊躇って、何度も頭をゆらゆらと揺らしていた。

 だがリベルの言葉で、リナの中の何かが変わった。

 やっぱり、リベルはリベルで、リナだけを真っ直ぐ見てくれている。

 なら、こんな姿を見せても、幻滅はされないんじゃないかと思ってしまう。

 リナは、バランスを崩したようにしてリベルの腕の中に頭を預ける。

 行動一つにも言い訳をしないといけないくらい、リナの心は羞恥に苛まれていた。


「全部じゃないけど……ちょっと聞いてくれる?私の嫌なとこ……おかしな部分」

「教えてくれるなら、全部聞くよ」

「ふふ……リベルならそう言うと思った……」


 リベルはそっとリナの頭を抱えると、その赤よりも明るく、しかし赤の範囲を出ない緋色の髪を撫で付ける。

 その心地良さに身を委ねれば、リナの口からは普段は言えないような言葉がぽろぽろ溢れてくる。


「その昔……そういえば正しい歳言ってなかったか。私、実年齢としては千百十四歳なわけよ」

「……随分長生きだな」

「まさしく永遠だからね。それはいいんだけど、私ってさ、『友達』ってものに固執してんの」

「ほう」

「昔……私が本当に十四歳まで生きた時代、一人だけ……お友達がいたの。とっても可愛くてね、強くって、私なんかより、よっぽど輝いてる人だった。明るくて、活発で……みんなのまとめ役。ムードメーカーでありながら、リーダーシップもあって、誰からも慕われてた。だけどね、そんな人も、疲れることはある。私だけは、その苦労も知ってた。だから、憧れてたけど、同時にこの人を支えたいって、思ってたんだ」


 腕の中のリナは、みじろぎ一つせず、リベルの熱と音を肌で感じながら、穏やかに語る。

 しかしその顔が苦痛に歪み、だらりと下げられていた手が、リベルの服をぎゅっと強く握る。


「本当に幸せ”だった”。あの当時に戻れるなら何もいらないくらい、私にとっては最上の場所”だった”。わかる?私はさ、何もかも奪われたの。汚い大人たちの手で。醜い欲望のせいで」

「……あの研究者たち?」

「あれは派生。多分、当時はそこまで大きな規模でもなかった。少数精鋭で、人の目から逃げ回って研究してた奴ら。それが時代と共に巨大化して、今じゃあそこまで膨らんだ。多分ね」


 リナは当時の敵をあまり知らない。

 実験台にされていた時には情報なんて与えられないし、リナがそこから出てきた時には、既に全てが崩壊していたから。


「ねえリベル……目の前で親友が物理的に引き裂かれるとこ見たことある?中身をぶちまけられてさ、その中身を全部人工物に置き換えられていく様を……」

「……ある方がおかしいと思うな」

「うん。それで正常。だけどさ、世の中にはそんな奴らもいるわけ。あの時の実験は……怒りと恐怖による上昇率実験、だったかな?すごいよ。具体的なこと言うと多分あんたは耐えられないから端折るけど、私はもう、ぐっちゃぐちゃだった。ああこっちは心の中ね。もうそれがなんなのかわからないような感情がどろどろ渦巻いて、とにかく耐え難かった。全てを無に変えたかった。もう全部全部どうでもよくなって、遂にあいつらは一線を超えた」


 リナの震えていた体がピタリと止まる。

 額をリベルの胸板に押し当てて、その表情を隠す。


「私の最愛の『友達』は、瀬戸際の実験で殺された。それはもう呆気なく。後から考えると多分手違いだったんじゃないかな。焦ってた気もするし。だけどさ、それを目の前で見せられた私がさ、そんなことを考える余裕があると思うかね」


 ギリギリギリギリとリナの手に力が込められていく。

 その指先が服の上からでもリベルの肌に食い込むが、リベルは顔色一つ変えずにリナの頭を撫で続ける。


「それが、悪魔の誕生。神の顕現。破滅の慟哭だっけ?あれは多分、私がその時上げた悲しみと怨嗟の叫び。まさか大陸中に響いてたなんてちょっと恥ずかしいけど、とにかく私には余裕がなかった。頭の中はぐちゃぐちゃで、だけどあったかくてふわふわしてた。熱でもあったんかね。身体中から力が湧いてきてさ、あぁ私はもう引き返せないって、どこか現実味のない頭で考えてたのを覚えてる」


 リナの全身から力が抜けた。

 より重く感じるようになった体を、リベルは自分の膝の上に移動させる。

 横向きに座らされたリナは、ひたすら顔だけをリベルの胸に埋めていた。


「そこからは、もうあんまり覚えてないかな。持てる力の全てを使って、何もかもを破壊した。知ってる研究所は全部壊した。こんな悪い考えをする奴らを全員殺せば、私の怒りは収まると思ってた。だけどさ、簡単に終わっちゃった復讐は、なんの感慨もなかった。あまりに滑稽で、醜くて、もうよくわからなかった。冷静に考えれば異常だって気づいたはずだけど、憎悪に駆られてた私は、その矛先を別のものに向けた」


 横からでも、リナが歯を食いしばっているのがわかる。

 そこにあるのは後悔だろうか。

 不意に、リナはちょっと楽しげに笑って、語るだけだったのにリベルに質問を振る。


「私は、何に怒りを向けたと思う?」

「……自分、とか?」

「うっ、今思えばそれが一番正しいのよね。嫌なら死ねばよかったのに」

「……」

「だけど違う。私が見据えたのは、この世の全て」


 あまりに規模が違った。

 もうリベルには息を呑むことしかできない。


「冷静さを欠いた私は、人に、神に、竜に、悪魔に、世界に、その憎悪を向けた。なんで誰も助けてくれなかったんだ、どうしてこんな不条理を許したんだって。よく考えれば、そんなコソコソやってる奴らに普通の人が気づけるわけないし、それ以上の存在なんてちょっとした人間の悪意とか不幸くらい気にも留めないわよね」


 だけど、そんな客観的事実で、実際に痛みを受けた人が納得できるのか。

 できなかった結果が、ここにある。


「生き残りは全部殺したわ。大陸の外は知らなかったからそこを出ることはなかったけど、この大陸に生きる生物全て。虫から魔物に人間まで。何もかもぶっ壊して、私はよくわからない叫びをあげてた。気持ち良かった。これであの子の無念も晴れると思ってた。そんなわけないのにさ」

「……」

「で、そんな大虐殺を起こせるなんてもう大厄災。実際起きちゃったから対策云々じゃなくて、対処に行かなきゃいけない。竜、天使、神、裏から悪魔の気配もあったわね。もう人間の上にいるくせにだからこそ自堕落な生活をしてる奴らが、みんなこぞって私の前にきた。異物を排除するために」


 世界はその形で安定していた。

 ある程度の悪意が生まれるのは仕方なく、そういう狂った奴らがいるからこそ、正しい者たちがより正しさを求めるようになる。

 けれど強すぎる恐怖は必要ない。

 リナは世界にとって、害悪だった。


「長い長い戦いだった。それだけの数がいれば一方的にも”ならないし”、少しやられたくらいじゃ全体としては痛くない。大体……二ヶ月くらいかな。それくらい戦った。結果として、私は自己再生でほぼ無傷。だけど竜族は絶滅の危機に追いやられ、人の言語を介するほど知性を持ったのは滅んだ。当時既に絶滅寸前だった天使は本当に死に絶え、善性を持ってた珍しい神々も消滅。悪魔も大体葬ったなあ。変に漁夫の利狙うもんだから、逆に見かけたら徹底的に叩き潰したわ。そういうのって大概弱いし、最後にゃ悪魔が震えて命乞いしてやんの。もちろん、殺したけどね?」


 それが緋色の悪魔の実力。

 人間の魂に恐怖を刻み、悪魔の天敵にまで認定された怪物。

 血の雨の降る世界で、リナはたった一人笑っていた。


「その時だけは、気分が良かった。私を異物だと断じた奴らを返り討ちにして、逆に世界から排除してやった。だけど、私の前にまた別の神がやってきた。今までのは下級か良くて中級だったのね。それは上級神。初めて人間から神に成り、魔法の先を覗いた化け物。名前は魔導神」


 それが初めてリナと魔導神が出会った時だった。

 もちろんお互い敵同士で、話し合いなんて生ぬるいことはしない。


「そっから三ヶ月。お互い永遠持ちだから枯渇もなくて、最後はどっちの心が疲弊するかの勝負だった。怒りに身を任せてる私に罪悪感とかないし、あのままだったら勝てたと思うのよ」


 だけど、史実として魔導神は生きているし、緋色の悪魔は封印された。


「漁夫の利が現れた。だけどそいつは、龍だった」

「……滅んだはずじゃあ?」

「違うのよ。羽もない、足もない、蛇みたいな龍。悪食って呼ばれてるらしかったけど、魔導神と互角の私の力が欲しかったみたいね」


 リベルと似て非なる性質を持つそいつは、喰らったものを我が物とする。


「流石に攻撃全部吸われて魔導神に叩かれたら勝ち目はなかったわ。それで死にかけてたんだけど、私は生かされた。目の前に最強が出てきたの。そいつは私を殺すわけにはいかないって言いやがったわ。あは、すごい余裕よね」


 たった一人で世界を滅ぼしかねない強者三人を前に、その最強は笑みを浮かべていた。

 悪魔を背に庇いながら。


「もちろん背中を刺したわよ?余裕の態度がイラっとしたから」

「……」

「だけど効かなかった。弱い神なら一撃で死ぬようなものなんだけど、なんだったんだろうね、透過されたのかな。とにかくちょっと怒ったそいつに、私は一撃で気絶させられた。で、そっから六百年」

「いきなり飛ぶな」

「しょうがないでしょ。起きたらそんな経ってたの。まあ、そんな感じ。あ、今いる私は分身みたいなもんでね。本体は今も封印されてるわ」

「…………じゃあ、このリナは?」

「こっちが善性の私。昨日私を暴走させたのが封印されてる私。どうも封印が弱ってるらしいわ。穴を突いて出てこようとしたのね」


 どこまで弱体化されても、リナの本体は強かった。

 だからほんの小さな場所から指を伸ばしてきた。


「私は私が嫌い。できれば滅ぼしてしまいたい。だけどあれは絶対に滅びない。だから私は、罪を滅ぼす旅に出た。消滅大陸を作ってしまったこと、人類に多大なる恐怖を与えたこと、緋色の悪魔の名を魂にまで刻んでしまったこと。それを帳消しにするために。大体五百年くらいかな。ずっとずっと各地を回って、時には雑用をして、時には人の手に負えない厄災と戦って。自然災害を食い止めたこともあったかな。あれは下手な魔物より強いわね。そうやって、人々に貢献して生きてきた」


 しばらく大人しかったリナが、リベルの服を緩く握った。

 何かが変わったと、リベルは思った。


「長かった。いいえ長い道のりなの。何万人と殺した殺人鬼は、そうでもしないと許されない。許されちゃいけないの。ずっと、そう思って生きてきた。何かが揺らぎそうになったら、ここへきて、当時を思い出して、ああやっぱり私は悪者なんだって思い直して、頑張って続けてきた……」


 ここの亡霊たちもそうだった。リナにとって、罵声を浴びせてくれる亡霊たちは自分を戒めてくれる貴重な存在だった。

 リナはさらに力を込める。


「けど、私は知ってしまった……!こうやって誰かが認めてくれること、慰めてくれることの尊さを。抱きしめてくれた温もりを!こんなの、私にとっては激毒と変わらない。知ったらもう戻れない。戻りたくても、捨てられない……!だって、誰かが隣にいてくれる世界は、こんなにも暖かくて、希望に満ちていた!誰かに優しさを向けられたのも初めて。その優しさから傷つけられたのも初めて。怒り狂ったら掬い上げてくれて、そんな私を心配してくれて、帰る場所まで提供してくれて。そんなのもう……私にとってはこれ以上ないほどの幸せでしょ……」


 叫び疲れたように全体重を預けるリナは、本当に年相応で、どこか儚さまで内包していた。

 腕の中で小さくなるリナを、リベルは優しく見つめる。

 まだあるなら、全部吐き出していいからと、リベルはぽんぽんと背中を叩く。


「……もう疲れた。あんな生活に戻りたくない。本当は嫌だった。人類が好きなわけじゃない。仕事が好きなわけじゃない。でも仕方がなかった。だって全部私がやったことだから……!」


 贖罪の旅は長い。

 どれだけやったらいいかもわからず、明確なゴールも与えられない。

 ただお前は罪を犯したのだから、その永遠の命を使って人類の発展に協力しろと言われたようなもの。

 リナは首を縦に振ることしかできず、死ぬことすら許されない。


「永遠は苦しいよ……せめてまだ一億年働けの方がマシだった。ゴールテープをどれだけ用意したって、そのコースはまだ先に伸びている……どこまでやったらいいの?どこまで進んだら、私は許されるの……?もう先の見えない生活は、私には続けられない……」


 当時を覚えている奴に、本当にその時の怒りを持っている者はいない。

 せいぜいが、あーあやらかしちゃったな。じゃあそれを償えるように頑張ってみろよ。なんて薄情で他人事な言葉を投げる程度でしかない。

 だけど人間の魂には恐怖が残っていて、この髪を見るだけで恐れられる。

 それを払拭したくて頑張っても、何も知らない人々はボランティア程度にしか思わない。

 ならリナは、どこまで行ったら人の輪に戻れるのだ。


「ずっとさ、人間らしく、私は人間だって、言い続けてるでしょ……?」

「ああ」

「それはね、ただの人間への憧れじゃない。こんな体を捨て去りたいって気持ちも、もちろんある。だけど本当は、一度でいいから人間らしく暮らしてみたい。それだけなの」


 見た目を取り繕う手段はいくらでもある。

 だが偽りの自分で暮らすそこは、果たして本当に自分の居場所か?

 もちろんそうだと思える人もいるだろう。

 偽っていても、そこは確実に自分の席で、名札には自分の名前が書いてある。

 だけどリナには、それを自分の席だとは思えなかった。

 自分と同じ名前で、全く違う容姿で、暗い世界なんて知らずに生きてきた誰かの席だと、無意識にそう思ってしまう。


「種族も色も才能も特徴も関係ない、真の平和を作ってみたい」

「……」

「昔、私が仲間に掲げた達成不可能な目標。私たちがどれだけ頑張っても消せない不条理はたくさんある。だからさ、それを全部消せたならさ、私も人間に戻っていいよねって。そういう希望を混ぜ込んだ理想だった。案の定、五百年経った今でもゼロにはできてないんだけどさ」


 消滅大陸は滅んだままだし、焦土の大陸は異形が闊歩しているし、人の街にも魔物は湧く。

 まだまだ安全ではなく、まだまだ理不尽は残っている。


「ねえリベル。私があなたに撫でられたとき、どんな気分だったと思う?」

「……どんなだろう」

「報酬を先に受け取ってしまった気分よ。あぁ、許されるってこういうことを言うんだ。私が望んだ世界は、こんなにも心地良いんだ、って。何も成し得てないのに、勝手に一人で救われちゃったの。じゃあもう、私が仕事に固執する意味はない。気分は軽犯罪者ね。いっときの快楽に身を任せて、後の全てを投げ捨てる。……バカだよね、私」


 仕事は、別の自分が行なっている。

 リナが使うストックは、そっくりそのまま別の地域で活動している分身でしかないから。

 けれど使えばその分手数も減って、救える命も限られていく。

 そんな中でこのリナが仕事を放棄したら、もう許してくれなんて言えなくなる。


「どう?幻滅した?殺人鬼は近寄んなよって、犯罪者は一生牢屋にいろよって思った?」

「……」

「私は、そっちの方が嬉しい。突き放された方が、まだしも仕事に戻りやすいから」


 一度見てしまった明るい世界は、自分からは絶対に手放せない。

 なら、誰かに奪い取られれば、その世界から拒絶されれば、リナはその希望を掴むためにもっと頑張れる。

 そう思うのに。


「……悪いけど、そんな世界には戻せない。リナの本音を聞いてからじゃ、手放す気にはならないよ」

「……あは、あはは……」


 リナの口から、乾いた笑みが漏れる。


「本当に悪いなぁ、私。リベルならそう言うって、絶対に守ってくれるって、わかっていながらこんなことを言う。わかってるからやった。より強く私を意識してもらうために。思い通りの言葉を引き出して、悲劇のヒロインぶって、人の善意をほくそ笑む。こんなのが私。自分でも嫌になってくる。ねえどう?これでわかったでしょ?幻滅したでしょ?気持ち悪いって思うでしょ?お願いだから突き放して!もうこれ以上私に希望を見せないで!」


 潤んだ瞳で、リナはリベルを見つめる。

 嫌だと拒むような顔をしながら、助けてほしいと目で訴える。

 捨ててほしいと懇願しながら、その表情は縋っている。

 本当にこんな言葉で、リベルが見放すと思うのか。いいや思っていないのだろう。これだってリナの打算だろう。

 だけど、乗る。

 リベルはリナの肩に手を置いて、その恐怖と期待と絶望と希望がないまぜになった瞳を真っ直ぐ見つめる。


「ほしいなら、そう言えよ。捨てたくないなら抱えろよ。誰になんと言われたって、これは私の持ち物です、誰にも渡しませんって言い切ってみせろよ」

「……」

「でもきっと、自分で言ったらリナは罪悪感で潰れるだろうから、俺が抱え込んでやるよ。リナの過去も醜さも嫌な部分も何もかも」


 リナの顔がくしゃくしゃに歪む。

 求めていた言葉が、世界が、そこにあって、だけどこんな汚れ切った自分が触れれば、きっとそんな世界は壊れてしまう。

 けれどリナが夢見た世界は、そんなに脆い場所じゃない。

 涙を堪える口元はどこまでも歪み、それでもボロボロと涙を零すリナに、リベルはそっと手を伸ばす。


「だからさ、もっと素直になれよ。もうここに咎める人はいないし、これから先そんなのが出てくるんだったら、俺が迷わずぶっ飛ばす。正しいかなんて関係ない。俺の手も汚れようが関係ない。罵られたって、石を投げられたって、リナがここにいたいと思うなら、俺は全力で居場所を守るよ」

「わ、わた、しは、……、そんなこと、望んでない……!あんたを巻き込んでまで、私は自分の幸せを追いかけたいとは思わない……!だって、だってぇ……私が求めた世界を……私の手で光から遠ざけちゃったら、それこそ、本末転倒になるじゃない……!」


 声の震えを隠せない。

 もうコップの水を零したくらい、リベルの服は濡れていた。

 嫌な自分に言われた通りになってしまっている。

 本当にリベルは受け入れてくれて、こんな弱い自分を認めてくれる。

 それが本当に嫌だった。

 こんな自分が許されることが嫌だった。

 リベルの声も言葉も考えも優しさも今だけはいらなかった。

 だけど、ここにある温もりは、ずっとずっとリナが追い求めたもので、リベルは最初からリナのことしか考えていない。


「リナは言ったよな。俺はリナじゃない。だから、リナの都合なんて考えず、少しはわがまま言ってもいいって」

「……」

「本音で語ってくれ。全部吐き出してくれ。もういいんだよ。リナは十分頑張った。ちゃんと自分と向き合って、その罪を認めた。五百年も嫌いな人間のために頑張ったんだろ?じゃあもういいじゃん。リナはよくやったよ」

「……っ」


 それはリナが本当に求めていた言葉。

 寄り添う、支える、肩代わりする。

 リベルならそんな言葉が飛び出すかと思っていた。もちろん、それだけで嬉しい。だけど、そんなに重い言葉は必要ない。

 ただ一言、頑張ったねって、偉いねって、言ってくれるだけで良かった。

 それだけで、リナはまだ頑張れる。この孤独も耐えられる。

 だからもう離してくれ、これ以上光を見せないでくれ。

 そう願っても、一度掴んだその手は、掴まれたその手は、簡単に解けることはない。


「リナ」

「っ……」

「聞かせてくれないか?本音を、本当はどうしたいのかを」

「……わた、しは……」


 言っていいのだろうか。

 求めていいのだろうか。

 こんな自分が。大罪人の自分が。

 だけどもう、限界だ。

 隠そうとして隠し切れるほど、リナの心は強くなかった。


「許して、ください……もう嫌です……こんな生活は、もう嫌なんです……」

「……」

「お願いだから……見捨てないで……私だけを見て……」


 何年生きたって、その心が強くなることはなかった。

 どうしたってリナの体は十四歳で、全てを失ったあの時に成長は止まってしまった。

 ずっとずっと隠して晒されることのなかった心は、蓋を開けてみればボロボロに弱りきっていた。


「なあリナ」

「……なに?」

「俺は、居場所になれないかな」

「……」

「ずっとずっと、リナだけを見てきた、見守ってきた。それはこれからもそうだし、俺がリナを見放すことは絶対にない。だって、俺が一番リナに助けられたんだから。打算でも俺を拾ってくれて、なんだかんだ言いながら大切にしてくれた。何かあれば守ってくれて、何をするにも俺の基準で考える。全部俺の信頼を得るためなんて言われたら、俺はもう何も言えないけどさ、だけどこれって、本当はリナがしてほしかったことなんじゃないのか?」

「っ……」


 最初から、リベルはリナのために動いていた。

 心が荒れれば撫でてくれて、傷つきそうなら守ってくれて。

 不安な時には傍にいて、弱った時には抱きしめてくれた。

 予想外なんて思った行動は、無意識に遠ざけた自分の願望。

 だからびっくりして、怒るべきなのに頬は緩んでしまう。

 嬉しかった。

 それがきっと答えだろう。

 ここまでリベルを信頼できたのも、短時間で心を許せたのも、全部リベルがリナの心に寄り添ってくれたから。

 結局、無意識に除外したものを、リナは求めてしまったのだ。


「……違う、よ」


 だけどこれを認めるのはどうしても恥ずかしい。

 自分の中にこんな弱いものがあったなんて、認められない。

 でも意味も教えず否定するのはリベルが可哀想だから、リナは真っ直ぐ目を合わせる。


「もっと、甘やかしてほしいな……」


 どこか蕩けたような、リベルに期待するような目を向ける。


「事あるごとに褒めて、撫でて、笑ってほしい。それくらいじゃないと、私は満足しないよ……?」


 別にそこまでを求めているわけでもない。

 本当にそうしてくれれば確かに嬉しいが、それはあまりに子供っぽい。

 リナにも、思春期らしく大人ぶってみたい気持ちもあるのだ。


「はは、そうか。じゃあ、本音を言えて偉いぞ。この調子で頑張ろうな」


 リベルは本当に撫でて笑ってきやがった。

 自分で言っておいてなんだが、これはあまりに恥ずかしい。


「……こ、ここまでじゃない。こんなに過剰じゃなくていい……」

「そうか?でも嬉しそうだぞ?」

「……う、うるさいっ!嬉しいけど恥ずかしいのよバカっ!」


 羞恥から逃れるように、リナはリベルの腕から飛び出すとまたふて寝するように布団に潜る。

 それでもリベルの方を気にしてしまう辺りが子供っぽい。


「そのチラ見は気にしてほしいのか窺ってるのかどっちだ?」

「……様子見。まだ近づいてくるかどうかの」

「それは来てほしいのか?」

「あっ、ふ、布団の中入ってきたらぶっ飛ばすからねっ!?言っとくけどそこまで許してないんだから!!」

「わかったわかった。じゃあ一回俺は部屋に戻るよ。このままでもいいけど、あまり遅くまで篭られるとティエナが腹を空かすぞ」

「あぅ……リベル、料理できない……?」

「材料とキッチンがどうなってもいいなら」

「……ちゃんと用意しますよー……」


 諦めたようなリナの頭を撫でて、リベルは部屋を出て行った。

 それを確認してから、リナは一度仰向けになって天井を眺める。


「はぁ……ダメだなあ、私」


 甘えてはいけないと、許されてはいけないと、あれだけ自分を律してきたのに、いざリベルに包まれると、どうしても隠しきれなかった。


「……ティエナちゃんと、模擬戦やるって言ってたっけ……」


 なんだかゲーム対決をする兄妹のようだが、やっていることはただの戦いである。

 そこで、あるいは、などとリナは考えを重ねていく。


「……私も、考えないとな。ちゃんと」


 少しでも話してしまったからには、知られてしまったからには、リベルを守り、過去に決着をつける覚悟が必要だ。

 そして、いつか全てを話す責任もある。


「……いつか、か。甘いわね。もう、時間もなさそうなのに」


 現状、一週間近くで基礎属性の下級神が全てやられたことになる。

 このペースは、明らかに異常だ。

 特に、世界が安定して、時間の流れが遅く感じられる現代では。


 リナは自分の腕を持ち上げ、その手を胸に当てる。


「……ありがとね、リベル。……叛逆者が、あなたで良かった」


 いずれ、なんて言っていられない。

 もしそれが今になってしまっても、何も後悔しないようにだけ、この心を保っておく。

 憑き物の落ちたようなリナは、どこまでも楽しげに朝食作りへと向かう。

 もう、悩みの種はなかった。

まあいつもの流れがありましてと。

三章はこれで終わりになります。

色々謎が多い章かと思いますが(出るだけ出てくる情報が多すぎる)、楽しんでいただけたら幸いです。

キャラも出揃ってきて、リナもデレてきて、宣言するならここかなと。

チュートリアルはここまでです。

正直見返すとガタガタの文章ですが、これからも頑張っていきますので応援していただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ