プロローグ〜命の神〜
「ふうん?なるほどねぇ?」
「……お前か」
「それはお互い様」
「そうか。なら、どうする」
「決まってる」
どこかで、激しい衝突の音が聞こえた気がする。
茂みの中に隠れていたリナは、音を立てずに片手だけでイヤリングを触る。
それから、歩いていたら辿り着いたという風に見せかけてその場に進み出る。
「誰だッ!?」
数名いた人間のうち、斥候役と思しき人物が瞬時に振り返る。
リナは慌てた様子もなく、片手でそれを制する。
「落ち着け。私は本部から派遣された者だ」
「S級……!?」
現在のリナは、認識変換によって宇宙服の様な防護服を身に纏っているように見せていた。
理由は単純。人間が神域に踏み込むには、これくらいの武装をしないと肉体が崩壊してしまうから。
相手方も同じ様な服を着ているので、ここではむしろこれが普通だ。
そんなリナの手には、重厚感のある黒の輝きを放つ、一枚のカードが握られている。
そこに書かれた称号は、ハンターギルド所属、S級ハンターの文字。
ハンターというのが彼ら狩人の名称で、ギルドは彼らを束ねる組織の名前。
そして、S級ハンターとは、
「最高位ハンターじゃないか……」
何人かいるうちの一人がそう呟いていた。
S級ハンター。人々が畏怖の念を込めてそう呼ぶ存在は、広い世界の中でも数人しか存在しないとされる、まさしく天上の人間。
決して人前には姿を現さないリナではあるが、このような変換器を使えば人相を偽ることはできる。
そして魔物狩りのエキスパートとしての称号は、時にどんな身分よりも優位に働くこともある。
そのために、リナはかつてハンターとして名を馳せている。まあその名前も時代と共に失われつつあるが。
「ある程度の話は聞いているが、詳しい事情は現場の者の方がわかっているだろう。何があった」
簡潔にそう問い掛ければ、数人のハンターは互いに分厚い防護膜越しに顔を見合わせ、代表らしき人物が口を開く。
「我々は、この森での異変を調査していました。元々神域ではあるここですが、三日ほど前から神域特有の重圧が強くなっていました。そして現在立ち入り調査をしていたのですが……全ての魔物が上位種へと進化しているのです」
「……ふむ」
一般的に、魔物は魔力濃度の高い場所であればどこにでも発生するとされている。
人の街などはそのための対策などもしているが、その話は今はいいだろう。
どこにでも発生する魔物は、かなり自由度が高いとも言える。何せ同じ量の魔力だとしても、ゴブリンが生まれるかウサギ型の魔物が生まれるかは完全にランダムなのだから。
そんな簡単に変質する魔物たちは、種の進化でさえ容易に起こす。それこそ、魔力が規定値に達していれば。
だから何もおかしな話ではないが、だとしてもこの広大な森に住まう全ての魔物が進化しているとなると、かなりの異常事態と言える。
それほどまでの魔力を撒き散らす”何か”がいるということになるのだから。
「ここは私が受け持とう。其方らは一度撤退し、事態のほ──」
リナの言葉が遮られたのは、先ほどまで様子を窺って、全方位を取り囲んでいた魔物が襲いかかってきたから。
一人であればワイヤーでもぶん回していたところだが、生憎今は人の前。まともなやり方をしなければいけない。
「まだ話してる途中だろうがぁっ!!」
地面に剣を突き刺し、その能力を起動する。
その瞬間、素早い動きで肉薄していた獣型の魔物たちが、一斉にその肉体を斬り刻まれ、悲鳴を上げることすら許されずに地に伏していった。
バラバラと砕け散った肉片が飛び散る中で、リナは一つ咳払いをする。
「失礼。それで続きだが、君達は撤退するといい。他に仲間がいるなら、そちらも連れてな」
「は、はい……」
多少言葉遣いが荒くなっても、多少呼び方が変わっても、そんなものが気にならないくらいの、圧倒的な力。
リナからすれば、ただエネルギーを地面を通して外部へ伝えただけに過ぎないのだが、その技量、その威力、そして何よりこんなことを平然とやってのける余裕が、すでに人の域にいないことを物語っていた。
もう何も言えなくなったハンター達は、リナの言葉に従うしかない。
通信機器で仲間と連絡を取りながら森の外を目指すハンターたちを見て、リナはふっと息を吐き出す。
「喋り方変えるのしんどいのよね」
全部私がやるから帰っていいよ、と言えれば早いのだが、そんな上から目線で言われると誰だって気分は良くない。
だから、なるべく刺激しない喋り方で、しかし上位者としての圧をかけて相手を動かしたのだ。
「さてと。あっちはどうなってんのかしらね」
今も時折地面が抉れるような轟音が響いてくる森の奥を見ながら、リナは呟く。
森の奥地にいるのなんて生命神で確定で、戦っているのは十中八九リベルだろう。
音がする限り死んでいないと思うが、だからと言ってのんびりしていればせっかくの手札を失ってしまうかもしれない。
「まあ、認識変換してるし、いいでしょ」
無音でワイヤーが伸びると、それが地面を捉える。
乱立する木々の間を、リナは滑らかな動きで進み始めた。
リナがまだハンターとのやりとりをしている頃、二人の化け物は既に衝突していた。
「妬ましい妬ましい妬ましい!お前のその力が妬ましいッ!!」
そう叫んでいるのは、地面につくほど長い緑色の髪を振り乱し、その先端を地面に埋めている女性。
「知らんが」
対してリベルは、いっそ感情がないようにすら思えるほどの冷静さで答える。
森に入った時の恐怖は、もうどこにもない。
そんなリベルを捕らえんと地面から何本も槍のように鋭く尖った木の根が飛び出す。
それは音を切り裂くほどの速度で以てリベルへと肉薄するが、リベルがそれを時に手のひらで、時に肘で、時に足で払う度、動きを止めてはその場で硬直してしまう。
”敵”を中心に捉えたままその周りをぐるっと一周したリベルは、空中でうねった形を維持している木の根の隙間から顔を覗かせる。
「お前は大体、誰なんだ?」
そう。そもそも、リベルは木の檻に閉じ込められたと思ったら、地中を移動してここまで連れてこられたのだ。
その理由も、ここが誰で相手が誰なのかも、何も把握できていない。
ただ一つわかるのは、敵は尋常ではなく、そして明確に敵視されているということだけ。
「私、私は……私は欲する者。この心の赴くままに全てを得る者!」
ぐばあ!と更なる木の根が殺到する。
だがそれは触れれば止まる程度のものでしかない。
どうして止まるのかとか、お前は生命神じゃないのかとか、リナがいたら色々疑問が出るはずのことでも、リベルは全く気にしない。
ただ、触れて止まるなら、脅威と判断しないだけ。
「よ、っと」
最初の木の根に足を乗せたリベルは、それを足場としてさらに上へ跳ぶ。
そのまま次々迫ってくる木の根を足場に変えていくと、敵を上から見下ろす形になる。
「なあ、なんでこんなことするんだ?大人しくしてりゃ、力なんてなくても誰も文句は言わないだろ?」
キッとリベルを睨んだ女性は、その絶大な力でリベルを破壊しようとする。
その女性を中心にして、大樹の幹が伸びてきた。ただしその頂点を花弁のように開きながら。
「寄越せ!それかいっそ消えろ!そうすれば、そうすればまた満ち足りる!!」
リベルを飲み込み、全てを奪おうと言うのか。
自分でさえ理解できないこの力で、何ができると言うのか。
リベルにはわからなくても、力はいつだって平等に発動する。
すなわち、捕食者のように喰らいつかんとする花弁さえ、そこで停止させてしまう。
「……ずるい」
「子供みたいだな」
「何が悪い?」
「見た目にそぐわない。それだけだ」
森の中に屹立した大樹の頂点から、リベルはその身を躍らせる。
自分を見上げる、生命神の下へ。
そこに、落下の恐怖はなかった。
そこに、暴力に訴える忌避感はなかった。
ただ敵だからぶちのめし、従える。
それだけの戦い。
ゴッ、とぶつかり合う音がした。
自重に加えて落下の速度まで合わさったリベルの拳と、女性を守るように現れた木が衝突した音だった。
そして可能性を考えないリベルは、防がれたことで一瞬の空白を生む。
対して防いだ側である女性は、その隙を見逃すほど甘くはない。
「くふ」
美しいとさえ思える貌が喜悦に歪む。
ぎゅるり、と顔それ自体が変質すると、巨大な食虫植物が出来上がる。
「これがあれば誰も私を殺せない。私が一番になれる……!」
そんな声が聞こえる時には、リベルは口の中(?)に放り込まれていた。
その瞬間に意思を持ったような動きは止まるが、しかし拘束されてしまったのも事実。
リベルを覆った植物を、上からさらに蕾のような外皮が包む。
そして植物の成長を逆再生するかのように、その蕾が茎の中に消え、やがてそれさえも地中に消える。
まさにその直前。
ブチッ、と小さな嫌な音を立てて、腰のくびれのようにも見える細い茎が折れた。
焼き切ったのは、一条のレーザー。
「……機械人形」
地中から生えてきた生命神が忌々しそうに呟く。
そんな呼ばれ方をした少女は、生命神に注意しながらも、リベルが囚われた木の実のような植物を破壊する。
「間一髪だったわよ?」
「……助かった」
リベルがまた檻から出てくる、そのタイミング。
生命神はリナを狙って植物の蔓を伸ばす。
だが片腕をそちらに向けると、無造作にも茜色に染まるレーザーを放つ。
それだけで迫る蔓をまとめて焼き払ってしまうのだから、やはりリナは規格外なのだろう。
「それ、奥の手なんじゃ?」
「神相手に出し惜しみなんてできないわよ。ほら、こっから形成逆転。そんで生命神討伐が自然な流れでしょ」
「そうなのか?」
物語であればそうだろう。リナは少なくともそう考えていた。
「英雄譚の一幕とでも?それで私はやられ役?……そんなの許せない。そんなの嫉妬しないわけない!」
「あーそっかあんたってそっち系だっけ……」
リナが嫌そうな顔をする。そっち系とは?
「いわゆるメンヘラって奴よ。まあ執着する相手は生物全部なんだけど。あいつは命を司るくせして生きてる奴が羨ましい。そんな意味のわからない気色悪い神よ」
「言ってくれるね機械人形。そっちだって似たようなものなのに」
「……系統は違うわ。狂ってるのは認めるけどね」
なんだかリベルの知らない世界の話が展開されていた。
ただこの場の空気が変わったのは機敏に察知できる。
つまり、動く。
ギィィィン!と金属の悲鳴のような音が聞こえた。
それはリナの構えた剣と、生命神がどこからか取り出していた光沢のある木剣がぶつかった音だった。
そうとわかったのは、両者がもう一度距離を取ってから。
気づいた時には、一度の衝突はすでに終わっていた。
「速すぎるって?」
「……」
「でも、これが当たり前の世界よ」
もう一度、リナの姿が消える。
またも衝撃。
気づいた時には、リナは元の位置に戻ってきている。
リベルにはハイレベル過ぎるように映っているが、リナとてこれが普通なわけではない。
ワイヤーを全て足にして、思考の全リソースを割いて、ようやく届く範囲なのだ。
そのせいで攻撃手段は二本の腕でできることに限られるし、周りの被害など考えられないし、全く知らない第三者が近づいてきても気付けない。
それくらい、切迫している。
「できれば、見えなくても戦ってほしいもんだけど」
生命神へ斬りかかりながら、リナは願望を口にする。
また少し離れて、リベルの様子を見る。
呆然としているのを確認すると、もう一度攻撃する。
リベルには拮抗しているように見えるが、これだって生命神が守りに徹しているからどうにか保てているのだ。
もし向こうがこちらを本気で殺しに来れば、きっと反応できずに即死させられるだろう。
「あんたが舐めてる間に、ぶち殺す!」
「わかってるなら逃げればいいのに」
剣戟の音が響く。断続的だったものが、連続的に聞こえるようになっていた。
それだけ、戦闘が激化しているということだ。
それがわかっても、リベルにはどうすることもできない。
こんな速度域では、渾身の一撃だって軽く避けられてしまうだろう。
「はァ、きっつ。見てたら慣れてきたりしない?」
リベルの隣に立ったリナが、そんなことを訊いてくる。
相変わらず生命神は静観の構えのようだ。
最初こそ激昂しては暴力的なまでの攻撃を振るっていたが、リナがやってきてからは大人しい。いや、どちらかと言えば余裕を見せている。
そこにどんな思惑や事情があるのかは知らないが、今がチャンスなのはリベルにだってわかる。
だけどどうしようもない。
もう、リベルの攻撃は届かないと思ってしまったから。
「……無理だ」
「……そう」
寂しそうに、ともすれば諦めたように呟くと、リナはまた人智を超えた戦闘に身を投じる。
その、刹那。
リナが通った道に、赤い珠が飛んでいるのが見えた。
それは紛れもない、生命の赤色。
「リナ……?」
位置を変え、角度を変え、幾度となく斬りかかるリナを見たって、流血しているかどうかなんてわからない。
そもそも常に劣勢であることさえ、リベルにはわからないのだから。
だけど、もしリベルが動けないことで、リナが傷ついているのなら?
リベルは叛逆者なんていう神への対抗手段なのに、それが動かないせいで必要のない傷を受けているとしたら?
「……それは、ダメだ……」
リベルの中で、明確に何かが変わる。
「リナだけは、絶対に傷つけさせないッ!」
ズン、と神域全体が大きく揺れた。
それは神を否定する力。
神に対して絶対的優位性を得る力。
「「ま、ず……」」
二人の女性は同時に呟いていた。
「朽ち果てろ」
絶大な力の奔流が、リベルを中心に解き放たれた。
それはまるで完成した絵に真っ黒なペンキをぶちまけるような、乱雑で圧倒的で暴力的なやり方だった。
だが全てを塗り尽くすなら、最も手っ取り早く最もわかりやすい手法。
ただでさえ日差しが遮られて鬱屈としていた神域が、一縷の光も許さぬ闇へと変化する。
神の力で満たされた空間を飲み込んだ闇は、徹底的に神の残滓を喰らい尽くす。
誰にも侵せぬ神の居城が、一瞬にして崩壊した。
全てを駆逐した闇は、その役目を終えて虚空へと消える。
元通りの視界が得られた時には、刺すような神域特有の空気感は消え去っていた。
「……なんともない、か。本当に神だけを狙う力なのね」
リナは自分の体に異常がないことを確認すると、リベルに向かってそう声をかけた。
しかしリベルはどこか不満げな顔をしたままどこかを見つめている。
「どうしたの?」
「……逃げられた」
地面の一点をリベルが指差すので、そちらを見ると、枯れ葉の集まりがザザザザと移動して、人の顔のようなものを形作る。
それがニヤリとした笑みを浮かべると、一陣の風に吹かれて消えていった。
「……この森は、山を隔てた先にも広がっているわ。きっとそっちに逃げたんじゃないかしら」
リナが目線で方角を示せば、リベルは静かな怒りを表すように小さく舌打ちした。
「ま、とりあえず帰りましょ。なんとなくわかったしね」
「わかった……?」
「ええ。やるべきことと、あんたの力が」
リナは、リベルに気づかれない程度に自分の頬をなぞる。
そこは本来、薄く切り裂かれていた場所だった。
「はぁ〜危なかったわぁ」
先ほどの森よりもさらに死の気配が強い森の中、緑色の髪を地面につくほど伸ばした女性は、安堵のため息を吐いていた。
そこに、もう一つの気配が現れる。
「本当に地中移動が得意だよね。もういっそ土の神に名前変えた方がいいんじゃない?」
「……」
そこにいることに気づかない方がおかしいくらいの、巨大な竜がそこにはいた。
人間サイズでしかない生命神なら、一口で丸呑みにされてしまいそうな巨躯。
こんなものが歩けば森の木々は壊滅してもおかしくないのに、その竜は上手く風景に溶け込んでいる。
「また私を殺しにきたの?私はあなたの能力には固執しないのだけど」
「うんそうだろうね。ぼくのこれはぼく以外には使えないんだから」
「それで?」
うん?殺さないよ。それをするのはあの子、ひいては叛逆者の役割だ」
それを聞いて生命神は分かりやすく安堵する。
本気の叛逆者も恐怖の対象だったが、こちらは違う。本気を出さずとも、神と渡り合うほどの力を持っている。
だから、もっと警戒するべきだったのだ。
「でも”半減”はさせてもらうよ。せっかく叛逆者が切り開いたんだから」
「あがっ!?」
竜がそう言っただけで、生命神の体から力がごっそりと抜ける。
奪われたくらいなら可愛いものだ。神はすぐに回復するのだから。
だがこれは、総量が半分消滅している。まるで紙コップの上半分を切り取ったように、そこに注げる量自体が半分になっていた。
「君は弱い部類だよね。何せ神域からエネルギーをもらわなきゃいけないんだから」
「ぐ、クソが……」
「もうあの森は普通の森だよ。君の半分は削ぎ落とした。それでもできることは変わらないんだから、神ってのは十分理不尽なんだろうけどさ」
ばさり。竜は一度翼で空気を打つ。
「それじゃあ、制約の中で頑張ってね。いずれお迎えが来ると思うから」
すっと竜の体が空気に溶ける。
慣れているはずの死の空気が、今は突き刺さるほどに痛かった。
名前だけない声の人は、一応女の子です。
いわゆるボクっ娘です。