4話 ゴーストタウン
夜になって。いつもの如く先に風呂に入ったリベルは、一人の時間を手に入れる。
リナは、根幹にある世話好きが発動したのかティエナと一緒に風呂に入っていた。なんかティエナが拒絶しようとしていた気がするが、そこはリベルの知るところではない。
そして確認がしたかったリベルは、この家には残念ながら窓がないので、いつかのように屋上に上がることにした。
前は窓から屋根に飛び移ったが、今回は高さを稼げない。
ワイヤーで体を支えて上まで上がる。
「……おお?」
二階分の高さから見下ろしてみると、昼とは街の景色が一変しているのがわかる。
朽ち果てたはずの家はかつての頑健さと温もりを取り戻し、土を均した道路には人々が行き交っていた。
ただしそのどれもが輪郭がはっきりせず、夢か幻でも見ているんじゃないかと思うような、強烈な違和感のようなものを覚える。
「……あれが、亡霊か」
リナに嫌な顔をするという亡霊たち。
できれば話を聞いてみたいが、まずは叛逆者としての役目を果たす。
「地の神は……いない?」
風の神の時は魔導神に塗り潰されていたが、今回はそんなに強い反応もない。
下級神を倒してしまった後のような、奇妙な静けさ。
もっと大きな何かはあるのに、無意識に目を逸らしてしまっているような、そんな不気味な静寂だけがあった。
「なんだ、これ。この場所に、何がいる……?」
神の気配を探れば探るほど、底なしの沼に引き摺り込まれるような感覚がある。
神を殺すはずの叛逆者をも飲み込む神の気配。
これ以上は危険だと、リベルの直感はもうずっと警鐘を鳴らしていた。
だが、確認しないわけにはいかない。
たとえそこに眠れる獅子がいたとしても。
『おっと』
バヂッ、と叛逆者の意識が弾かれた。
暗い闇の中から、現実という光の中に一気に引き戻される。
「っ、……お前、なんで」
『ダメなんですよねえ、それは』
リベルの隣には、気付けばゆるくウェーブがかった金髪を持つ少女が立っていた。
だがはっきり見えるのはそれだけで、顔や全体の輪郭は全く見えない。
『彼女に触れてはいけませんよ。今のあなたでは、逆に食べられてしまうでしょう』
「……彼女?」
『おや、まだそれもわかりませんか。まあいいです。何を感じました?』
「……全てを飲み込むような、底なしの闇」
『それは正解です。ではなぜ挑んだのです?勝てないことくらいわかるでしょう』
「……知りたかった。あれが何か、あの闇はなんなのか」
『ふーむ、好奇心ですか。その席にはもう違う神が座ってるのですがね』
金色の少女はどこまでも気軽に話す。
リベルにも、触れてはいけない『彼女』にも、全く物怖じしていない。
『知りたいです?あれが何か』
「教えてくれるのか?」
『一部であれば』
にっと笑ったような気がした。顔は全く見えないが。
『あれは、憎悪の塊です。力への渇望、理不尽への憤怒、それと、人に対する激情。相手が誰とか、神とか関係ありません。彼女にとって全ては敵であり恨むべき存在です。そんなのに気安く触れたら、叛逆者でも消し炭ですよ』
「……俺が知ってる誰と比較できる?」
『あなたの交友関係はあまりに狭いので難しいですが、そうですね。魔導神とリナを足して割らずに性格の悪い面だけを思いっきり抽出したらギリギリ届くくらいの人です』
「……どんなレベルだ」
あの二人の力はリベルにも未知数だが、それでも悪い面はいくらか見ている。
それで、ギリギリ?言っちゃ悪いがあの二人、本性はだいぶ黒い気がするのだが。
『ふっふふふ、あなたにそう評価されてしまうというのは、私としてはとても面白いですね』
「……?」
『まあ気にしないでください。私もかなり回復したとはいえ、まだ本領は出せません。そろそろ消えますね』
ふわりと金色の髪が靡く。
『あ、最後に。私はそんな『彼女』よりも強いです♪何せ封印している人ですので☆』
「は」
ものすっごい爆弾を投下して、それはそれは楽しそうに金色の少女は消えていく。
まるでこちらが困ることを織り込んで、その様子を見て楽しんでいるかのようだ。
リナも魔導神も大概だが、この少女が一番腹黒いのでは?
「いたっ!?」
『失礼なことを言うと天罰より痛い雷が落ちますよ。まあ、私は寛容ですので。今回は静電気で済ませてあげます』
「言ってねえしこれ静電気なんてレベルじゃねえ……」
『心に語りかける私には思うのも同義です。そして一応静電気ですよ?見てくれだけですけど』
「意味ねえ……」
電気が走った首の後ろをさすりながら、リベルは改めて周囲を確認する。
どこから声をかけているのかも全くわからなかったが、もう金色の残滓も見当たらない。
「……よくわからんな」
そろそろ戻ろうかと思って、しかし周りの景色がおかしいことを思い出した。
亡霊の街、本当の意味でのゴーストタウン。
リナには心配をかけたくないが、気になるのも事実。
少しの逡巡の後、リベルは過去に取り残された街へ飛び降りる。
ワイヤーで衝撃を殺してから辺りを見渡せば、まるでお祭りの夜のような活気に満ちていた。
「……異質だな」
大通りにも似た賑やかさ。しかしそこに生気のようなものがない。
そもそも、輪郭がぼやけた人たちを普通だと評価できるほど、リベルの感覚は狂っていなかった。
「おにーさんだれー?」
不意に、足元から声をかけられた。
見ればティエナよりも小さな女の子がきょとんと首を傾げている。
「俺は……リベルだ」
亡霊相手にどう返答するのが正解かと悩んだが、ちゃんと名乗るだけに留めておいた。
「リベル……聞いたことある!」
「え」
「本で読んだ気がする!孤独なお姫様のお話!」
「……姫?」
「そうだよ!確かリベルは……剣の名前!」
「剣……」
この女の子がいつの時代の本の話をしているかは定かでない。
しかしリベルは人間ですらなかったらしい。
「わたしのこときって!」
「……へ?」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
そして頭の中で今聞いた言葉を確認してみるが、やっぱり意味がわからない。
「じゃあ頭撫でて!」
「そ、それくらいならいいけ、ど……!?」
リナにやっているみたいに、ただ優しく手を置いただけだった。
それだけで、目の前にいたはずの女の子が消えてなくなってしまった。
「ありがとうおにーさん!お礼に教えてあげるね!私の役割はジジ、ザザザザザザッだよ!」
「今なんて?」
「言っちゃいけないんだってー、けちー」
もう、声も聞こえなかった。
誰に言葉を乱されたのか、なぜ言ってはいけないのか。
それさえも、教えてくれることはなかった。
しかし、リベルが亡霊の女の子を消したという事実は変わらない。
辺りを行き交っていた人々が、一斉にリベルの方を見る。
「や、あの、そのっ、これは違うっていうか俺がやったわけじゃないっていうかただ触っただけっていうか……!?」
リベルが驚いて固まっているのは、亡霊たちがリベルに向かって走ってきては、その体に触れて次々に消えていくからだった。
子供たちがタックルを仕掛けるみたいに走ってきて抱きついて消えたり、大人が褒めるように肩に手を置けば、良い笑顔のまま消えていったり、あるいは杖をついたお爺さんが減速なしでリベルに衝突して事故に巻き込まれたように消滅したり。
もう本当にわけがわからなかった。
人の洪水は数分間途切れることはなく、リベルはしばらくそこに縫い止められていた。
そして、先ほどまでの喧騒が嘘のように消えて無くなると、そこには朧げな街並みと、たった一人の威厳を感じさせる男性だけが残っていた。
「叛逆者よ」
「っ」
「そう身構えてくれるな。これでも、私たちは感謝している。少し、慌てすぎたかもしれんがね」
快活に笑う姿は、好々爺のようにも見える。
「……あなたは?」
「おっと失礼。私はここの領主をしていた者だ。名前は、死と同時に落としてしまったがね」
「……」
「先も言った通り、私たちは感謝している。何分、長いことここに閉じ込められていたからな」
「……何があったんだ?」
「破滅の慟哭。何も知らぬ私たちにわかるのは、せいぜいこれくらいだった」
ある日突然、怨嗟の叫びが響いた。それが街どころか大陸全土を駆け抜けると、一瞬にして全てが崩壊した。身を守る術も、原因を知る術も、何もなかったとその男性は語った。
「ああそうだ。其方の隣に緋色の少女がいたな?」
「っ、だからなんだ」
「よければ、彼女に伝えてほしい。”もう我々は恨んでなどいない。一方的な怒りをぶつけたことを謝罪する”と」
「……なんで、そんなことしたんだよ」
「なぜ、か。私たちも間違っていたのだ。いいや知らなかったと言うべきか。そんな言葉で罪を逃れようなどとは思わないが、できれば彼女の罪と帳消しにしてほしい」
リベルにわかる答えではなかった。
だがきっと、リナに教えれば、何かしら変化は起きるだろう。
「伝えるも伝えぬも其方次第だ。叛逆者よ。どうか”我々”を救ってくれたまえ」
そこに違う意味を感じるのは気のせいか。
「それでは私も同胞の元へ行かせてもらおう。変わらぬ時代を紡ぎ続けるのは、もう疲れてしまったのでな」
「ま、待ってくれ。ここは一体なんなんだ?お前たちはなんだったんだ。それに、過去に何があった。緋色の悪魔ってのは?」
「……残念ながら、それに答える時間がない。其方が普通の人間であれば、もう少し話をしてみたかったな」
孫の頭を撫でるように、その男性はリベルの頭に触れる。
リベルがその手を知覚する前に、最後の亡霊は煙のように消えてしまった。
「……なん、なんだよ……」
敵かもしれないと思っていた亡霊は、ほとんど人間と変わらなかった。
そして過去の過ちを悔いていた。
しかしその過去に何があったかは教えてくれず、当時を知る亡霊は誰もいなくなってしまった。
人の消えた街としてのゴーストタウンの静寂が、リベルの全身を突き刺していた。
かつ、と誰かの足音が聞こえた。
生き残りか、と顔を上げれば、そこには。
「……リナ」
「あら、よくわかるわね。顔も見えないはずなのに」
リナはフードを被り、その顔さえも黒い闇が覆っていた。
それでも、リベルがリナを間違えることはない。
闇が消えると、どこか怯えたような、寂しそうな顔をしたリナがいた。
「しっかしまあ……何で今日は亡霊が一人もいないのかしらね」
「……みんな消えた」
「消えた?どこに、どうして?」
「……わからない。でも、俺に触れた亡霊は、みんな消えた」
「……私も知らないカラクリがありそうね。とにかく今日はもう遅いわ。早く帰りましょ」
亡霊は一人もいないが、リナはどこか急いでいるように感じる。
やっぱりこんな街にはいたくないのだろうか。
「亡霊と話をしたんだ」
「っ、そ、そうなんだ」
「言ってることのほとんどは理解できなかったけど、伝言を頼まれた」
「……」
「もう、恨んでないって。自分たちも間違っていたから謝りたいって。まあ、その亡霊たちが一人も残ってないんだけどさ」
リナは何かを考えるように立ち止まったが、すぐ足早に歩き出してしまう。
リベルはどうにかその隣に並ぶが、リナの表情は読めない。
しかしその口元が僅かに動いているのが見えて、リベルはどうにかその声を聞き取る。
「……許されたくなんてなかった。許される必要なんてなかった。なんで今更、なんでリベルだ。何がいけない。どうしてこうなる。私は、私は、私はっ……」
急にリナが立ち止まる。
少し追い越してから、リベルはその顔を覗き込む。
「リナ?」
「……リベル、ちょっと私の八つ当たり受けてくれる?」
「……いいけど」
返事と同時、ごす、と頭ごとリベルに突っ込んできた。
それは頭突きというよりも、どちらかと言えば居場所を求めるような……?
「……どうしたんだよ」
リベルは、躊躇いがちにその頭を抱き寄せる。
最近のリナは、どこか弱々しく見えてしまう。
「……何か、聞いた?ここで起きたこと、これをやった人のこと」
「……破滅の慟哭、って言ってた。それが大陸を飲み込んで、崩壊させたって」
「……そっか。みんな、優しいんだな……」
それはもう、リナがやったと自白しているようなものだった。
リベルはそっとフードを外し、その美しい緋色の髪の毛を優しく撫でる。
「……教えてくれないか?」
「やだ」
「えぇ……」
ぐりぐりと額を押し付けたリナは、ぱっと顔をあげる。
「言ったでしょ。あんたが上級神を倒したらって。たとえやらかしたことがバレたとしても、それまでは絶対に言わないんだから」
「……わかったよ」
にひ、と悪戯っ子のような笑みを浮かべて、リナはまた歩き出す。
「やー、それにしてもバレちったかー」
「自分で言ってたようなもんだけど」
「うっさいなー、てかそれもちょっと真実とは違うし」
「え、そうなの?」
「ふふ、どうでしょう。どこまで信じるかはあんたの自由だけど、私は嘘は言ってないわ」
「……全部、信じるよ」
「……あっそ。あとで後悔しても知らないわよ?」
「真実なんじゃ?」
「だからこそ、って感じかな」
そんなことを言い合いながら、二人はゴーストタウンを歩いていく。
静かな街の中で、ここだけはどこか温かな空気が流れていた。




