39.おっさんは暗殺者の村を救う。
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「な、なんと……!?」
呻くような声を上げたのはデーンと名乗った村の村長だった。
その腕から今も黒い鱗がボロボロと落ち続けていた。その場にいた少女ーーエマールが歓喜の声を上げた。デーンの妻、先代の村長だというミド、デーンの弟だというドーマも驚きの顔をしていた。
村長の身体を治したばかりの黒髪の男ーーハシグチは難しい顔をしていた。
その様子を見ながら、エスカフローネ二世は誇らしさに胸を熱くしていた。
自分の夫役のハシグチが驚嘆と尊崇の視線を集めているのがなんとも心地よかった。
落ちた鱗の一枚をフアナが拾い上げ、興味津々という顔でためつすがめつした後、眉をひそめているハシグチの方を向いた。
「どういうことなのですか? 説明をお願いします」
思わずエスカフローネ二世も頷いてしまった。実際のところ説明は欲しかった。身体に黒い鱗ができるという病気は存在しない、とフアナは言っていた。皮膚がうろこ状に見える状態になる、ということはあるらしいが、鱗そのものが生えることはない、というのがフアナの見解だった。
だが、先ほどフアナが拾い上げたものは鱗に間違いなかった。
ハシグチがゆっくりと説明をはじめた。
「……村の皆さんのエーテル体、いわゆる霊魂と呼ばれる場所に奇妙なパターンーー器官ができています。リリーシャさんと同じ病ですね」
「器官……ですか?」
フアナが好奇心を隠せない声で訊ねた。
「ここに長く住んでいたりリリーシャさんみたいに親和性が高いと侵食が始まるってことかと思います。そしてエーテル体に侵食したパターンがある程度大きくなると、肉体に『鱗』という形で出現するのでしょう。パターンを排除したら、鱗も剥がれるようです」
「なるほど……?」
「このパターンはチェルノボグのものらしいんですよね……」
「! ……巨人、ですよね?」
「はい」
「では、ハシグチは今巨人の影響を排除したってことですか!?」
「そういう言い方もできますが、でもーー」
エスカフローネ二世はよく分からなかったが、明確なことが一つだけあった。
「大精霊であるハシグチなら当然か」
エスカフローネ二世は頷きながら感動していた。
病に倒れ、その病をハシグチに癒やしてもらい、影狼の群れに追われて地下室に逃げ込んでから半日ほどしか経っていなかったが、驚くほど色々なことがあった。
影狼の群れの襲来は気がつくとハシグチによって追い払われていた。さらに暗殺者の三人組もなにがあったのかすっかりハシグチに心酔していた。ハシグチが「ほんとに信頼できるかはまだわかりませんがちょっと様子を見て上げましょう」と言い、クリスティーナとフアナは反対したが、結局戦力として組み入れることになった。そして、驚いたことにクリスティーナが出会い病気で困っていると助けを求めた少女が、少女の村の大人を連れてすぐ外にいるという。そしてその少女が棲む村は暗殺者達の故郷でもあるということだった。
影狼がいつ戻ってくるともわからず、危険回避のためにもいったんその村に行くことになったが、それに伴い、一行は、衛士であるハシグチとその妻、同僚、そして召使いを演じることになっていた。
そして村に到着し、試しに村長のドーマの治療をハシグチが行い無事に成功させた。
村長は病について同行者に語る衛士ハシグチの説明を目を白黒させながら聞いていたのだが、突然すがるような目をハシグチに向けて話に割り込んできた。
「つ、つまるところこの病は治る、のでしょうか?」
「ああ、それは大丈夫です。霊魂の変形を切除したら鱗も剥がれるみたいですし、問題はないように見えます……ないですよね? どこか悪いところはありそうですか?」
「私は大丈夫です! 身体も動く。だけど、あの! あの……治るのならば、私よりもひどい状態の人間がいるんです! 彼らを今すぐ診ていただけないでしょうか!?」
デーンは寝床から飛び起きようとしてふらついた。それをハシグチは慌てて支え、「私は大丈夫、大丈夫なので急いでください。既に二十人が亡くなったのです!」と急かすデーンに寄り添うようにして出ていった。
それをエスカフローネ二世の目配せを受けたフラウが追い、エスカフローネ二世とクリスティーナが残った。
「あの……!」
声を掛けてきたのはエマールだった。クリスティーナが前に出てしゃがんでエマールと視線を合わせた。
「どうした?」
エマールは必死な顔で言った。
「ありがとうございます! 本当に! 本当に……!」
クリスティーナはエマールの髪の毛をくしゃりと撫で
「役に立ったようでよかった。衛士は民を護るものだからな」
エマールは満面の笑みを浮かべた。それからチラリとエスカフローネ二世の方を見た。
「あの綺麗な人はーー」
クリスティーナが咳払いをして言いづらそうに、
「先ほどデーン殿の病を治したハシグチのつ……妻だ」
ハシグチの妻としてここは自分自身で挨拶せねばなるまい、そう考えてエスカフローネ二世は進み出た。
「妻のリリーシャである」
「はじめまして! エマールです」
少女は元気よく挨拶してくれた。思わず頬がゆるんだ。
「ハシグチ様はすごい人ですね……あんなに簡単に私たちを救ってくれるなんて驚きました!」
「うむ。本当にすごい方なのだ」
「私の母も同じ黒鱗病なんです……母も……母も助けてください!」
「もちろんだとも。我が夫はすごいだけではない。優しい人でもある。当然そなたの母親も助けるだろう。夫に代わって私が請け合おう」
エスカフローネ二世は胸を張って応えた。
それをポカンと見ていたエマールは「はぁ……」と両頬を抑えてため息をついた。心なしか頬が赤い気がした。もしかしてエマールも黒鱗病に罹っているのだろうか。だとしたらハシグチ様に彼女のことも頼まねばなるまい、と考えていると、
「……なんだかすごく羨ましいです」
とエマールがうっとりとした口調で呟いた。
「ふむ。なにがだ?」
「ご主人のことを愛してるんですね。いいなぁ、私もいつかそういう結婚がしたいなぁ」
思わず目を見張った。エスカフローネ二世はハシグチの呼び方と自称以外は自分が考えたことを当たり前に応えていたつもりだった。だが、当たり前に思えたことが、自分の中から自然に出てきた言葉が、周囲からは愛と取られられている、と言うことだった。
胸の奥が熱くなった。
エスカフローネ二世は手に力を込めた。
それから、そうか、これが愛なのか、と思った。
皇主として封じていた私人としての幸福が蘇ってきていた。公人の責務を理由に無理矢理押さえ込み胸の奥の牢獄にしまい込まれていたそれが外に出てきてエスカフローネ二世の心に熱を与えていた。
そして、それが恐ろしく心地よかった。
産まれてはじめて感じる幸福のように思えた。
もちろん、公人としても幸福を感じたことはあるが、それはなんだったのか、と考えると、厄介な会議が終わったときであったり、反対する大臣の説得に成功したときであったり、希望する人事案が通ったときであったりと、基本的に緊張からの解放、に尽きた。つまりそれは正確には幸福ではなく、不幸からの離脱なのだった。
一方愛がもたらす幸福は自分の心の底から湧き上がってくるもので、まったく違った。これこそ本来の人間の心に備わった幸福を感じる機能なのだろうと思えた。
幸福はゆっくりとエスカフローネ二世の責任感を蝕んでいるのが自覚できた。私人としての幸福が完全に自分を支配したら、皇主としての自分は死ぬだろう、とエスカフローネ二世は思った。
それでも愛は心地よかった。溺れたくなるほど魅力的な熱い沼だった。
ふと、ハシグチにひどく会いたくなっている自分に気づいた。ハシグチと子供を作りそれを育てる自分を夢想した。下腹部に熱を感じた。気恥ずかしくなったエスカフローネ二世は、ごまかすように周囲を見回し、素材である土がむき出しの壁、まっすぐと整えきれてない木の柱、藁を敷き詰めただけの床を見た。
現実は速やかにエスカフローネ二世の気持ちを冷やし、冷静になった。
「この村は……貧しいな」
エマールがキョトンとした顔を向けた。
「貧しい? ですか? よく分からないですけど、そうなんですか?」
「うむ」
「私は他の村を知らないんですけど、他はこことは違うんですか?」
「いや、すまぬ。余計なことを言ったな……なにもかも私の責任だ。許せ」
思わずエスカフローネ二世の口から出た言葉にエマールは首をかしげた。
クリスティーナが目配せをしてきた。
「リリーシャ殿」
「……うむ。わかっている」
「ハシグチのところに行きましょう」
「ああ。そうだな」
エスカフローネ二世はしゃがみ込み、エマールと視線を合わせて笑顔を浮かべてみせた。
「案内してくれるか?」
「もちろんです!」
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