3.おっさんは料理を食う……美味くない。
不思議な場所だった。
箸口は周囲を見回した。
中央に置かれた豪華な調度品は先ほどの廊下以上だったが、床と壁はむき出しの石のままで、ひどく寒々しかった。見ようによってはコンクリート打ちっぱなしでオシャレと言えなくもなかったが、だとすると家具の派手なデザインがあまりにもあっていなかった。しかもちょっとしたトンネルかと思うほどやけに奥に長い部屋で、部屋の向こうには巨大な寝台まであった。
箸口は訳が分からないと思いつつも、先日以来訳が分からない事ばかりなので、考えることを諦めた。だからせめて周りの景色を今後の造形に生かそうとキョロキョロ見回したが、うまく思考がまとまらなかった。理由はわかっていた。先ほど見たとてつもない美少女のことが脳から離れないためだった。
何もしないでいると不安が立ち上ってきた。
先ほどからひどく丁寧に扱われていた。身体は調べられたが、それ以上は何もされず、唯一の変化は手枷が足かせになったことくらいだった。足かせは歩きにくいもののゆっくりと一定の歩幅でちょこちょこ歩く程度の余裕があり、足かせには鎖がつけられその先は連れてこられた近くの壁に繋がれていた。つまり移動制限があり、かつ逃げ出せないわけだが、そもそも逃げ出したら切られるであろうことは何となく推測ができたから逃げるつもりはなかった。鎖が届く範囲になぜか一組だけ飾りも素っ気もないひとり用の椅子とテーブルが置かれていた。そこに座っていいものかわからず箸口はぼんやり立ったままだった。どれくらいそうしていただろう。壁には採光用の窓が一定の間隔で配置されており、そこを見る限り今は夜のようだった。突然昔やったアルバイトを思い出した。ただ立っているだけで金をもらえる警備のバイトだった。だがそれが一番つらかった。やることがない時間に箸口はなかなか慣れることができず、肉体的には大変だろうとやることがあった方が楽だと思いそのあとは身体を動かすバイトばかりやっていた。箸口はそんな考えのもと大学卒業後ブラック企業に入ってしまって、やることしかなく、そのやることが終わらず、常に時間に追われ続けじりじりと睡眠時間を侵食していく生活はそれはそれで辛く、辛いと考える余裕さえなく、趣味であったPC上でのメカデザインもまるで行えず、結果としてめちゃくちゃキツかったのだった。そんなキツい生活であるが、やはり自分のすべてを支配していたわけで、自分が抜けたことで会社はどうなってしまっているのだろうと考えるといても立ってもいられなくなってくるのである。こういう思考が自分を縛っているのはよく分かるのだがそれでも胃の辺りが絞るように痛くなってくるのは現実であり、不安は増すばかりで、落ち着かなくなって周囲を見ていると、突然扉が開いた。
明かりを掲げた複数の侍女の格好をした女性が入ってきて、驚いている箸口を尻目にテキパキと準備を始めた。まるで箸口は存在しないかのように視線さえ向けてこなかった。
あっという間に少し離れた豪華なテーブルと箸口の近くの小さなテーブルに料理が並べられた。
それから侍女のひとりが黙って一組の椅子とテーブルの椅子の方の背後に立って、こちらを見た。
誘っていた。
吸い込まれるようにふらふらと箸口が近づいていくと、自然な感じで椅子が引かれそしてその前に立ち腰を下ろすと同時に椅子がスッと差し出された。
あっという間に箸口は椅子に座っていた。
侍女達がまた壁際に並び、そして、扉が開いた。
箸口は何かを察してぐるんとすごい勢いで首を回してそちらを見た。
再び光が現れたのだった。
先ほど廊下で見たスーパー美少女だった。現代であれば箸口が見ただけで犯罪になりそうな高貴さだった。
再びなぜか心臓が早鐘のように打ち始めた。あの美少女のビジュアルは薬物的な効用があるのかも知れなかった。
美少女は微笑んで近づき、鎖を精一杯伸ばしても触れられないギリギリのところで止まって、
「qうぇrちゅいおp」
と言った。箸口はポカンと口を開いたまま見た目美少女は声まで綺麗なのか、と思った。綺麗なだけなく、透明感があり耳にスッと入ってきてなおかつ威厳があり、歌い手とかになったら絶対YouTuberとして大成するだろう、と思った。いやだが、顔出しはキツいかも知れない。これだけ美少女だと必要以上に熱狂的なファンが付きそうだ。声だけでも充分だから最初のうちはVTuberとしてやっておいて、どこかのタイミングでスクープという形で顔を出すのがいいか、などと箸口が意味がないプロデューサー気取りの想像をしている間に、美少女の方は背後に立っている一緒に現れた侍女のひとりと何語か言葉を交わし、
「zvbんm、m、。・gl;」
と言って離れたテーブルに座った。
相変わらず何を言っているのか分からなかったが、美少女は席に着くと液体が注がれたグラスを箸口に向かって掲げて見せた。
慌てて箸口が自分のテーブルを探して、やはり液体が入ったグラスを見つけそれを手に取って、美少女にあわせて掲げて見せた。
美少女は笑みを深めた。光が強まった気がした。
箸口は主人に褒められた犬のように想像上の尻尾を激しく振った。
美少女はグラスに口を付け、一気に飲み干した。箸口も同じように飲み干した。
液体は酒だった。
口当たりがよくつるりと喉に入ったあと、胃の中でカッと燃え上がった。
ヤバかった。
箸口は昔から酒に弱かったが、実はすぐに潰れるわけではなかった。飲んだあと三十分くらいはむしろテンションが上がって勢いが付き、その後一時間くらい掛けて通常状態を通り越してどん底まで落ち込み、そして意識を失うように寝る、というのが箸口のパターンだった。そして一定以上のアルコールを摂取したらもうあとには戻れず、つまり箸口は既にコースの決まったジェットコースターに乗り込んでしまっているのだった。
慌ててごまかすべく手当たり次第に目の前に並んだ料理を口に放り込んだ。何も変わらなかった。
もうだめだった。一方でもうだめだと考えるのもアルコールの仕業だろうと考えるとなんだか自分が考えているのかアルコールが考えているのかわからなくなっておかしくなってきた。こんなことを考えるのももう誰なのかもわからなかった。しかもどうせ明日になったら覚えてないのである。自分は酔っぱらったらその間のことは覚えてられないタイプなのだった。どうせ忘れるなら何を考えたって一緒である。
何が何だかわからないが楽しい。フォークですくったものを口に入れた。
なんだか不思議な食感で手元を見た。
食べていたのは煮物のようだが、どこか揚げたような風味もあった。ねっとりした中にざらつきがあるという得体の知れなさで人生初体験だった。
味はあまり美味しくなかった。
顔を上げると、美少女と視線が合った。
笑顔を浮かべると、笑顔を返してくれた。
めちゃくちゃ嬉しくなった。
目の前の料理をフォークで刺し、掲げそれを口に入れた。
美少女が微笑んで頷いてくれた。
次回更新は月曜日の予定です。