21.親衛隊長官は浮かれている。
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親衛隊の長官であるオレグは足早に皇宮を歩いていた。
皇宮で抵抗を続けている衛士はすでにわずかだった。
皇宮に入れたのはとりわけ忠誠心が強いと認識していた直属の配下であるにもかかわらず三分の一ほどが抵抗した。それほど皇主に対する忠誠心は強かった。当然、抵抗した配下は殺した。
その結果、皇宮には死が満ちていた。あちこちに死体が転がっていて、その死体を処理している人間がせわしく動いていた。死体も、死体を処理している人間も同じ鎧を着ていた。親衛隊の鎧だった。
親衛隊長官のオレグは四十五歳で、筋肉質の身体だが背は低く、容貌は愛敬を感じさせる顔立ちで、全体としてどこか『丸い』という印象だった。軍人らしい威厳はなく、その事実はオレグも自覚していて、逆に普段からなるだけ笑顔でいるように努めていた。そのためか「脅威が少ない」と周囲からは認識されており、親衛隊長官の役職をどの派閥が得るかという綱引きが貴族間で行われた結果、落とし所として下級衛士出身のオレグが『臨時』という言い訳付きでその座に納まっていた。
オレグは自分の立場は危ういバランスの上に成り立っている、と認識しており、普段から下にも憎まれないよう距離の近い上司を演じ続けていた。だから今日も死体を運ぶ部下とすれ違う度に「おう、がんばれ」「急げ急げ、急がないと腐っちまうぞ」と気さくに声を掛けた。とは言ってもいつもより口数は多くなっているという自覚があり、その度に自分自身の昂揚っぷりが恥ずかしくなった。だが止められなかった。たぶん躁状態なのだ、と思った。それほど解放感があった。あたかも別人になったような気さえした。
死に満ちたこの宮殿でさえまるで自分の家のように感じているほどだった。
そもそも親衛隊の長官であるオレグの経歴は貧乏衛士だった親元から離れてから親衛隊一筋であり、皇宮は仕事場であり続けた。だが、この仕事場でくつろげたことはなかった。皇主とその取り巻き達という『オレグの生殺与奪の権を持つ化物』達が棲む伏魔殿ーーそれがオレグにとってのこれまでの皇宮だった。
長官になってからは流石に下級貴族の不興で処断される可能性は減ったが、皇主や上級貴族であれば変わらず、オレグの失点を見つけて、彼の職を奪い、入牢し、さらに死刑にすることは可能であったはずで、だからオレグはそれを恐れて長官になったあともひたすら嫌われることを避け、そもそも争いが起こらぬように苦心し、生き延びた。生き延びながら、自分の力を蓄え、自分を殺しうる存在をゆっくりと乗り越えていった。あるいは相手の弱みを握り、あるいは恩を着せ、自分を攻撃してくる可能性を排除していった。
今ではオレグを処断できるのは、両手で数えられるぐらいにまで減っていた。もちろん皇主はそもそも乗り越えられる対象ではなかった。あまりにも眩しく、初めて遠目に見たときに足が震えてオレグはその場で頽れたほどの相手だった。神に近しい存在だった。この国を維持するための必要な神聖遺物を扱う血統を持ち、そしてそれを未来へ繋ぐ国家の基礎と言うべき立場で、オレグにとって彼が持つすべての忠誠の対象だった。
今オレグはその忠誠の対象を排除しようとしているのだ。国家の価値の中枢に手を掛けるのはオレグにあたかも天地が崩壊したような不安感を与えたが、その不安感が一方で不思議なほどの昂揚ももたらしているのだった。
この壮挙が成功すれば、オレグは上級貴族になれることになっていた。そうすれば、自分を処刑台に送ることができる人間はさらに減ることになる。
「オレグ長官!」
弾むように歩いていたオレグは、自らを呼ぶ声に振り返った。振り返ると同時に習慣になっていた笑顔を作っていた。自由を満喫する時間は終わりだった。
オレグを呼んだのは、中級貴族のバラティン男爵だった。
「陛下は見つかったか?」
ひどく焦った顔だったので、オレグの表情は瞬間的に自動的に焦った表情になった。同調こそがオレグの処世術なのだった。相手の感情に寄り添い、理性では距離を置くというのがオレグを生かしてきた『生き方』だった。
「陛下に関しては困ったことにまだ見つかってないようですがーー」
実際、皇主の姿は発見されていなかった。そのことがオレグが不安と昂揚を味わう時間をより引き延ばしていた。
「なぜだ!? あの目立つ女がどうやって煙のようにいなくなるのだ!?」
「この皇宮は親衛隊が完全に取り囲んでいます。逃げ出した可能性はありません。近侍の者も姿がないので、三人でどこかに隠れていると思うのですが、いずれ空腹になればーー」
「それではダメなのだ!」
バラティン男爵の必死の言葉に疑問を感じながらも、
「……困りましたな……だがわかりました。直ちに外に配置した部下を中に入れ、捜索をより強めましょう」
「頼む!」
「ではーー」
「いや、長官はこちらへ来てくれ」
そのまま引きずるようにバラティン男爵がオレグを連れて行ったのは、皇宮内の小部屋だった。
小部屋はもともと宰相であるリューレン公爵の執務室だった。リューレン公爵は今回の『政変』の中で拘束されており、現在部屋の中でオレグたちを待っていたのは内務卿のデルカール伯爵だった。
デルカール伯爵は、氷のように冷たい表情が似合う痩身の四十代の男であり、デスクに座って書類の処理を行っていたのが、オレグたちがやってきたので顔を上げた。
「……その顔は陛下は見つかっていない、ということか」
それだけ言うと書類に視線を戻した。
デルカール内務卿は極めて有能な政治家であり、内閣の中でも中心的な存在だった。とはいっても裏方を好む性格なのか、表だって動くことは少なく、だがそこに合理的なメリットがあればさまざまな提言を受け入れ実現まで導いてくれた。オレグが行っていた情報収集活動においても失点は基本的に見つからず、瑕疵がない政治家であるという認識だった。
デルカール内務卿が仕事に戻ったことで、オレグはどうすればいいか困って周囲を見回したが、隣でバラティン男爵が黙って立ったまま待っていたので仕方が無く同じく黙って待った。
半刻(15分)ほどして書類の仕分けが済んだようで、デルカール伯爵はすべての書類を処理済みの箱に入れて一息ついた。
「待たせたな……何かあったとしても仕事は進めねばならぬ」
「は」
「さて、報告を聞こうか」
バラティン男爵が、お前が返事をしろという視線を向けてきたのでオレグは驚いたが、仕方なく口を開いた。
「皇主陛下についての状況の報告、ということでよろしいでしょうか?」
デルカール伯爵はわずかに顎を動かして促した。
「親衛隊は皇宮の出入り口は完全に押さえており、周囲も巡回を行って誰も出さないようにしております」
「陛下の顔をご存じの人間が確認しているのか?」
「いえ」
慌てて何か言おうとしたバラティン男爵を手で押さえ、
「お伝えしたとおり、一人たりとも出しておりません。皇宮にいた人間は召使いも兵士も政府関係者もすべて中にとどめております」
「ほう」
「私は入ってきたぞ?」
不満げな顔のバラティン男爵にオレグは答えた。
「入ることはできます。入ることはできても出るのは私の許可が必要になっています」
デルカール伯爵は頷いた。
「なるほど。いい判断だ」
「ありがとうございます」
「もう一つ。例のーー三人組はどうしている?」
「ダラシャンの姿も今のところ発見されていません」
「彼らーーでよいのかは知らんが、入ったのは間違いないのだな?」
「それは間違いありません。彼らが入ったと同時に周囲を固めたのでまだ中にいるはずです。血痕は複数残されていたのですが、それ以外のものは発見されませんでした。隠れている、と推測しておりますが、皇宮ということでまだ壁等は破壊しておりません。許可をいただければ皇宮の図面と照らし合わせ、怪しい場所をーー」
顎に手を当てて何か考えていたデルカール伯爵が首を振った。
「……いや。無駄だ」
「……どういう意味ですか?」
「おそらく陛下はすでに抜けたと思われる」
「抜けた?」
「この皇宮には我々は知らぬ神聖遺物がある、ということだ。噂で聞いたことがある。それを使ってこの皇宮を出たのであろう。さて、その噂では出口までは伝えてなかったがーー」
それからデルカール伯爵が「ふむ……」と眉をひそめた。バラティン男爵は焦った様子だった。
「それでは困ります! け、計画が……!」
「計画は変わっていくものだ。固執するのは愚か者がやることだぞ」
「それは……そ、そうですが……陛下が生きていれば、確実に皇国は割れますぞ!」
「それをさせないための方策を考えている」
バラティン男爵が口をパクパクさせたあと結局何も言わずに押し黙った。そして、しばらくして突然思い出したように言った。
「……そ、そういえば、ふ、船のほうはどういたしましょう?」
読んでいただいて有り難うございます。間章の続きは今日更新予定です。二章は明日から更新予定です。




