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2.鮮血女皇はため息をつく。

     @


 らん皇国十八代皇主エスカフローネ二世は部屋に戻り、侍女のみになったところでため息をついた。呪いの言葉を吐きそうになり、すぐにやめて女神ラーヌと男神ベレス、そして大精霊に謝罪の祈りを捧げた。

 面倒な仕事が一つ終わったのだが、この仕事の最悪なところは意味がないことだった。さらに面倒な作業がもう一つ発生することが決まっており、しかもその作業もまた極めて不快で、そしてどうしようもなく意味がなかった。だがやる必要があった。少なくともエスカフローネ二世はやらねばならなかった。

 結局エスカフローネ二世は舌打ちした。

 エスカフローネ二世は万人が万人ともに「絶世の美少女」と呼ぶ美しい容姿と、成長途中のほっそりとした肢体を持つ少女であり、舌打ちさえもどこか気品があった。

 エスカフローネ二世は現在十七歳である。

 その年齢で二千万人の国民を抱える皇国のすべてを背負っていた。

 皇主という責務について、エスカフローネ二世は受け入れていた。皇主になるための教育も施されてきたわけで、それを無駄にするつもりはなかった。

 もともと皇主になることは決まっていた。前皇主である父ホルシュタイン二世は病弱で、ようやく出来た子供がエスカフローネ二世ひとりであったためだった。前皇主ホルシュタイン二世は皇位に就くと、直ちに隣国に対する同盟の証として留学という名の人質となっていたエスカフローネ二世を呼び戻し、改めて徹底的に帝王学を叩き込んだ。結局ホルシュタイン二世の在位はわずか四年ほどであったが、その間にエスカフローネ二世は充分な知見を得ることができた。父皇の最後の一年は、病床から離れることができなくなった父皇に替わって摂政として皇国を取り仕切ったほどだった。

 そして父皇の崩御とともに、十八代皇主となった。

 そこから先も休む暇のない日々だった。女皇という存在は四百年に及ぶらん皇国においてもエスカフローネ一世以来二度目であり決して通常の状態ではなく、摂政として実績を積んだものの、いざ皇位に就くと抵抗は大きかった。

 その過程でいまエスカフローネ二世はこう呼ばれている。


「鮮血女皇」


 それ以外にも「色狂い」だの「血まみれ姫」など、耳障りの悪い二つ名ばかりが並んでいた。その噂はエスカフローネ二世が面倒がって否定しなかったためにすっかりと定着した。

 その結果が先ほどの奇妙な儀式だった。

 あの儀式で並べられた男たちは、エスカフローネ二世への貢ぎ物だった。エスカフローネ二世は夜な夜な男を引き込んでは交接しては嬲り殺すことを趣味としていると言われていた。その獲物として後腐れのない者達を貴族達が連れてくるのだった。

 いったいどこの痴女だ、と思う。

 そもそもエスカフローネ二世は未だ処女である。男性と肌を合わせたこともない以上、自分の性癖については今の段階では想像も付かない。普通ではないかと思ってはいるが、そもそも普通とはなんなのかもよく分からない。閨の作法については帝王学の一環として学んだ。それを教えてくれる老女は、説明したあとしばし沈黙し、「……一方でこれは殿御の作法でございまする。女皇についてはお伝えすべきことはありませぬ」と言った。老女も当時十三歳の少女にこのような説明をすることはずいぶん戸惑いがあったろうと今になったら思う。

 その結果が鮮血女皇である。夜な夜な男を漁り楽しみ尽くすと殺すらしい鮮血女皇というものがいるのならちょっと会ってみたいほどの存在だった。そしてこの噂が将来自分の悪評となって残るだろう、ということも自覚があった。

 だがそれは逃れられない。そこも含めての皇主の責務なのだとエスカフローネ二世は諦めていた。

 エスカフローネ二世も、実は最初の方は『貢ぎ物』は殺したことにしてこっそりと逃がしていた。結果は「毎日殺す」という評判が固まっただけだった。

 そうなると自分に忠誠を誓うものも、その忠誠の表し方次第ーーつまり実力ではなく媚びを売ることで忠誠を示さねばならぬと考えるものは、『貢ぎ物』を送ってくる。結果があの人数だった。もう逃すことなどできなかった。

 今日も選んだ人間をあとで殺さねばならぬであろう。とりあえず茫洋とした頭の悪そうな男を指名した。このあと、彼にせめて最後の晩餐を充分な量与えたあと粛々と殺すだけだ。これは皇主としての責務の一つであり、そもそも彼らは殺される前提で連れてこられた者達であり、過去の者達もさまざまな罪を犯していることはわかっていた。あの男もそれなりの罪を犯しているのだろう。だから義務なのだった。

 エスカフローネ二世はもう一度ため息をつき、それから意識から先ほどの『選別』のことを頭から振り払い、侍女に命じて決裁書類を取ってこさせ、魔力を起動し政務を始めた。手助けするのは侍女のフアナとクリスティーナだった。フアナは官僚貴族アラゴン男爵家の次女であり国内情勢に極めて詳しく、さまざまな判断に必要な諸情報を教えてくれる頭脳とも呼べる相手で、一方クリスティーナは衛士上がりで護衛も兼ねている。この二人がエスカフローネ二世の最側近と言えた。


(ああ、もう一人いたな……)


 とエスカフローネ二世はとある顔を思い浮かべた。摂政をやっていたとき、社交界で出会って意気投合した貴族の子女がいた。だが、彼女は今遠く離れた土地で、都市長をやっていた。

 エスカフローネ二世が起動した魔力は皇国の神聖遺物の一つである玉璽に流れ込んでいた。玉璽自体が皇国の中枢聖遺物とリンクしており、これで決裁された事項は皇国の基盤に影響を与えるのだ。

 いくつかの施策の確認と決裁を終え、エスカフローネ二世は感謝の祈りを大精霊に捧げた。

 この世界の人々の例に漏れず、エスカフローネ二世も信仰心は篤かった。人類を生んだと言われる二柱の大アイゴスーー女神ラーヌと男神ベレス、そして皇国の建国に協力した大精霊セマルグルを深く信仰していた。この世界はアイゴスや精霊がもたらした奇跡が満ちており、その存在とその加護を疑う理由はなかった。

 それでもなおらん皇国には問題は山積していた。らん皇国において天変地異については未だ皇国の中枢聖遺物の力によって押さえ込まれている。だが、すでに中枢聖遺物の霊験を新たに設定すること不可能になっており、発生した問題には人間が対応しなければならなくなっていた。今、北方に戦乱の兆しがあり、そのために軍事費は大きく膨らんで来ている。また、それに呼応するように国軍の一部に不可解な動きがあり、そちらの牽制も行わなければならない。そしてそれを基本的には人事によって実現するのである。人事は本人の能力だけではなく本人に紐付く協力者の能力、さらには異動先との相性も重要で、加えて将来的な化学反応も含めて予測しパズルのように組み上げていくのだ。難しいことこの上なかった。

 頭を悩ませていると、刻限を知らせる鐘が鳴った。

 同時に、


「陛下、お時間です」

「そうか。もうそんな時間か……ではいつも通りに」

「は」


 エスカフローネ二世は立ち上がった。気の重い義務を果たさなければならなかった。

 あの哀れな男に最後の晩餐にふさわしい食事を与えて、その後に殺すのだ。

 自分はこんなことをするために皇主になったのか、という数えることが嫌になるほど悩んできた疑問が再び浮かび上がるのを義務感ですり潰しながら、別の部屋に向かった。


次回投稿は明日の予定です。

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