10.おっさんはびびる。
ソーフィアについて箸口に訊ねられたセンシルは衝撃を受けた顔で、
「……おや、驚いたな。ソーフィア様についてだって?」
「す、すみません……常識なのかも知れないのですけど、ここがどこかもわからないもので、あの方が偉大な存在だというのはわかるのですが……」
センシルは困ったようにため息をついて、それから笑顔を浮かべて頷いた。
「常識も常識。ソーフィア様は七柱しか存在しないアイゴスーーつまり最高神のお一人で、このエーテルシェルの守護を為されている方だ。このエーテルシェルは世界を包み込み、邪悪なる神の侵攻から護り続けている。僕達式霊はソーフィア様に従って邪神の手先を排除するのが仕事だよ」
ため息までついてみせたもののソーフィアを説明するセンシルはひどく自慢げだった。仕えている相手を心の底から尊敬している証だと箸口は思った。そんな風に誰かを無条件に尊敬できるのが少し羨ましかった。自分はもちろんブラック企業の上司は尊敬できなかったが、それだけでなく自分の趣味だった3Dフィギュア作成であっても、例えば展示会で展示されていた作品がすごく気に入っていても、作者に対しては「へぇ」「偶然だろ」「自分も本気になればできる」などと自分より下に見ていたように思う。だが誰かを心の底から上位と見なす人生もそれはそれで落ち着く生き方だと思った。
それにしてもあのマニアックな脂肪の付き方をした美女はやはり神だったようだった。しかも最高神のお一人? 最高って複数あっていいの? 最高とはいったい? とは思ったものの七人いたとしてもとにかく最高神だからめちゃくちゃ上位存在なのだった。何しろ地球には今のところそんな存在はいないことになっている。アメリカ大統領の遥か上位の存在だ。ファンタジー世界はすごい、と思った。幸い、見た目は超絶美人だったからすんなり納得できた。箸口はともかく敬意を表すべく、驚きの表情を浮かべてみせた。
それから、不安になった。
「……し、失礼とかなかったですかね?」
「もしソーフィア様がそう感じられていたら今頃君は霊魂ごと消滅していただろうね。ここにいることを許されたんだから大丈夫だよ。ここだけの話、気に入られているんじゃないかな? 何しろここ千年くらい滞在を許されたのは君とセマルグルだけだからね」
「な、なるほど……」
霊魂ごと消滅というのが想像できなかったが、たまひゅんするくらい怖かった。
絶対にソーフィア様に怒らさないようにしようと固く心に誓った。どこに注意をしておけばいいか聞こうとして、センシルに視線を向けると、突然センシルがあらぬ方を向いた。表情が変わっていた。さらに興味なさげにセンシルと箸口の会話を聞いていた他の四人も同じ方を向いていた。
箸口が同じ方を向いたが、そこには何も無くただ空間が広がっていた。
「少し用事ができた。君はここで待っていたまえ」
そう言ったとたん、五人はいっせいに走り出した。
「ちょ、ちょっと!」
と言いつつ、箸口は一瞬追うのを躊躇した。五人の表情から危険な状況が発生したのだろうと思ったからだった。
だが、次の瞬間、
(どういう理由かわからないけど、俺がここに来たってことはもしかしてあの娘がここに来るかも知れないかも!)
その可能性に思い至ってしまった。
次の瞬間、箸口は走り出していた。
別にあの娘を全裸仲間のひとりとして歓迎したいわけではなかった。混乱するだろうし、それだったら(箸口がいることで本当に安心できるかはおいておいて)少しでも支えになってあげたいし、何よりあの娘が全裸で現れるのならその場にいたかった、ではなく、あの娘の無事を確認し安心したかった。
走っていて疲れないことに気づいた。日頃の不摂生がたたって五秒も走ると息切れしていたのが嘘のようだった。やはりこの身体は実際の身体に似て非なるものなのだろうと思った。
箸口が五人を追って走り続けてたどり着いた場所では、世界に亀裂が入っていた。箸口は驚愕した。裸のあの娘どころではなかった。文字通りの亀裂だった。空間に幅五メートル、長さ十五メートルほどの引きちぎったような裂け目が生じていた。そしてその亀裂から蛸ともミミズともイソギンチャクともつかない触手が蠢きながらこの世界に入り込もうとしていた。一本ではなかった。今見えているのは五本だが、この空間の外には無数の触手がうねっていて、よってたかってこの世界の内側に少しでも侵入しようと争っているようにさえ見えた。放っておくとこの世界の内部がすべてこの触手で埋め尽くされそうだった。
生理的な嫌悪感がまずあった。気がつくと箸口は足を止めていた。背筋に震えが走った。釣りの生き餌のゴカイが詰まった箱を覗き込んだような、なんとも言えない根源的なおぞましさを感じていた。
五人の式霊たちは、箸口と同様に足を止めたが、それは箸口とは異なり戦うためだった。
「霊兵装を出すぞ!」
しゃがみ込み、地面に手を当てた。
次の瞬間、まるでそこに隠されていたかのように地面から剣や弓、槍が引き出された。そしてそれを持って触手に攻撃を仕掛けた。すぐに激しい戦いがあちこちで始まった。
箸口は恐怖に駆られながらも気になって先ほど剣や槍が引き出された場所に近づき見てみたが、穴があるわけではなく他と変わらない地面に似た何かがあっただけだった。
突然、女性の声で、
「付いてきてしまったのか間抜け!? 邪魔だから離れていろ!」
そう言いながら、地面に気をとられ箸口が気づかない間に背後から近づいていた触手の一本を槍で払った。
助けにくれたのは式霊の一人だった。声が最初に箸口を叱りつけて地面に押さえつけたものに似ていたからその『光』だったのだろう。銀髪をポニーテールに結っていた。
触手と言っても太さは人間の胴体ほどもある。長さに至ってはどれほど続いているのか亀裂の向こうに続いているので判然としない。重量的にも数トン、などというレベルではないだろう。そんな触手を力任せに払いのけたのだから、反動はポニーテールの式霊の側にもあった。まず、凄まじい音、そしてその勢いで槍は折れ、ポニーテールの式霊の体勢が崩れた。
次回更新は明日の予定です。