陽だまり
木漏れ日が踊る緑陰の森に、一陣の風が吹き抜ける。
「これで最後だ!」
まだ幼さを残す鈍色の瞳の少年が手を振り上げる。少年は射るような視線を向ける先、相対する金色の眼の少年に向けて、手に握っていたものを投げつける。
勢いよく投げられた草の実がバラバラと金眼の少年に降り注ぐ。
しかし、それらが金眼の少年に当たることはなかった。
ギラリ、少年の金眼が底光りする。彼は咄嗟に後ろに飛び草の実を避けると、地面を強く踏み込み、対峙する少年に肉迫した。
金眼の少年が鈍色の瞳の少年の肩を掴む。
「捕まえたぜ、デューク!」
ニヤリ、金眼の少年が口の端を持ち上げて笑ったのとほぼ同時。鈍色の瞳の少年はにっと笑い、自身の背後に向かって叫んだ。
「今だ、エレン!」
ぶわり、突風が吹きつける。
少年がはっと空を仰ぎ見る。見開かれた金眼に、魔法の杖に乗り、夏の青空を駆ける少女の姿が映る。
「…!させるか!」
金眼の少年が少女へと手を伸ばす。風を切って走り、高く跳躍して、思い切り伸ばした指先が少女の乗る杖先を掠める。
金眼の少年は歯を食い縛り、目いっぱい少女に手を伸ばす。しかし風に乗って飛ぶ少女を捕らえるには至らず、伸ばした手は空を切った。
金眼の少年を振り切った彼女は、不意に振り返ると新緑の瞳をきらめかせて誇らしげに笑った。
「……私たちの勝ち!」
地面に降り立った少女の手には、金眼の少年が守っていた旗がしっかりと握られていた。
大きく枝を広げた立派な大木が濃い影を落とす木陰に幼なじみたちと並んで腰を下ろし、水筒に汲んできた水を喉に流し込む。乾いた喉に冷たい水が染み渡るのを感じて、ほっと息を吐き出した。
「あー、生き返るー!」
勢いよく大木に背を預けて声を上げると、隣に座っていたデュークが確かにと笑った。
「ああ。思いっきり走った後の水って何よりも美味いよな。」
デュークが水筒の中身全てを飲み干す勢いで一気に仰ぐ。清々しくなるくらい気持ちのいい飲みっぷりだ。
ひとつ隣で涼んでいたジンは、デュークの一気飲みを見て思わずといったように水筒から口を離し、
「おい、飲みすぎるなよ。帰りの分がなくなっても知らねえぞ。」
とデュークを小突く。
ジンの厳しい言葉に、デュークははつり、目を瞬かせ、それから大丈夫だと胸を叩いた。
「今日はもうひとつ持ってきているからな!」
そう言ってデュークが取り出した水筒は西瓜みたいに大きくて、私とジンは顔を見合わせて笑ってしまった。
ざわり、風が吹いて木々がさざめく。青葉の隙間から差し込む木漏れ日が頭上でチラチラと踊っていた。
眩しいくらいに強い陽射しが濃い影を落とす夏の昼下がり。私たちは村の近くの森で、旗取り合戦をして遊んでいた。
旗取り合戦というのは、旗を守る役と旗を奪う役に分かれて地面に突き刺した旗を奪い合うゲームで、旗を守る役は敵に旗を制限時間まで守り切れば、奪う役は時間切れになる前に旗を奪えれば勝ちになる。また最近では、相手が投げた守り役はひっつき虫の名で親しまれている草の実に当たったら脱落というルールも追加した。
基本的に何でもありの、自由度が高いこのゲームは最近の私たちのお気に入りで、暇さえあれば敵味方に分かれて旗取り合戦に勤しんでいた。
「うーん、やっぱり何度やってもジンの守り役は手強いよね。今回も捕まっちゃうかと思ったよ。」
小さく笑ってジンを見ると、隣でデュークもうんうんと頷いた。
「足が速いのはもちろんだが、なんというか……守り役のジンは近づきくいオーラがあるよな。」
デュークの至極真面目な顔で告げた言葉に深く同意する。
ジンの家は代々狩人をしていて、毎朝体力づくりにと小父さんたちと走り込みをしている。その成果があって、ジンは同年代の誰よりも体力があるし足も速い。それに気配に敏感なようで、私たちが隠れていても、どこにいるのかなんとなくわかるらしい。
見習い狩人としてすでに頭角を現しているジンの纏う雰囲気は鋭く、獲物を狙う狼のようで、近づくのにも勇気がいるくらいだ。
だから正面突破なんてできないし、ジンに隠れてこっそり旗を取りにいくというのも至難の業なのだ。
私もデュークも、ジンのそういったところが手強いと思っているのだけれど、本人は納得していないらしく、
「いや、まだまだだ。今回はデュークを押さえるのに精一杯で、結局エレンに抜かれちまったしな。」
と首を横に振った。
「足が速さならデューク、お前も俺と同じくらいだろ。それに突撃してくる時の勢いと咄嗟の瞬発力には毎回ヒヤッとさせられる。手強いっていうなら、攻め込む役のお前も相当だぞ。」
ジンの言葉を受け、デュークがこてんと首を傾げる。
「そうか?」
不思議そうに問いかけるデュークに、私は確かにと深々と頷いた。
「デュークが攻め込む役の時は緊張するし、毎回ちょっとした恐怖体験だよ。」
私の中で、一番手強い守り役がジンなら、最強の攻め込み役は間違いなくデュークだ。
デュークはどんなに守り役が手強くても、毎回いの1番に突撃するくらい度胸がある。しかも簡単には捕まらないくらい守り役の手を避けるのがうまい。
しかも狩人になりたい訳でもないのに、何故かほぼ毎日村の狩人たちに混ざって走り込みしているから、足も速いのだ。
だから今回みたいにわざと囮役になって時間稼ぎをしてくれる時もあるし、正面突破で守り役を振り切って旗を奪取することもある。まさに勝負の切り札なのだ。
ちなみに正面突破されるときの気迫はすごいもので、鬼のような形相も相まって、真正面から目が合うと縮み上がるくらいには怖い。けれどそう思っているとばれるのはなんだか恥ずかしいから、自分だけの秘密だ。
普段はふわふわしてて、ちょっと危なっかしい弟分って感じなんだけどなぁ。
そう思ってデュークを見ていると、ふと綺麗な鈍色の目と出会った。デュークは小さく首を傾げて私の顔を覗き込むと、
「それを言うなら、エレンは守り役の時も攻め込む役の時も、どっちも手強いと思うぞ。」
と言った。
「え、私が?」
はつり、目を瞬かせる。デュークからのまさかの言葉に驚いていると、ジンも確かにと頷いた。
「一番油断できねえのはお前だ、エレン。」
「ええ?ジンまで何言ってるの。」
私、魔法は得意だけれど、ふたりみたいに速く走ったり、咄嗟に相手を捕まえたりだなんてできないよ。
言外にそう言って、眉をひそめる。
幼なじみふたりと外を駆け回るのは楽しいけれど、それはそれ。少し走れば息が切れてしまうくらい、運動は苦手なのだ。
走るのが苦手な分は魔法でなんとかしているけれど、それでも魔法が自在に使えるって訳じゃない。だから、実はふたりには苦戦することも多いのだ。
私からすれば、ジンやデュークの方が油断ならない相手なんだけれどなぁ。
「別に嘘言ってる訳じゃねえぞ。お前の作戦で状況がひっくり返ることもあるし、何より、旗取り合戦やるたびに魔法が上手くなってるだろ。それ見ると、俺も負けてられねえって思うんだ。」
ジンが唇の端を持ち上げ、挑発的に笑う。闘志を秘めて金色に光る幼なじみの目を見て、私もふと笑みを溢した。
「私だって、ふたりに負けるつもりはないよ。」
負けじとジンの金色の目を見つめ返す。それを見たデュークも、
「俺も、ふたりには負けないからな!」
と声を上げる。
デュークの鈍色の目は強い意志を宿して、満点の星空を閉じ込めたみたいにキラキラと輝く。
お互いに見つめあって、やがて、誰からともなく笑い出した。
「それじゃ、みんなライバルだね!」
「それいいな!みんなで強くなろうぜ!」
「いいぜ。誰よりも強くなってやる!」
そう言ってみんなで笑い合う。こうして私たちの穏やかで眩しい夏の昼下がりは過ぎていくのだった。