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07 隣人のお裾分け

07 隣人のお裾分け




 一学期期末試験を一週間後に控えた学校ではテスト週間に入っていた。全ての部活動はこの期間休みになり、生徒に試験勉強を促している。しかし、部活動で普段遊ぶ時間がない生徒達はここぞとばかりに出かけていて、勉強に励んでいるのは一部の生徒だけだ。


 結局、テスト週間と言ってもどのように過ごすかは己の裁量に任される。


 進路の幅を広げるためには成績を上げておくことに越したことはないのだが、遊びたい盛りの高校生は将来よりも今を優先してしまう生き物なのだ。

 テストが終われば夏休みに入るので、それも浮足立っている原因の一つかもしれない。


 普段から勉強している寛人は試験勉強に焦る事もなく、いつも通りの生活を送っていた。部活動は休みになっても美化委員の活動はあるし、バイトも普段通りのシフトで通っている。それでも問題なく、それなりの点数は取れるだろう。


 目標としては三十位までの生徒が掲示板に張り出されるのでそのラインに入ること。

 中間試験で既にその目標は達成しているのだが、無理に引き上げたりはせず、堅実に成績を維持していくつもりだ。


 変わらない生活。平穏で平坦。それで構わない。

 寧ろ、それを渇望すらしているのだが、変わらない日々の中に一つの変化が生じていた。


「今日もか」


 美化委員の活動を終えて帰宅し、夕飯の前に軽く勉強していると玄関のチャイムが鳴る。

 ここ数日続いている展開にどうしたものかと首を搔きながら玄関に向かい、モニターをちらりと確認すれば、予想通り見慣れた少女が立っている。


「こんばんわー」

「……こんばんわ」


 渋々、玄関を開くと雛乃が元気に挨拶をしてくれる。

 挨拶は無視しないと約束したので返しはするが、酷くやつれた口調になってしまった。


「これ。作りすぎちゃったので」


 そう言って掲げるのは手のひらサイズのタッパー。中には鯖の味噌煮が丸々一切れ分入っている。因みに昨日はパリパリの春巻きが二つ入っていた。


「このままじゃ食べきれなくて無駄にしちゃいそうなので貰ってくれませんか?」


 柔和な笑顔で少しだけ申し訳なさそうな雛乃の態度は、これが初対面なら本当に作り過ぎただけなのだと疑わないだろう。温かい近所付き合いの一コマだ。けれど、それも三日連続で続いたら恐怖でしかなくなる。


「意図的に作りすぎるな」

「ち、違うよ? ちがうちがう」

「違くない」

「ホントニチガウノニナー」


 下手くそな芝居でシラを切り通そうとする雛乃。

 それも流石に無茶だと悟ったのか今度は強引に詰めてこようとする。


「と、とにかくっ! お隣さんを助けると思って! 暖かい内に食べてね。それじゃ!」


 寛人の返事も待たないで強引にタッパーを押し付けると、踵を返して自分の部屋へと帰っていった。最近の彼女は毎日こんな様子で、作りすぎたと言っては料理を一品持ってきて、それを渡すと間を置かずに帰っていく。


 先日の寛人の発言を彼女なりに考えた結果がこの形なのだろう。

 部屋に上がりたがる素振りはあの日以降見られない。寧ろ、距離を置かれたとしても不思議ではなかったが、雛乃にとってこの隣人関係は続ける意味があるらしい。

 その理由を考えても今の寛人には理解できそうにはなかった。


「……飯にするか」


 タッパーはまだ暖かい。雛乃の言う通り、冷めない内に食べた方がいいだろう。

 米は既に炊き始めている。炊飯器の液晶を確認すればあと数分で炊き上がるようだった。

 白米と鯖の味噌煮だけでも食は進むが、それだけだと寛人は白米を炊いただけで、雛乃に養われている感じが強いので、米が炊ける間に味噌汁でも作ろうと小鍋に湯を沸かす。


 冷蔵庫に残っていた大根の残りをいちょう切りし、えのきの石づきは切り落として、煮立った鍋の中に放り込む。包丁の扱いも随分と慣れたものだが、継続しないと忘れてしまいそうなので、雛乃の施しを受けはしつつも何か一品は作るようにしていた。


 火が通るまで煮込んで、市販の合わせ味噌を溶かした後に一煮立ちさせれば完成だ。

 火を止めて、自身の食事を始める前にミケにもご飯を準備する。

 ミケもお腹が減っていたのか、匂いにつられて寝床からのそのそ顔を覗かせた。


 餌皿に噛り付くミケの食いっぷりを確認してから寛人もソファに座って手を合わせる。

 人心地着きたくて味噌汁を一口飲んだ。美味しいのだが、雛乃が作った味付けには一段劣る。加えた手間の差だろう。寛人は簡単に済ませたので味に差が生まれるのは仕方ない。


 続いて雛乃手製の鯖の味噌煮をいただく。ふっくらとした仕上がりは箸で簡単にほぐすことができて、口に運ぶと甘めの味付けが口の中を満たしてくれる。

 自然と白米に箸が伸び、口一杯に白米をかけこんだ。鯖の味噌煮と合わせたら何杯でも食べられそうだ。


 あっという間に平らげて、食器を洗う。タッパーも念入りに洗って水気を拭き取った。

 このタッパーは雛乃に返さなければならないが、空のまま持っていくのは寛人の流儀に反する。タッパーにこれでもかと市販のクッキーやマドレーヌを詰め込んで、玄関を出た。

 隣の部屋の前で玄関のチャイムを鳴らして、雛乃が出てくるのを待つ。


「待たせちゃってごめん」

「大して待ってない」


 わざわざ外に出てこようとする雛乃を玄関内に押し留めて、タッパーを手渡す。


「今日も美味かった」


 一言添えると彼女は照れ笑いのように口角を緩めて、とても大切な宝物みたいにタッパーを抱える。


「えへへ。わっ。今日もいっぱいだぁ」

「家に余ってた」

「えー。ほんとかなぁー」

「甘党だからな」

「え。ほんとに?」

「まぁ、好きな方だな」

「洋菓子派? 和菓子派?」

「どっちも好きだが、どちらかというと和菓子派だな」


 ただ、一人暮らしをしてからは滅多に食べなくなった。

 実家で暮らしていた時は両親が買ってくれていたので良く食べていたけれど、今は買い出しに出かけても必要最低限の物しか買わないため、食べる機会が減っている。


「そっかー。へー。ふーん」


 何故か得心を得た様子で何度も頷いている雛乃。

 要らぬことを言ってしまったかもしれない。


「……もう作り過ぎないようにな」

「は、はーい」


 先回りして注意しておくが、恐らく明日も作り過ぎるのだろう。

 小さくため息を吐いて、自宅に戻ろうと背を向ける。


「宍戸君!」


 背後から声をかけられて振り返ると、ドアをもう少しだけ開いた雛乃が隙間から顔をひょっこりと覗かせて、寛人を見送っていた。


「おやすみなさい」


 それだけを一方的に言って、引っ込んでしまう。

 挨拶を無視するなと言ったのは彼女だったけれど、言い逃げのパターンもあるらしい。


 自宅に戻るとミケが玄関で迎えてくれた。

 ミケが玄関で待っているのは珍しい。出迎えられるのは初めての経験だ。


「どうした?」


 その場でしゃがんで視線を合わせる。

 ミケは寛人と少しだけ目を合わせた後で、奥側を覗くように視線を動かした。しかし、そこには誰もいない。玄関に立っているのは寛人だけだ。


 にゃー、と物悲しそうに鳴いて、誰かを待っているようにその場から動かないミケ。


「今日はもう誰もこないぞ」


 そっと抱えてリビングまで連れて行く。ソファの上に下ろして、隣に座った。

 教科書を開いて勉強を再開しようとした矢先、ミケに太腿をぺちぺちと叩かれる。

 そちらを見てみると、寛人の太腿をよじ登ろうと奮起しているが、上手くいかず、じたばたさせている前足が寛人の右腿を撫でていた。まだ、身体が小さいので登れないようだ。

 しばらく頑張っていたミケだったが、諦めて寛人を無言で見つめてくる。どうやらおまえが乗せろということらしい。


「へいへい。ほら」


 右腿の横に自分の腕を置いて階段にしてやると、それを登って、太腿の上で丸くなる。


「今日は随分甘えてくるな」


 寝転がったミケの背中を撫でてやると、気持ち良さそうに喉を鳴らす。

 きっと、寂しいのだろう。彼女はミケに寄り添ってくれていたから。


「悪いな。でも、俺で我慢してくれ」


 今の関係がきっと正しい筈だから。



 


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