05 隣人の心配
05 隣人の心配
結局、美化委員の活動をしていると家に帰る時間が無くなってしまったので、学校を出た足でそのままバイトに直行した。寛人のバイト先は個人経営の喫茶店。
商店街の裏路地の細い路地を進んでいくと現れる隠れ家的な立地に存在している。
利用客の年齢層は高めで、落ち着いた雰囲気の奥様方や、スーツ姿のサラリーマンの一人。大学生のカップルなどが多い。シックな雰囲気で高校生には敷居が高いためバイトがばれる心配もない。
校則でバイトが禁止されている訳ではないのでバレても退学処置なんてことはないのだが、見つかったらまた変な噂を立てられかねないし、それで店側に迷惑を掛けられてしまったら申し訳が立たない。
高校入学後すぐにバイトを始めて二か月強。仕事内容は既に把握しているので普段通りの業務をこなす。客層故、厄介な客が来店することも滅多にないため閉店の時間まで問題なくバイトを終えた。
閉店作業を終えてバイトを上がり、徒歩で帰路に就く。この時間の商店街は飲み会終わりの酔っ払いが多い。平日なのでそこまで混み合ってはいないが部活帰りの学生もちらほら見受けられるため、さっさと抜けた方がよさそうだ。
人通りの少ない裏道に入り、軽く歩調を速めながら帰路に就いた。
二十分ほど歩けばマンションに到着。
オートロックを解除し、エレベーターで四階まで上がる。
エレベーターホールを出た瞬間。その異変に気が付いた。
エレベーターホールから自身の部屋に通じる廊下。その丁度寛人の部屋の前に設置された電灯が切れかかって明滅している。それだけなら別に気にしない。
問題はその薄暗くなった通路に人が蠢いていることだった。
流石に不気味だったけれど、確かめなければ部屋に入れない。
わざと足音をたて足を進めようとして、同時に影が勢いよく振り返った。
暗闇に目が慣れていなくて、目を凝らしてもはっきりとは輪郭が見えない。
先にアクションを起こしたのは影の方だった。通路を蹴って、凄まじい速さで疾駆する。身体が強張っていた寛人は反応が遅れ、逃げることもままならない。
「……うぐっ」
その影は俺と正面から衝突し、そのまま通路に押し倒される。
刺された、と思った。けれど、自分の身体を触って確認してもこれといった外傷はない。衝突の衝撃も大したことはなく、強いて言えば尻と背中が痛むくらいだ。
「ししどぐぅん……」
影の正体を確認すると、それは泣きじゃくった雛乃だった。
目尻に涙を溜め、それが雫となって頬を伝っていく。
「……どういう状況だよ」
現状を確認しても混乱していている脳みそでは雛乃の行動に理解が及ばない。
彼女の口から事情を語って欲しかったが、当人は寛人の胸に頭をぐりぐり押し付けていて、とても説明が出来そうな雰囲気ではない。
玄関の前で右往左往していた雛乃。恐らく人を待っていたのだろう。それは今の状況から寛人だったことは明らかだ。寛人の姿を確認するや否や、こうして抱き着いてきて、何故か泣き腫らしている。
雛乃の身に何か起きているような感じはしない。体調が悪化していれば大人しく寝ているだろうし、元気になったのならミケと遊んでいるような気がする。
そこで合点がいって背筋が冷たくなる。ミケだ。ミケの身になにかあったのか。
最悪の結末を想像して、上体を跳ね起こした。
乱暴に雛乃の肩を抱いて胸から引き離す。雛乃の目尻にはまだ涙が浮かんでいたが、慰めている時間はない。事が事なら事態は一刻を争うのだ。
「ミケになにかあったのか!?」
何も起こっていないことを願うと、自然と声は大きくなった。
「へ? ミケ? ミケがどうしたの?」
「……訳が分からん」
雛乃が不思議そうに小首を傾げる。確実にその権利があるのは寛人だったが、何事もないならそれに越したことはない。一先ず胸を撫で下ろして肩の力を抜く。
不安を掻き立てられた苛立ちで咎めるように雛乃を睨んだ。
「だったら、なんで泣いてんだ。こんなに大騒ぎしている理由はなんだよ」
「だって、宍戸君が帰ってこないから」
「……は?」
雛乃が泣いている理由は寛人にあった。
「学校が終わったら帰ってくるって言ってたのに、どんなに待っても全然帰ってこないから。何か事件に巻き込まれたんじゃないかと思って」
それで心配になってわざわざ家の外で待っていたというのか。
もしかすると、これから周辺を探しに行くつもりだったのかもしれない。
「もう少しで警察に連絡するところだったよ」
危なく大事に発展する一歩手前だったらしい。
「……帰りが遅くなったのはバイトがあっただけだ。今朝はバイト前に一回帰ってくるつもりでそう言ったけど、委員会の仕事に捕まってその時間がなくなった」
別に事件に巻き込まれた訳でも、事故に遭遇した訳でもない。
寛人が端的に呆気ない事実を伝えると雛乃はようやく落ち着てきたのか一度鼻をスンと鳴らし、胸の内に溜め込んでいた陰鬱な空気を吐き出した。
「……そうだったんだ。よかった」
寛人に向かって綻ぶような笑顔を見せる。慈愛に満ちたその表情を直視するのは理性が嫌がって即座に目を逸らす。しかし、寛人を心配して泣いていたという紛うことなき事実は嫌が応なく寛人へ襲い掛かった。
くすぐられたようなむず痒さが全身に走って、それを誤魔化すように思考もままならないまま口を開く。
「別に泣く程のことじゃないだろ」
「な、これは、だって……。心配で。宍戸君の姿見たら安心して、それで……」
尻すぼみに声が小さくなっていく雛乃。顔を赤くして恥ずかしそうに俯く彼女と同様の羞恥心が寛人の中にも浮かんでくる。
どうやら指摘する内容を間違えたようだ。しかし、羞恥で染められた脳みそは正常に働かなくなっていて、更に深いところまで足を踏み込ませてしまう。
「他人のことでよくそんなに泣けるもんだ」
「他人じゃないよ。宍戸君は」
さっきまで恥ずかしがって目も合わせられなかった雛乃が真剣な表情で真っすぐ寛人を見つめてくる。
「友達でもないだろ」
「友達になってくれるの?」
「結構だ」
「ひどい」
泣きべそをかいたままの彼女を押して、自分の身体から引き離す。いつまでもこのままの体勢でいると同じフロアに住む住民に見られたときに誤解されかねない。
早急に離れてもらう必要がある。
「いい加減退いてくれ。重い」
「ホントにひどい!!」
雛乃の絶叫が通路に響いたが、効果は覿面で一瞬で寛人の上から飛び退いた。
自宅に入って手洗いうがいを済ませリビングに向かうと、当たり前の顔をして雛乃がソファで寛いでいた。膝にはミケが乗っていて毛繕いをしている。
「自由に寛ぐな。体調良くなったなら帰っていいぞ」
「え。すごい迷惑そう。朝は宍戸君の方から誘ってくれたのに」
「誤解を招きそうな言い方はやめろ。もう充分元気そうだな。帰れ」
手で追い払うようなジェスチャーをすると、不満そうに雛乃が頬を膨らませる。
「お礼ぐらいさせてよ」
「いらん。別に恩を着せたつもりはない」
「もう準備してるもん」
そう言ってミケをソファに座らせると彼女は立ち上がり、寛人の前を通り過ぎてキッチンの方に入っていく。
「宍戸君ご飯ってまだだよね?」
「まだだけど……」
「簡単なものでよかったら作らせてください」
自分の家から持ってきたのか寛人の家にはないエプロンを装着した雛乃が意気揚々と宣言する。他にも調味料一式が入った籠が台所の上に置かれていた。
「買い出しいったのか?」
「ううん。私の家にあった物で作ろうかなって。冷蔵庫の中少なくて大したは物は作れないし、私もまだご飯食べてないから量少なくなっちゃうかもしれないけど」
雛乃の料理の腕前は分からないが、バイトのある日は簡単に冷凍食品で夕飯を済ませてしまう寛人にとっては正直有り難い提案だ。
貸し借りを返すという考えも寛人の信条に合っている。ただ、釣り合いが取れているような気はしない。だから、寛人からも一つの提案した。
「……俺の冷蔵庫に入ってるものも勝手に使ってくれて構わない」
「え、でも」
「自慢じゃないが食欲は旺盛な方だ。微妙な空腹を感じながら寝たくない」
「わ、わかった。たくさん作るね!」
ファイトポーズを作ってやる気になっている雛乃が冷蔵庫を覗き始める。それを横目に寝室へと入って、バックを部屋の隅に置く。ベッドを見ると元の状態よりも綺麗に整えられていた。何なら部屋の掃除までされているような気がする。
彼女が夕飯を作っている間手持無沙汰だ。
「風呂入ってもいいか?」
「え!? う、うん。どうぞ……」
キッチンから振り返った雛乃が何故か顔を赤らめる。
風呂に入る時間があるかを尋ねただけなのだが。
「貯めてあるから、追い炊きするね」
「……」
慣れた様子で給湯器のボタンを押す雛乃。
どうやら寛人が学校から帰ってくるタイミングに合わせて一度お風呂を貯めていてくれたらしい。部屋の掃除といい気を遣う必要はないのだが、ちらりと見えた横顔が柔らかく微笑んでいたため何も言いはしなかった。
それはそれとして、その一連の行動には思うところがない訳じゃない。
同級生として知り合ってから二ヶ月以上は経過しているが、話したのはほとんど昨日が初めてに近い。そんな関係で家に上がってご飯を作り、お風呂を貯めている姿はどうかと思う。
無警戒な背中はあまりにも無防備で、彼女が無知である証明だった。
着替えだけを取って、リビングに戻る。
ミケの様子を確認するとソファーから降りられなくなってじっとしていた。
抱えて床に下ろしたら逃げるようにキャリーバックの中へ入っていく。
「あ、ご飯あげたよ」
「悪い。助かる」
「うん」
風呂場に向かい髪と身体を洗って湯船に浸かる。
充分に温まった後、バスタオルで身体を拭いて、脱衣所内で服を着替える。
今日はもう外に出る予定はないので寝間着代わりのスウェットを着込んで脱衣所を出ると食欲をそそる香ばしい匂いが漂ってきた。
「旨そうな匂いだ」
「えへー。生姜焼きだよー」
「もう食べてもいいか?」
「髪は乾かさないの?」
「自然乾燥で問題ない」
「ちゃんと乾かした方がいいと思うけどなぁ」
尤もな指摘は無視をしてソファに座ると、準備を終えた雛乃がごく自然な素振りで寛人の隣に腰を下ろした。対面にも座椅子はあるのだが、そちらは使わないらしい。また寛人の表情が苦虫を潰したようなものになってしまう。
「どうしたの?」
「……いや。なんでもない」
テーブルの上には白ご飯に味噌汁。
生姜焼きに出し巻き卵。ツナサラダが並んでいた。
よくこんな短時間に用意できたものだと思う。
単純に料理が出来るだけでなく手際も相当に良いらしい。
いただきますと手を合わせて、最初の一口は味噌汁をいただく。具には豆腐とわかめが入っていて、昆布出汁の上品な風味と優しい味わいはシンプルながらに何度も飲みたくさせる。
「うまい」
「本当?」
「嘘ついてどうする」
「えへへ。よかった」
不安そうに寛人を見ていた雛乃も安心した様子でご飯を食べ始めていた。
次に豚の生姜焼きを口に運ぶ。豚肉は柔らかく、しっかりと甘辛いタレがしみ込んでいて、白飯が進んだ。
「宍戸君って料理はするの?」
「簡単な物はな。今日みたいにバイトがあって遅くなる時はコンビニとかで済ませることも多いが」
「駄目だよ。コンビニ弁当ばっかりだと栄養偏っちゃうからね」
「一応気を付けてはいる」
寛人が料理するようになったのは一人暮らしを始めてからだが、元来手先は器用であるためそつなく熟せている。ただ、自分のためだけに作るというのは存外味気なく、時間がない時は億劫さが勝ってしまうのだ。
「バイトしてるのも知らなかった」
「言ってないからな」
「教えてくれてたら心配せずに済んだのに。泣き顔だって、うぅ……」
思い出し羞恥に蝕まれている雛乃。申し訳なさよりも嗜虐心の方が湧いてくるのは何故だろう。流石に今口にする言葉ではないので素直に謝罪するけれど。
「悪かった。あんまり他言されたくなかったんだ。学校の奴らに知られて冷やかしで来られても迷惑だからな」
「そっか……。そうだね」
「あんたは口止めしたら言わないだろうとは思ってる。俺が隣に住んでるってことも言ってないだろ?」
「うん。言ってない。迷惑かかっちゃうと思うから」
バラエティーに富んだ噂が流れている寛人だが、雛乃との関わりが知られれば今よりも明らかな悪意が寛人を襲ってくることは間違いない。
それだけ彼女の影響力は大きい。
彼女が寛人をただの隣人だと伝えても周りはそれを言葉通りには受け取らない。だって、それだけでは面白くないから。馬鹿にしたり、見下したり、そういう対象がいた方が盛り上がる。悪口はコミュニケーションツールとも言われている程だ。
蔑む対象に寛人という存在は丁度良かった。
「助かってる」
「私のためでもあるから」
「そうかもな」
噂は寛人だけではなく、雛乃自身にも牙を向くだろう。
彼女は学年問わず人気があるが、それを面白く思っていない人間もいるのだ。
その悪意から自衛するために寛人のことは話していない。賢い判断だと思う。
陰鬱な話をしていても飯は美味しく、全てを胃に収めた。
満腹で動く気がしない。少しの間休もうとソファにもたれかかる。
「ごちそうさま。片付けは俺がする」
「私するよ? 看病してくれたお礼だから」
「もらい過ぎだ。うまい飯だけで充分」
「そ、そっか。えへへ。じゃ、お言葉に甘えて」
照れたようにはにかんでソファの端で小さくなる雛乃。
そんな彼女はその表情を崩さずに寛人を上目遣いに見上げてくる。
「今日はいっぱい喋ってくれるね」
「話しかけてくるのはそっちだろ」
「いつもは挨拶も無視されるもん」
「……」
あまりに的を射た発言が飛んできて、思わず黙りこくってしまう。それを指摘されてしまうとばつが悪い。彼女と関わろうとしなかった事に理由はあるが、寛人の一方的な考えで行われていただけで、それを言葉にしたことは一度もなかった。
雛乃に非はなく、ただただ嫌な気分を味わわせていたと思う。
寛人は誰彼構わず人を嫌っている訳ではない。好ましいと思う事だってある。だけど、一目で相手の性格を見抜ける程の洞察力は持ち合わせていないから、徹底して他人全てを無視していた。
関わった時間は少ないが、雛乃は善人だ。
信頼に足る人間ならば誠意を見せるぐらいの人間性は持ち合わせている。
「……悪かった。無礼はここで詫びる。気分を害してすまなかった」
寛人が姿勢を正して頭を下げる。その間雛乃は何も言わなかった。
重たい沈黙の中、しばらくの間をおいて顔を上げたら、その瞬間を待っていましたと言わんばかりに、彼女はにかっと太陽みたいに明るく笑うと、
「許してあげます」
一言でそう言い切った。きっと、寛人に罪悪感を抱かせないために。しかし、その言葉だけで清算できたと思えるような能天気さは持ち合わせていないのだ。
「……望むならペナルティは受けるぞ。流石に小指は詰められないが」
「え!? すごい怖いこと言う……」
誠意が伝わるかと思ったが、若干引かれてしまった。
「えーと。何してもらおうかなー」
しかも、思いの他補償に対して前のめりである。何か突拍子もないことを言い出しそうで怖い。自分で言っておいて余計なことを言ったかもしれないと後悔が生まれてきた。
「……何度か無視してたら声かけてこなくなると思ってたんだけどな」
「えへへ。普通はそうだよね。だけど、私は宍戸君実はいい人説にかけてみたの」
「間違えてんじゃねーか」
「ううん。間違えてないよ。二回も助けてもらったもん」
ミケの件と風邪の件。どちらも雛乃の力になったと間接的には言えるかもしれない。しかし、それはただのメインにくっついた程度のおまけだ。雛乃の力になりたかった訳ではない。
「言っとくけどな。あんたはいい奴の敷居が低すぎる。そういう奴は最初から挨拶を無視したりしない」
「えー。そうかなぁ?」
真面な意見で諭しても納得した様子はなく、難しそうな顔をして唸っている。
彼女が何を考えているのかは寛人にはまるで想像がつかなかった。
「宍戸君は凄く考えてる人だと思うから。そうする理由があったのかなって思う」
洞察力が鋭いのか。はたまた、ただの当て推量か。雛乃は寛人をそう評価する。
寛人を見透かそうとする大きな瞳が鬱陶しくて、荒々しく突っぱねた。
「……何も考えてねぇよ」
「嘘だー」
寛人が違うと言っても雛乃はそうだと疑わない。
「そうやって学校でも顔色ばっかり窺ってるのか?」
その一言に雛乃がハッと目を見開く。その言葉は予想外だったらしい。
寛人も雛乃に負けず劣らず周囲の人間を観察しているから分かってしまう。
「……そうだね」
教室にいる彼女の周りにはいつも人がいて、傍から見ると賑やかそうに見える。けれど、それは彼女に対して下心がある男子とか、彼女をブランド物みたいに利用して自身の価値を上げようと企む女子ばかりだ。そんな連中を相手に望まれた自分を演じて、自己を犠牲にする。
学校という小さな空間で、猶更窮屈そうに彼女は生きている。
それを人は器用と呼ぶのだろうか。人付き合いが上手いと手を叩くのだろうか。
「よく分かんないよね。友達って。宍戸君は分かる?」
「さっぱりだ」
寛人の即答に彼女の物憂げな表情が少しだけ和らぐ。
「ふふ。じゃ、お隣さんはどうかな?」
「隣に住んでるだけのただ他人」
「私達って他人? こんなにお話して。名前も知ってるに」
「……限りなく他人に近い顔見知りだ」
「それだったら挨拶して欲しいなぁ」
上手いように誘導されてしまった気がする。でも、それは単なる言葉遊びではなくて彼女の切実な願いだった。泣き笑いみたいな表情はきっと笑顔の失敗形。
「友達じゃなくていいから。お隣さんになってくれませんか?」
そう問われて、浮かんだ感情は何処か懐かしく感じた。寂しがり屋な少女が涙を堪えて伸ばした腕を咄嗟に掴めないような人間にはなりたくない。
「……それぐらいならできるかもな」
自分でも意外な程優しい口調で話していた。自分がまだこんな声を出せたことに驚きを隠せない。雛乃とは目を合わせられなかったが、彼女が小さく鼻を鳴らしたのは微かに聞こえた。ならば、やはり彼女の方に顔を向けるのは止めておこう。
「ありがとう。宍戸君」
「まぁ、それを償いにしといてくれ」
感謝される謂れはないし、それ以上の気の利いた言葉も出てこない。
手持無沙汰を誤魔化すように寛人は首に手を回して、小さなため息を吐いた。