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17 隣人とナンパ

17 隣人とナンパ




 待ち合わせは九時に店の前で集合となっていた。

 時間に合わせて、寝間着のスウェットから余所行きの恰好に着替える。余所行きといっても今日は運動がメインなので動きやすさを重視して、トレーニング用のジャージだ。この格好にエナメルバッグを肩に掛けた姿は何処からどう見ても部活動に向かう少年のようにしか見えないが、どちらも中学時代の御古である。


 当時から身長は高かったが、更に身長が伸びることに期待して大きめのサイズを購入した。その慧眼叶って更に身長が伸びた今は丁度いいサイズになっている。

 最後につば付きの帽子を目深に被って、マスクをつければ着替え兼変装は完了。

 この格好で寛人だと気付ける人はいないだろう。

 露出しているのは目元くらいで、それすらも帽子に押さえつけられた前髪によってほとんど隠れてしまっている。だから、視界の悪さが尋常ではなかった。


 リビングに向かうとミケが寛人を見て固まっていた。

 見慣れない姿に驚かせてしまったのかもしれない。

 帽子を上にずらして顔を見せると緊張を解いて足下まで歩いてくるので、抱き上げて目の高さまで持ち上げてやると寛人の鼻に自分の顔を擦り付けてきた。


 拾った頃に比べればミケの身体も随分と成長して大きくなった。

 自分がここまで育てたのだと考えると少し感慨深い。


「ちょっと出かけてくるからな」


 ミケが返事するようににゃーと鳴いてくれる。帰りはそれ程遅くはならないだろうが、念のためいつもよりも多めにご飯を皿に盛っておく。


 最後に頭を一撫でして、玄関から外へ出た。


「わっ」


 一歩外に踏み出すと視界外の扉の奥から声が聞こえてきた。

 扉を開ける手を止めて、奥側を覗く。ぶつかりそうになっていたのは雛乃だ。

 大した速さで開けてはいないのだが、大袈裟に驚いて仰け反っている。

 寛人と目が合うと、彼女は開けた扉の裏側に機敏な足取りで隠れてしまった。


「何してる」


 不審な雛乃に声をかけても反応がない。完全に外に出て、扉を閉めると彼女の隠れる場所はなくなった。落ち着かない様子で指を突き合わせていて、しばらく視線を彷徨わせた後に上目遣いで寛人を見上げてくる。 


「変じゃないかな?」

「なにが」

「この服装」


 そう言って不安気に縮こまる彼女の恰好に可笑しなところは見当たらない。

 運動することを意識してか少し大きめの襟付きトップスにデニム生地のショートパンツ。ショートパンツの丈は太腿の中間くらいまでしかないが、その下から足首まではタイツで素肌を覆っているので肌の露出はほとんどない。ただ、その脚線美は非常に綺麗で人目を惹くのが容易に想像がついた。


 ラフではあるが、清潔感もあってとても似合っている。

 普段校則通りに制服を着こなしている印象とは大分イメージが変わって、年頃の女の子といった感じが前面に出ていた。


 髪型もいつものストレートではなく、頭の上でお団子を作っている。

 あからさまに悠里を意識しているのが見てとれて非常に微笑ましい。


「変じゃない」

「ほんと?」

「嘘吐いてどうする」

「ご、ごめん。洋服は好きなんだけど、こういう時どんな服着たらいいのか分かんなくて」

「ジャージでいいだろ。快適だぞ」


 少なくとも寛人はそれで済ましている。しかし、機能性重視の寛人とお洒落に気を遣っている雛乃とでは到底考え方は違うだろう。

 雛乃は突き合わせていた人差し指を付けては離してを繰り返し、恥じらい気味に言葉を溢す。


「か、可愛い服装着たいもん……」


 そんないじらしい願望はあれど、自分のセンスには自信が持てないということらしい。寛人の簡潔な感想では彼女の不安を払拭することはできなかったようだ。

 詳細に感想を述べた方がいいのかもしれないが、生憎と寛人はあまり服装に関して頓着がない。基本的な着こなし方すら分からないので、上手に褒める事は出来そうにない。


「おまえが着ればどんな服でも可愛く見えるだろ」

「……へ?」


 やはり荒っぽい言い方になってしまい、自分の語彙力のなさを痛感する。

 反応が薄かったので取って付けたように思われたのかと、雛乃を見やると完全に身体が硬直して放心していた。


「かわ、かわ……」


 口がパクパク動いて、何事かを呻いている。 


「魚の真似か?」

「違うよ!」

「だったらなんだ」

「宍戸君がいきなり可愛いって言ってくるから!」

「服装の話だろ?」

「服、え、あ、そっか。そっか……」


 一人で盛り上がっていたのに露骨に意気消沈していく雛乃。

 肩を落とした姿はなんとも弱々しい。

 そのまま見る見る小さくなっていき、通路の真ん中で膝を抱えてしまう。


「なんで落ち込むんだよ。似合ってるって話をしたのに」

「……もう知らないもん」


 ご機嫌斜めな様子で殻に閉じ籠ったまま出てこようとしない。

 寛人の何気ない一言が彼女の琴線に触れてしまったようだ。


「よく分からんが、そろそろ行かないと遅刻するぞ」


 機嫌を取り戻す妙案も浮かばないので、ぷくっと頬を膨らませて不貞腐れている彼女の脇を通り抜けてエレベーターホールに歩を進める。

 エレベーターホールの前で立ち止まり、昇降のスイッチを押した。四階までエレベーターが上ってくるのを待っていると、背中を指で何度も突かれ始める。


 背後を確認するまでもなく、犯人は雛乃だ。  

 放置されたことに対する抗議の突っつきのようだが、相手にするのも面倒だったので無視していると今度は寛人のエナメルバックを持ち上げて、振り子の要領で尻にぶつけてくる。バスン、と音が鳴って微妙な衝撃が全身に広がっていく。

 中身は軽いので痛くはないが、正直鬱陶しさが尋常ではない。


「ふふ」


 ただ、雛乃は楽しんでいるらしく、後ろから笑い声が聞こえてくる。

 こんなことで機嫌が直ったのならこれ幸いだ。実に子供染みた悪戯だったが、他人に見られると恥ずかしいので今だけにしていて欲しい。


「エレベーターが来るまでな」

「はーい」


 その間の抜けた空返事も合わさって余計に子供っぽさがある。

 彼女の我が儘や駄々のこね方が小学生レベルな理由はきっと、その歳までしかそれらをしてこなかったからかもしれない。


 エレベーターが来て二人で乗り込む。中に人は乗って居らず、途中で乗ってくる住人もいなかったため、エントランスまで止まることなく落りていく。

 マンションを出て、待ち合わせ場所へ自分の歩幅で歩き始めた。

 目的地は商店街の中にあるため、経路はバイトの行き帰りで見慣れた道だ。


「宍戸君。歩くの早いよー」


 後ろから小走りで追いかけてきて隣に並ぶ雛乃。

 身長差があるため二人の歩幅の差は明白で、寛人がいつもの調子で歩くと雛乃を置き去りにしてしまう。しかし、そもそも並んで歩くつもりなど毛頭ないため寛人からすれば何の問題もなかった。


「一緒に行こうなんて話したか?」


 待ち合わせは店の前なので問題ないだろと告げると、雛乃が愕然としている。


「そ、それはしてないかもだけど。普通は一緒に行かない? 目的地同じだよね」

「歩幅の差があるから難しいだろ」

「合わせてくれそうな気配がまったくないっ!?」


 雛乃が絶叫。彼女はただでさえ人目を引くので周囲から注目を集めてしまっていた。今は住宅街なので人通りは少ないが、商店街に入ればもっと人は多くなり、学生の割合も増える。商店街で目立った行動をされないように予め注意しておこう。


「目立つから大声だすな」

「うぅ。怒られた。絶対宍戸君の方が間違えてるのに」


 そのまま寛人は彼女を引き離さんばかりのペースで進んでいく。

 雛乃も追いかけることは諦めて、寛人の十メートルくらい後ろから、彼の背中に恨めしげな視線を送りながら歩いていた。

 完全に他人の距離感で、これから遊ぶ約束をしている男女にはとても見えない。


 商店街に入ってもその距離感は変わらないが、往来する人が増えたため多少足取りを緩める。背後の雛乃を一瞥すると、商店街に立ち寄るのが初めてだったのか物珍しそうに周囲を見渡していた。前を向いて歩いていないと人にぶつかりそうなのだが、それは寛人も同じなので一度前へと向き直る。


 その目線の先。直線状のラインに派手な見た目の男が二人こちらに向かって歩いてくるのが見えた。歩いている道中二人組の女子に話かけて無下にあしらわれている。恐らくはナンパだろう。


 商店街には頻繁に足を運ぶので、こういう手合いを見かけることも多い。

 今は夏休みの時期なので猶更増えているのかもしれない。


 寛人には関係のない話だが、後ろを歩く雛乃は十中八九声をかけられるだろう。 

 彼女にナンパを捌く手腕があるようにはとても見えない。


 立ち止まって待っていると目が合った。

 不思議そうに小首を傾げていて、ふと、その視線が横へとずれる。


 気付いた時には一足遅く、寛人の横をナンパ男達が通り過ぎていく。

 その視線は確実に雛乃を捉えていた。獲物を逃がさないように小走りで駆け寄って、二人分の体で雛乃の進行方向を塞ぐ。


「こんちわ。君凄く可愛いいね」

「え? な、なんですか?」


 突然のことに何が何だか分からないといった様子の雛乃。

 その分だけ男達は距離を詰めて、手を伸ばせば触れられる位置で彼女を謀る。


「この後、一緒にお茶でもどうかな。お金は心配しないで。俺等が奢るからさ」


 男達は警戒心を緩めるために笑みこそ浮かべているが、隠しきれない軽薄さが滲み出ている。それを雛乃は察知して手提げ鞄を胸に抱き、精一杯の抵抗として男達を威嚇するが、その表情には恐怖心がありありと滲み出てしまっていた。


「け、結構です。約束があるので」

「そう言わずにさ。一杯だけ」


 男達は恐怖を浮かべる少女にお構いなしで詰め寄る。

 彼女の意思はもう告げた。それ以上しつこく絡むのはあまりに不躾だ。


「そういう輩は無視すればいい」


 後ろから近づいて声をかけると二人の男が一斉に振り返った。

 背丈も体格も寛人の方が勝っていたからか、彼らは一瞬目を見開いて、寛人の前に道を開ける。その隙間から見えた雛乃の表情は不安に支配されていて、泣きそうな顔になっていた。


 こんな状態の彼女をどうして引っ掛けられると思うのか。

 彼らの思考回路は到底理解できそうにない。


「なんだおまえ」


 貼り付けただけの軽薄な笑みは一瞬にして消え去り、獰猛な敵意を向けてくる。けれど、帽子のつばに隠れた寛人の表情もそれに劣らない凶暴さを秘めていた。


「そいつは俺の連れだ。あんたらに割く時間はない」

「んだよ。陰気な奴が偉そうに」

「俺達楽しく話してただろ」


 二人が寛人に詰め寄ってきて、ようやく目が合った。衝動のまま見開かれた寛人の瞳が彼らを映す。寛人がここに立っているのは虚勢でも何でもない。


 こういった手合いを寛人は最も嫌悪する。


「失せろ。おまえらじゃその子には釣り合わねぇだろ」


 人数振りだろうと物怖じ一つしない胆力。

 無謀であっても言いたいことは言わないと気が収まらない。


 その一触即発な雰囲気に相手の方が先に怖気付いた。


「な、なんだよ。こいつ」

「もう冷めたわ。行こうぜ」


 お決まりの捨て台詞を吐いて、去っていく。


「平気か?」


 男達が消えても動けずにいる雛乃に寛人から近づいて顔を覗き込む。

 血の気の引いた顔は寛人と目が合っても瞬きを繰り返しているだけだ。


「怖かったな。もう大丈夫だ」


 放心状態の彼女の左手を右手でそっと握って、反応を待つ。触れた指先が冷たくて、握る手に力を込めた。そうすることでようやく雛乃の表情が変化する。

 眉が下がって、口を堅く結ぶ。泣きそうになって、でも、涙は流さなかった。


「怖かった……」

「悪い。俺のせいだ。傍にいればよかった」


 寛人が隣でいれば奴等が声をかけてくることはなかっただろう。

 もっと早く二人の接近に気づくべきだった。


「宍戸君は悪くないよ。全然悪くない」


 雛乃が首を横に振って否定する。

 一歩、寛人に近づいて上目遣いで見上げてきた。


「怖かったけど、今、凄く嬉しい」

「何が嬉しいんだよ。怖い目に遭ったんだぞ?」

「分かんない。でも、まだ心臓が五月蠅くて。もう怖くないのにドキドキしてる」


 自分の胸に手を当て、苦しそうに浅い呼吸を繰り返している雛乃。


「おい。本当に大丈夫か?」


 明らかに様子がおかしいので、周囲を見渡して近くに座れる場所がないかを探す。少し歩いた所に広場があって、そこに休憩できそうな椅子が置かれていた。


「行くぞ」


 彼女の手を引いて歩きだそうとすると、雛乃がそれを引き留めた。


「待って。もう大丈夫だから。少し落ち着いてきた」

「本当か? 無理はしなくていいんだぞ」

「うん。ちゃんと分かったから。もう大丈夫」


 一種のパニック状態を引き起こしてしまったのかと思っていたが、雛乃は力強く頷き返すと一度大きく深呼吸して胸を撫で下ろす。


「行こ。二人が待ってるよ」


 寛人から手を離して、先に目的地に歩き出してしまう。

 雛乃は数歩進んでから振り返った。

 その表情にはいつもの、いや、いつも以上に魅力的な笑顔が浮かんでいる。


「助けてくれてありがとう。すっごくかっこよかった!」


 そう道の真ん中で大声で告げた雛乃はそれ以降一度も振り返ることなく、待ち合わせの場所まで駆けていく。


「……大声出すなって言っただろ」


 その場に取り残された寛人は周囲からの視線を一心に浴びて、居た堪れない気持ちに苛まれていた。





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