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15 夏休みの誘い

15 夏休みの誘い




 夏休みが始まり、特筆すべきことも起こらないまま一週間が経過した。

 七月最後の一日も変わらずリビングで課題を進めていると、寝室の方からスマホの通知音が聞こえてくる。確認に向かったら、寛人の知らない間にいつの間にか作られていたグループチャットに通知が来ていた。


『明後日、予定なければみんなで遊びに行かないかい?』


 享から何やら遊びの誘いが来たらしい。明後日とはまた急な話だが、彼は部活で忙しい筈なので急遽予定が空いたのかもしれない。

 グループには寛人の他に雛乃と悠里も入っているけれど、二人はまだ返信していないみたいだ。仕方がないので寛人が先んじて返事をしておくことにする。


『予定あるから無理』


 カレンダーを確認するまでもなく、素早くメッセージを打ち込む。頭にスケジュールが入っているから予定の確認をする必要がなかった訳ではない。単純に参加したくなかったので当たり障りのない文言で断りを入れているだけだった。


 何をするのかも知らないが、なんであろうと参加したくない。早めに断りを入れることで、それを踏まえて享も予定を立てられるだろう。自分にしては良心的な行いをしたなと満足感すら感じてしまう。


 これ以上は連絡することもないのでリビングに戻って、課題を再開。

 今は科学のドリルを進めていた。問題の範囲は夏休み以前に習った内容なので反復学習にもなって、自分がどれだけ覚えられているのかを確認するのに丁度いい。


 同級生らは先程の享のように友人達と予定を合わせて楽しい計画を立てていることだろう。海や夏祭り、花火にバーベキューと時間は幾らあっても足りはしない。


 昔は家族でそんなこともしていたけれど、それは叶わない夢になっていた。




「宍戸君って明後日もバイトなの?」


 昼前に雛乃が家にやって来て、キッチンで素麺を茹でている。

 夏休みに入ってからというもの寛人のバイトがない日はこの時間帯から夜遅くまで寛人宅で過ごすことが当たり前のようになっていた。


「明後日は休みだな」

「あれ。そうなんだ。じゃ、予定って?」


 その一言で問題集から顔を上げる。どうやらさっきのチャットのことについて聞いているらしい。スマホを確認すると寛人の発言以降誰も書き込みをしておらず、少しだけ享が不憫になってきた。


「宍戸君。もしかして嘘ついて断ったんじゃないよね?」

「嘘ではないな。明後日はゆっくりするって予定がある。バイトがない日はそれまでに溜まった疲れを解消するために使うんだ」

「……」

「なんだよ。その目は」


 返事がなかったのでキッチンの方へ振り返ると雛乃から咎めるような視線が向けられている。それっぽい屁理屈を言ってみたけれど、彼女は納得してない様子だ。


「折角誘ってくれたんだよ?」

「頼んでなんかない」

「あっ! またそんな風に言う! ダメっ!」


 雛乃が菜箸の先端を寛人に向けてくる。

 愛想のない寛人の言動を注意してくれているのだが、如何せん迫力がないので怒られている気がしない。


「御白君が誤解を解こうとしてるの宍戸君なら分かってるでしょ?」

「……」

「打算とかじゃない。信頼できる人だと思うよ」


 享が寛人に話しかけるのは周囲に寛人がどういう人格であるかを示すためだ。

 例えば委員会の仕事を真面目に熟していることだとか、成績が良好であることを態と人目に触れるように話して、誤解しているクラスメイト達に本当の彼はこうなのだと知らしめようとしている。だけれど、大抵の人間は享が寛人に話かける理由に彼の善人性を問うだろうから話の内容なんてほとんど聞いてはいないだろう。


 ただ、雛乃は気付いていたらしい。聞かされた訳でもない筈なのに享の本質的な部分を見透している彼女は相当感情の機微に目敏いのだと改めて実感する。


「本当に人のことよく見てるよな。何も考えてなさそうなのに」

「え? 宍戸君にはそんな風に見えてたんだ……」

「あー。悪い。口に出てたか」

「尚更悪いよっ!」


 寛人としては称賛の意だったのだが、彼女は怒ってしまう。

 よくよく客観的に考えてみればとても褒め言葉には聞こえない言葉選びだったので、適当に訂正をしておこうと口を開く。


「大丈夫だ。阿呆っぽいとか、そういうつもりで言った訳じゃない」

「ちょ、直接的になってるっ!?」

「そうじゃないって言ってんだろ」


 更に曲解して勝手に打ちひしがられている雛乃。

 言葉通りに受け取ってくれればいいのに気持ちを伝えるというのは難しい。


「貶してない。褒めてる」


 もっと簡潔に嚙み砕いた方が彼女には伝わるのかもしれない。

 そうすることでようやく彼女は胸を撫で下ろしていた。


「そ、そっか。褒められてたんだ……。もう。紛らわしい言い方しちゃだめだよ」

「騒がしい奴だな。まぁ。見る目があるかは置いておくけどな」

「えぇー。私見る目ないかなー?」

「ないだろ。俺をいい奴だなんだ言ってたし」

「ん? あってたよね?」

「はぁ。ほんとに節穴なんだな」


 見当違いの発言に思わず嘆息すると、雛乃が目を瞬かせる。その後、考えをまとめるような時間が数秒あって、彼女は遠慮がちに口を開いた。


「宍戸君って。自分のこと悪い人だと思ってるの?」


 そのよく分からない質問に今度は寛人が首を傾げた。


「ああ。そうだが」


 そんな当たり前のことを聞かれる理由が分からないと。


「どう見ても悪さしてそうな顔してるだろ」

「宍戸君。その冗談おもしろくない」


 ぴしゃりと凍えるような冷たい拒絶が、寛人の言葉を弾き飛ばす。


「二度と言っちゃ駄目」


 先ほどの注意とは比べ物にならない怒気が彼女の空気感に混じり始める。

 こんなに彼女が怒っている所は初めてみた。その下手に口を挟めないくらいの怒りが寛人の自嘲を叱責するために向けられているのが何とも雛乃らしい。


「宍戸君の悪口は私が許しません」

「自分で言うのも駄目なのか」

「ダメです。冗談でもね」

「冗談でもない。日向は知らないだけだなんだよ」


 決して格好つけて悪ぶっている訳ではないのだ。

 事実に基づくことを言っているだけ。しかし、それを雛乃が知る由もない。

 そう思っていた。


「知ってるよ。暴力を振るったことがあるんだよね」


 それはプール掃除の時寛人が享に放った一言。

 雛乃は先に室内に入っていたので聞こえていないと思っていたが。


「……聞いてたのか」

「ごめんなさい。盗み聞きするつもりじゃなかったんだけど、二人が入ってこないから気になって」

「別にいい。隠してた訳でもないからな」


 ただ、相手を怖がらせる内容だから積極的に話したくはなかった。

 享に伝えたのは彼の幻想を打ち砕くため。


「嘘じゃないんだよね?」

「ああ。本当のことだ」

「そっか」


 初めから雛乃に疑っている様子はない。

 改めて寛人から言葉を聞いて、その意味を咀嚼している。


「よく知ってたのに俺と話してられたな。怖いだろ。普通」


 人を殴った事実があって、悪い噂も絶えない寛人。

 雛乃は女の子だ。平然とするには些か逞し過ぎる気がする。

 普通なら自分にも危害が加えられるのではないかと疑うと思うのだが、雛乃はあまつさえ微笑みすら浮かべて寛人を見据えていた。


「ふふ。宍戸君ってたまに変なこと言うよね」

「は?」

「捨てられた猫を拾って立派に育てて。お花の世話をして。私の心を救ってくれた人を怖いだなんて思わないよ」

「……いい人ぶって油断を誘おうとしてるかもしれないぞ」

「それ。まえ私に言ってくれた事と矛盾しない?」


 油断を誘って彼女に悪さがしたかったのなら何の警戒もしていなかった頃の雛乃に手を出す方が簡単だっただろう。それを注意したのは誰でもない寛人だ。


「宍戸君ならどれだけ腹を立てたってちゃんと言葉で伝えてくれる。私にしてくれたみたいに。だから、何か理由があったんだなってすぐ分かるよ」

「……どんな理由があっても殴ったこと自体が問題なんだ」

「ふふ。どんどん宍戸君がいい人だってことが分かってくるなぁ」

「こいつ……。」

「なんだか今日は酷いこと言われても痛くないなー」


 今日はずっと雛乃のペースになってしまっている。


「もう喋らん。帰れ」

「ごめんごめん。ご飯できたよ。一緒に食べよ?」

「……小憎らしくなりやがって」


 苦渋に顔を染めて、今日ばかりは自身の敗北を悟った寛人であった。




「どうしてそんなに遊びたくないの?」


 話の続きは素麺を啜りながら行うことになっていた。

 話も一度逸れたし終わりにして欲しかったが、雛乃はしつこく言及してくる。


「おまえらと一緒にいるところを学校の連中に見られるのは面倒だからだ」

「宍戸君はいつも一人でいるから怖がられてるのもあると思うよ? 誰か仲良しの人ができたら学校の人たちの印象も変わると思うんだけど」

「何度も言ってるが印象を変えたいとも思わないし、友達が欲しいとも思わない」

「宍戸君が凄いってことを分かってくれたらいいのに」

「俺がそもそも凄くないから何も変わらん」

「むっ。また」

「待て。怒るな。自虐じゃない。正確な自己評価だ」


 また怒気を放とうとする雛乃を何とか宥めて客観的な意見で応戦する。


「俺は勉強も運動もそこそこだし、自慢できる特技も持ってない。性格や人付き合いに関しては絶望的だしな」


 学力テストは学年で二十位台。勿論高い順位ではあるが、人に自慢できる程ではないだろう。スポーツも習っていた物以外は勝手が分からないし、足が特別速い訳でも、反射神経が滅茶苦茶良い訳でもない。


 これといった趣味もなく、バイトのない休日は読書をするか、勉強をするか、ミケに構うくらいの過ごし方しか持っていなかった。

 決してそれらに虚しさを持っている訳ではないし、劣等感に苛まれている訳でもないのだが、何故か雛乃が必死になってそれを否定する。


「そんなことないよ! 宍戸君は優しくて、頼りになって、勉強も毎日してて偉いし、あと、えっと……。そうだ! 声もかっこよくて」

「うるせぇ。もう喋んな」

「えぇ。なんで!?」

「もういい。なんで誘いを断っただけでこんな辱めを受けなきゃいけないんだ」


 雛乃をソファの端まで追いやって、やけ食いのように素麵を啜る。

 もうこの話を続ける意思はないと示したつもりだったが、雛乃も諦めない。


「宍戸君が参加するなら私も参加できるのに」

「俺がいなくたって参加できるだろ。勝手に遊んで来い」

「だ、だって、こういうのって初めてだからどうしていいかわからないんだもん」

「言っとくが俺も似たようなもんだ。一緒に行ったって何の役にも立てないぞ」

「うん……。それでも、いてほしい」


 縋るような視線。きっと、寛人がどうしてもと断ればこれ以上の我儘は言わないだろう。だけど、彼女は我慢してきたことの方が多い筈だ。それを思うとただ面倒だからと言う理由で無碍にするのは憚られる。


 抱えがちな雛乃の本音を言い合える友人は多いに越したことはない。

 悠里も享も信頼に足る人物だ。プール掃除の一件でも雛乃と悠里の相性は良さそうだった。悠里は真面目過ぎるのが玉に瑕だが、面倒見については申し分ない。


「……はぁ、何するか聞いてくれ」

「うん! わかった」


 雛乃がいそいそとスマホを取り出し、メッセージを打ち込んでいる。


「えへへ。楽しみだなぁ」


 スマホを操作する横顔はあまりにも嬉しそうで、その笑顔に毒され始めていることに気が付く。もっと沢山笑えばいい。彼女には笑顔が一番似合うのだから。


 ただ、その幸せそうな表情を守りたいと思えば思うほど、取り返さなければいけないものを自覚して、寛人の胸は締め付けられるのだった。





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