初物池
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
みんなは「初物」ときいて、思い浮かべるものには何があるかな?
かつお、しゃけ、なす……お、キノコも出てきたかい、よく知ってるね。
初キノコは松茸を指すよ。特に江戸時代のころは、いまに比べてずっと大きく、香りもかんばしかったと伝わっている。これらはいずれも庶民からすればかなりの高値がついたが、江戸っ子たちは粋を重んじ、金に糸目をつけずに購入して、それを味わったとされるな。
他にもお茶やお酒、たけのこなども初物として扱われた実績を持つという。更に江戸後期においては、中国の「温州」にあやかった日本独自の種なしみかん、「ウンシュウミカン」もまた庶民に人気を博して、初物に乗っかることができたという。
で、このミカンと初物の扱いに関して、先生は少し面白い体験をしたことがあるんだよ。よかったらその話、聞いてみないかい?
先生の祖父母が暮らしていた家には、少し変わった「初物」の考え方が存在する。
その年に収穫された最初のもの以外に、その年に初めて家の敷居を越えて、中へ入ってきたものもまた「初物」と称するんだ。
ゆえに新年に訪れる風や陽の光もまた「初物」となり、新年に新しく買ってくるものもまた、すべて「初物」の扱いをされる。それをありがたく思って、ちょうだいしていくのが祖父母宅での過ごし方。しかし、ことミカンに関してはやや特別な扱いをしていたんだ。
夏ミカンは秋ごろに色づいても、その酸味が強すぎて食べられないことは、みんなも知っての通りだと思う。
そのため数か月に渡って冬を越させ、酸味の抜ける4月ごろより収穫の時期を迎えるんだ。
夏ミカンは寒さに弱い。気温があまり高くならない地域では、寒風に耐えられず、枝から落ちてしまう実もままあった。先生の地元も、さほど暖かくはない地域だ。あらかじめ夏ミカンを収穫しておき、家で保管して酸味を抜くというのが主流だった。
しかし、祖父母宅ではそれをしない。自宅の一角で夏ミカンを育てているんだが、それらを家へ取り込むことはしないんだ。前述したような、脱落者が出ようともだ。
「うちの敷居をまたがせる『初物』たるには、この程度のことを乗り越えてもらわねば困る」
祖父母はそう話していた。新年のあいさつをし、テレビで駅伝を見ているときも、窓の外には必死に枝へしがみつこうとする、夏ミカンたちの姿が見られたんだ。
そして例年、ゴールデンウィークを迎えると、この生き残った夏ミカンたちが「初物」として家の中へ迎え入れられる。
いかにも自家製といった感じで、色合いにはムラが見られるし、表面のでこぼこも数多い。これら初物の中から、自分で好きなものを選んで食べるよう言われるんだが、わずかに例外があった。
先生たちが選ぶ前に、祖父母がすべてのミカンを吟味する。このとき、祖父母が選ぶものは形のよしあしは関係なく、重さが重要視されているようだった。
祖父母のチョイスを持たせてもらうと、ずっしり重い。中にはみかんの範疇を越えて、ペタンクの玉かと思わせるものもあって、下手に落とすとケガするんじゃないかと感じたよ。
そうして隔離されたそれらは、祖母の手でカットされる。
中身の果肉部分を、覆う膜ごと取り出してボウルに移されていくんだ。最終的に3つほど用意されて、それぞれに果肉を分配。すりこぎ棒でどんどんとつぶしていく。そうして残った膜の部分を取り除くと、果汁100パーセントミカンジュースができる寸法だ。
ただそれらを先生たちが飲むことはない。この後、お酢や酒、それにひとつまみの砂糖を加えられ、よく混ぜられたうえで、それぞれの位置にボウルが設置される。
ひとつ目は玄関の軒先。ふたつ目は玄関のあがり口。みっつ目は奥の間へ続く廊下の隅へと置かれ、それぞれはフタやラップをかぶされることなく、一晩をそこで過ごすんだ。
祖父母いわく、神様などへ捧げる初物の夏ミカンだという。ならば仏壇に皮ごと供えればいいのではと思ったが、それだと果肉に酒や砂糖を加えることができない。
「ガワ」ではなく、「中身」を捧げなくては、納めることの意味がないとも。
その言葉の意味を知ったのは、ゴールデンウィーク中に家族で祖父母に泊まり込んだ、小学4年生のころだった。
すでに一人で寝るようになっていた先生だが、その日はあいにくの雨降り。夜になってからしきりに屋根を叩く音が強くなって、目を覚ましてしまったんだ。
ふと、外からの雨とは別に、家の中から「ぴちゃん、ぴちゃん」と水滴がはねる音が聞こえる。響き具合が違うから、すぐに分かった。
「雨漏りかな?」と起き出した先生は、出どころを探ろうと、静かに障子戸を開けて廊下へ出たんだ。
音は廊下の奥から聞こえる。幸い、暗さにはすぐ目が慣れたこともあって、壁に体をこすってしまうことなく、こそりこそりと進んでいく。天井と廊下を交互に見やるけど、しずくが落ちてくるような個所はない。
ふと、廊下隅へ置かれたボウルが目に入る。何度かその前後を行き来したが、どうも音の出どころはそこの近辺のように思われたんだ。
「もしや」と思い、先生はそうっとボウルを覗き込んでみる。
中に入っていたのは、夏ミカンの果汁。その上に、笹のものを思わせる細長い葉っぱが一枚。祖父母が置いたときには、この葉はなかったはずだ。
ぴちゃん。
音が立つや、葉の底から波紋が生まれ、ミカン汁の上を走っていく。葉そのものは、押されたかのように前へ飛び出し、ボウルの壁に乗り上げかけ、やがてじわじわ向きを変えていった。
図体に似合わない、大きな音。それがあの波紋にあるらしく、よくよく見てみると、葉らしきものの表面には、米粒よりなお小さく細い、無数の糸くずたちの姿があったんだ。
彼らは葉に半分ほど体を乗せながら、残りを池と化したミカン汁の中に浸し、一斉に水面をかく。それによって、葉を中心に大きく波紋が広がっているらしかったよ。
あれが祖父母のいう神様だとしたら、初物の具合を見て楽しんでいたのかもしれない。
いまは祖父がすでに亡くなり、祖母は先生の両親と暮らすようになった。あの家には買い手がついたものの、数年後にあった地震の際にほとんど崩れてしまい、リフォームしたとかなんとか。