5、二人の家柄。
「体はでかくなったが胸は成長してねーな。えっ?」
「嫌っ!」
男の身長は185センチくらいでかなりでかい。恰幅が良く腹が出ていて熊のような体型だ。現場の人っぽい服を着ていて、顔には堀の深い皺が刻まれ無精髭を生やしていた。
対してこちらは身長175センチ。どちらかと言えばひょろくて弱そう。……いや間違いなく弱い。
男が愛莉に抱きつく。彼女は抵抗している。
「くっ、……助けて」
愛莉が呟いた。俺はそれを聞き逃さなかった。
俺が弱かったとしても絶対に赦さない。倒す!殺すっ!自分に暗示をかけた。アドレナリン全開だった。
「あああああ!」
勢い良く襖を開けて駆け出す。そして男に体当たりした。
ドンッ!
「だ、だれだ!てめー!」
「愛莉から離れろぉおおおおっ!」
男の腹に手を回して愛莉を引きはなそうとする。男はバランスを崩して愛莉を放した。そして俺の背中を殴る。
「くっ、いっ、出てけよ!」
「てめーが出てけっ!ガキが!」
「ひっぐ、涼君、涼君を叩かないで!」
愛莉が泣きそうな声で叫だ。
その叫びが届く。てんぱって訳が分からなくなって頭が真っ白になっていた俺を冷静にさせた。
「愛莉!警察に、ぐっ、警察に電話して!」
愛莉は奥の部屋へスマホを取りに行く。おぼつかない足だった。
「ちっ」
それを見た男は舌打ちをして悪態をついた。
「また来るからなっ!」
男はでかい声で叫ぶと逃げるように家から出ていった。
「はぁ、はぁ、はぁ」
俺はすぐにドアの鍵を閉める。すると体から力が抜けて玄関にへたり込んだ。
今まで喧嘩なんてしたことがなかった。心臓が壊れそうなほど鼓動が早い。恐くて手が震えている。
「涼君っ!」
愛莉が駆け寄ってくる。
「だ、大丈夫ですか?」
心配そうに俺を見つめる。
「はぁ、はぁ、はぁ」
力なく座る俺を見て愛莉は泣き出してしまった。
「……えっぐ、えっぐ」
「愛莉、こっち」
愛莉の手を引いた。彼女を俺の胡坐の上に座らせ、それから抱き締めた。愛莉は俺の胸に顔を埋める。
「大丈夫、もう、大丈夫だから」
「えっぐ、涼君……」
愛莉だって怖かったに違いない。腕の中で震えるように泣いている。
怯える愛莉を抱き締めたからなのか俺の震えは収まっていた。心臓は冷静さを取り戻している。
あのおっさんはかなり酒臭かった。酔って力が出せなかったのだろう。殴られた背中は痛くない。
それよりもこうして愛莉が泣いている方がよほど痛い。
愛莉の頭を撫でながら、もう片方の腕で彼女を強く抱き寄せる。愛莉の華奢な体が俺の体に包み込まれる。
______
愛莉は胡座をかいた俺の上に座り、俺に寄り掛かっている。さっきまで、俺の胸に顔を埋めていたが今は落ち着いたようで顔を上げている。
「さっきのって……」
「あの人は、お母さんの昔の彼氏なんです」
「そっか」
「私が中学生の時に別れたのですが、しつこく家に来て、それでここに引っ越したのに」
愛莉は俺の胸に額を当てながら呟くように話す。
あの野郎、また来るって言っていたな。
「愛莉、うちに住め」
自然と言葉が出た。愛莉にここにいて欲しくなかった。
うちはマンションでオートロックだからセキュリティは問題ない。間取りは3LDKと結構広い。
「姉さんと二人暮らしだけど、部屋一つ余っているし愛莉が来ても問題ない」
「でも、お母さんが……」
「もう少しで帰って来るんだろ?俺も一緒に話すよ」
「……わかりました」
そう言うと愛莉はまた俺の胸に顔を埋めた。
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愛莉の母親が帰って来ると俺達はさっき起きたことを話し、愛莉がうちに住めるよう説得した。それから姉さんと海外で仕事をしている俺の両親に電話をして事情を説明した。
俺の両親と愛莉の母親が電話で話したりもしたが、1時間くらいの話し合いで、想像していたよりも簡単に俺達はお互いの家族から了承うことができた。
愛莉の母親もあの男には迷惑していたらしく、愛莉を預かってくれるならここを引き払って親戚の家に引っ越すそうだ。
これは愛莉や彼女の母親には話さなかったが、俺の実家は大地主で大金持ちだった。
自宅のマンションは6階建て30世帯、ファミリー向けで同じ構造の建物が団地のように5棟並んでいる。建物名は『シティービュー入間』。この1号棟から5号棟は全て入間家の所有物だ。その他にも数多くの物件を所有している。
そして両親は祖父の金で若い頃に企業。家族経営をする為に株式は上場させていないが、海外で展開している大企業なのだ。
俺の銀行口座には昔からもらっていた小遣いやお年玉が貯金されていて、今では数千万円は貯金されている。
ただ昔から友達に金持ち扱いされるのが嫌で、絶対に散財はしないし高校に入ってからは週に2回バイトをしてその給料で遊んでいた。
だから愛莉一人を養うのなんて全然余裕なんだ。
愛莉は明日からうちに住むことになった。引っ越しの荷物は少ない。殆どが着替えや学校の物。明日、姉さんの車で運ぶことになった。
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愛莉の家からの帰り道、一人でいつもの公園に寄った。時刻は0時をまわっている。
あの高台にある大きな桜の木の下に立つと目の前には夜景と星空が広がっていた。
そして俺は叫ぶ。その夜景に向かって。
いや、……アイツに向かって。
「おい!見てるんだろっ!」
返事はない。けれど叫びは続く。
「今日、愛莉を救ってくれよ。お前にしかできないんだ!」
辺りは静寂だった。けれど続ける。
「これを見ていたら愛莉を助けてやってくれよ!
……もう一人の俺ッ!!」
当然だが返事はなかった。
俺には関係のない違う世界の愛莉。でも、だとしても……、愛莉に悲しい思いをさせたくない。
今朝、もう一人の俺の夢を見なかった。だから結末はわからない。アイツがこの夢を見ているのかも分からない。それでも俺は――。
井荻さんと付き合っているもう一人の自分が、これを見ていたら愛莉を救って欲しいと願った。
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10月11日。朝。
俺は目を醒ます。