景区
川べりの北側は明清時代の民家が石畳の両側に密集
して連なっている。南側は公園、船泊まり、みやげ
物店などが並んでいて西の端に大きな寺院がある。
影絵館や古い舞台が現存していて誰かが民謡を歌っ
ていた。石畳を歩く。道幅は4m程で狭い。木造の
明清時代の民家はかなり大きな造りで天井も高く、
その歴史の重みに圧倒される。数軒おきに店舗があって
酒蔵、染物屋、漢方薬店などが昔のままのたたずまい。
さらに作家茅矛故居や古銭ばかりの銭布館、木彫館。
皇族の屋根付き寝床を陳列した百床館などがあって
なかなか見ごたえがある。路地を曲がればすぐ川に
出たり、反対側は裏通りに出たりするが、もうそこは
普通に庶民が生活をしている。
中国人のツアーの団体が来たのでその後ろを付いて歩
いた。屋根付きの逢源双橋は、間違いなくその由来が
あるはずなのだが、ガイドの説明は別に何もなかった。
それよりもここからの景観は、これぞ水郷、あまりの
美しさに思わずハット息を呑んだ。太古の昔からの
川辺の眺め、特に夕陽の時はもっと素晴らしい筈だ。
にもかかわらず静江の心は晴れない。65年前に
タイムスリップしてこの風景がそのまま殺戮の場
となったのかと思うと心が痛む。
駆け抜ける日本兵。中国民兵との攻防戦。中国兵は民間
人に紛れ込んでどれが兵隊やら分からない。気を許した
らすぐさま民家から銃撃、手投げ弾が飛んでくる。
祖父は発狂しそうな戦場の中で、ほんの一瞬、ここから
の景観にハット息を呑み感動したのではなかろうか。
『祖父はここで沈む夕陽を見たんだ』
静江にはそうとしか思えなかった。