烏鎮
12月、霧雨の中、静江は烏鎮に着いた。
上海南站からバスで2時間。烏鎮のバスターミナルは
ぬかるんでいた。夕方はもう日が暮れかけて、
薄暗がりの中から客引きが現れる。
とにかく宿所を探さなければ。
一見上品そうなおばさんが旅館の名刺を出してきた。
青年旅館100元と書いてある。
「熱水、空調、テレビあり。80元?」
「空調不要。60元?好?」
「60元好。看一看」
向かいの路地裏の安宿。ペンション風で若作りだが
やはり隣の音は丸聞こえで熱水は出なかった。
幸い景区はすぐ近くで歩いて回れそう。ゆっくりと
その夜は眠るつもりだったが、夢にうなされた。
65年前この地で杭州から上陸した日本陸軍歩兵部隊は
各村々を襲い略奪し虐殺し焼き尽くして南京を目指した。
祖父は上官に脅されて病身の女性を銃剣で刺した。
その女性が死に際に渡したロケットペンダント。
なぜか捨てきれず、この烏鎮に捨ててきてくれと、
鎮魂の65年が一瞬にして写し重なる。
捨てようとはしたのだろうがどうしても捨て切れなかった。
命に深く刻まれた大罪の意識は絶対に一生消滅はしない。
死んだ後も永遠に宇宙に残るものだろう。
祖父の苦悩の映像が夢の中で反復する。すがるような絶望
の眼差しが急に大きくなって静江に迫る。静江は大汗を
かいて早朝目を覚ました。
朝食を済ませて景区へと向かう。大きな石橋のふもとで
遊覧券を買うと景区遊覧図が付いていた。よく見つめると
9つの大小の橋がかかっていて1.5kmほど先の一番東
詰めに、逢源双橋という屋根の付いた木の橋がイラスト入
りで載っている。
『この橋だわ双橋というのは。なぜこの橋からと祖父は
指定したのだろう?』