第三話
結城は一度家に戻り書類をダミーの紙とシュレッダーにかける作業を行い、ついでに服も着替えて繁華街の方へと向かった。結城は知らなかったが、繁華街に最近出来たばかりの喫茶店があるらしい。そこに今回の依頼人がいる。
人がたくさん通り過ぎる度に感じる視線や悪意、オフに出来ない心を『読む』方の力から気を逸らすためにイヤホンの音量を上げる。いっそ五感が無くなればいいのに、なんて考えた。
水色と白で塗り固められた外観の喫茶店に入っていく。客は数人しかいなかったが、マスターらしき初老の男が結城に気付くと目線でバックヤードに案内した。結城は何も言わず仕事をしている店員達の横を通り過ぎ、控え室と書かれた部屋の扉を開ける。
そこに居た人物をみて思わず結城は警戒体制に入った。
「どうも」
「……綾瀬?」
簡素な白い机に依頼人の女性と向かい合って座っているのは綾瀬千鶴。艶やかな黒髪を後ろにくくった結城の二つ下の少女は適当に挨拶をしてから視線を依頼人に戻した。
色々聞きたかったが、私語は控えた方がいいだろう。
「では、始めましょうか」
綾瀬が淡々と場を仕切り、結城は黙って席についた。
依頼内容を女性が話している中、結城は別の事を考えていた。なぜ、こいつがいるのか。
綾瀬千鶴。
アルバイトのような立場の自分とは違い、彼女は戦闘部の幹部だった筈だ。
依頼主の女性を観察する。今回の仕事はそこまで難しくない。ごくありふれた内容。女性の話を要約すると、海外から購入した奴隷がいらなくなったので処分して欲しいとの事だった。手段は問わず。結城がこの仕事にあてがわれたのは奴隷の心のケア。可能なら人材として雇う。たったそれだけの簡単なお仕事だ。
「そろそろ新しいのに変えたいと息子が言うものですからねえ。私は反対したのよ? 飽きたからといって捨てちゃうのは可哀想だ、って。でも泣きつかれちゃほら、わかるでしょ?」
「息子想いのお母さんなんですね」
「うふふ。別にお世辞なんかいいわよ。あなたも綺麗なんだし、すぐにいい人が見付かって自分の子供を中心に世界が回るわ」
綾瀬からは何の感情も伝わって来なかった。
依頼人の女性はお人形のように整った顔立ちの綾瀬を気に入ったのか、無駄話をさらに続けた。結城には一切興味を寄せず、淡々と返事をする少女に笑顔を向ける。彼女を褒めまくり、ついには養子に来ないかと口にし、結城の失笑をかった。
――確かに、綾瀬は高く売れるだろうよ。
「国枝様、そろそろ」
「そうね、家の者には言ってあるから、後はお願いね」
綾瀬が促し、依頼人の女性が笑顔で退出しようとした瞬間、結城はようやく彼女がここにいた理由を把握した。といっても何が起こったのかは分からない。いつのまにか女性の近くにいた綾瀬の冷たい殺意が部屋の中を包み込み、恐ろしい速度で右手のナイフを一閃。たったそれだけで、さっきまで綾瀬と楽しそうに談笑していた女性の首から上が飛んだ。依頼人はおろか、普段揉め事に慣れている結城すらまったく反応出来なかった。背筋が寒くなり、結城は息を呑んだ。
ゴトリと足元に転がって来たモノを視界に入れずに、何とか声を絞り出す。
「……彼女にも、殺害依頼が出てたのか」
従業員達が入ってきて死体を片付けていく。綾瀬はテキストを読み上げるような声色で、
「はい」
「何でだ。依頼人じゃなかったのか、こいつは」
「依頼人です。国枝様の殺害を頼んだ方が引き継がれましたので、元、が付きますが」
「まさか、引き継いだ人間は」
「息子の大河様です」
「なっ……」
絶句する結城に対し、綾瀬は平素の表情で近づく。相変わらず読めない彼女を警戒度を最大にして見ていたが、
「それでは、仕事に行きましょうか」
「……は?」
部屋から出ていく綾瀬を、結城は混乱する頭を抑えて追いかける。
「ちょ、ちょっと待て!」
「はい?」
素直に止まる彼女は立ち止まり、結城と向き合った。
「説明してくれっ、何がなんだかさっぱりだ!」
「何をでしょうか」
時間が押しているのですが、と綾瀬は続けた。
結城は悩んだが、とりあえず綾瀬が何故自分の仕事に着いてくるのか理由を問いただす。
「ああ、なるほど……」
「戦闘部の幹部が奴隷の処理ごときに出てくるんだ、警戒して当然だろ。……今回、やばい仕事なのか」
「どうでしょう」
結城は舌打ちしそうなのをこらえ、綾瀬を睨んだ。
心が読めれば。
昔、まだ綾瀬が『悪の組織』に在籍していない頃、仕事で彼女とはじめて出会った。その時は読めて、今は読めないのは何でだろう。
『彼女』を除けばいつだって他人の心を見れた。職業柄、危険な目にあってきたが、その時に大きなアドバンテージとして結城を救ってきたのがこの心を読む力。忌々しい力だが、いつ誰に襲われても敵より一手早く動ける事実は結城に安心感を与えていた。それが、彼女には通じない。