千代
あのあと藤堂は鈴音を家まで送り、あの男たちとは絶対に関わるなと言って帰って行った。
結局あの時、藤堂が何を言おうとしたのかも分からないままだ。
「刃傷沙汰って……一体どういうことでしょう……?」
鈴音は思い切って山南に尋ねた。ちょうど以前の薬代の支払いで山南が、土方もそれに付き合って診療所にやって来たところだった。
山南は藤堂と同門の兄弟子で、玄武館に一緒に通っていたこともある。何か知っているかと思った。
本人のいないところでこそこそ嗅ぎ回るのは気が引けたが、本人に会えない以上はどうしようもなかった。
「どこでそれを?」
山南と土方と粕谷が顔を見合せ、同時に聞いた。その様子から土方と粕谷も何か知っているらしいことがわかる。鈴音は昨日のことを説明すると山南は渋い顔をして口を開いた。
「玄武館の近くに、お千代さんの団子屋があったんだ。そこで平助と出会い、二人は親しい間柄になった」
しかし千代に想いを寄せる男は多く、その中の一人が千代を手籠めにしようとした。藤堂が駆けつけたが、相手は逆上して刀を抜き、藤堂も応戦した。そして藤堂の方が腕は上で、相手の左腕を斬り、勝負が付く。
相手の男は破門になり、藤堂は同じ北辰一刀流の伊東道場に預けられることになった。しかし男は自分だけが破門になったことに納得が行かず、藤堂に付きまとっているのだ。その男が後藤二郎。
「そんな……もともと向こうが悪いのに……」
「……道場主も平助が悪くないのは分かっていた。それに後藤はもともと素行が悪かった。だが、平助だけ全くお咎めなしではカドが立つからね」
藤堂の剣の腕は免許皆伝並みなのに未だに目録なのも、その辺りが関係しているらしい。
「だが、伊東道場にも平助のことを良く思わない人もいるようで、そのうちに試衛館にも来るようになったんだ」
「千代さんとは……?」
「あれから会っていないんじゃないかな。平助が千代さんを避けているようだし」
そういえば前に、原田が一人で団子屋に居た時、『総司も平助も、なんだかんだ理由をつけて断るんだよなー』と言っていた。あの時も藤堂は、千代に会わないために団子屋へ行かなかったのだろう。
「平助さんは、まだ千代さんのことを好きなんでしょうか?」
鈴音は自分の言葉に胸が締め付けられた。
「……どうかな」
山南はゆるりと首を傾げた。
「それは、平助本人しか分からないよ」
その時、玄関先で女性の声が聞こえた。
「ごめんください」
患者かと、粕谷が立って行った。しかし
「お忙しいところ申し訳ありません。千代と申します」
という声が聞こえ、鈴音はいても立ってもいられなくて、障子の隙間からそっと覗いた。
「こちらに藤堂平助さんはおられますか?」
団子屋以外で千代を見るのは初めてだが、やはりキレイな人だと思った。
「……ここには来てねぇな。試衛館か神田の道場じゃねぇか?」
粕谷が答えると、千代は悲しそうな顔をした。
「あちらにも行ってみたのですが、同じことを言われました。……最後に一度、お会いしたかったのですが……」
千代は借金のために身売りするという噂があった。最後に、ということはあの噂は本当なのだろう。
「……あ」
千代が覗いていた鈴音を見た。
「鈴音さん……ですよね?」
「えっ、私のこと知って……?」
まさか千代が鈴音を知っていると思わなかったので驚いた。
「お稽古の帰りによくうちに来てくれてましたよね。それと、藤堂さんと一緒にいるのを何度かお見かけしました」
「……」
何と答えて良いか分からずにいると、千代は頭を下げて
「お手数かけて申し訳ありませんでした。明日、出直します」
と言って玄関を出て行った。
「あのっ」
鈴音は追いかけて声をかけた。
「あの……」
追いかけたものの、振り返った千代にかける言葉が見つからない。
本当は聞きたいことはある。藤堂とのこと……。でも、今は聞くべきじゃない。
「……お団子、また食べたいです」
ようやく出てきた言葉がこれだった。千代はニッコリ微笑んで
「ありがとう」
と言った。
☆
翌日、久しぶりに藤堂が試衛館に来ていた。原田や永倉とふざける等、いつも通りに振る舞っているが、鈴音にとっては話しかけ辛い雰囲気だった。
アヤは来ておらず、早めに帰ってしまおうと門を出ると、千代にばったり会った。
「昨日はどうも……。藤堂さんはいらっしゃいますか?」
「今、呼んで来ますね」
鈴音は道場に引き返して藤堂に千代が来ていることを伝えた。藤堂は顔色を変え、千代のところに走っていった。鈴音も少し離れて着いて行く。
「千代!」
「……藤堂さん……!」
藤堂を見るなり、千代は藤堂の胸に飛び込んだ。藤堂も千代をしっかりと抱きしめる。
鈴音は近づくことが出来ず、立ち止まった。
「ごめん。俺も何度か店に行ったけど、入れ違いだったみたいで」
千代は藤堂の胸に顔を埋めて泣いている。
「アツいねえ」
野次馬に来た原田と永倉がひゅーっと口笛を吹いた。
「……」
鈴音の胸の奥がチリチリとした。