伊東道場
その翌日もやはり藤堂と会えなかった。
いつものように診療所の掃除を終わらせたあと、一旦は試衛館に向かったが、思い立って神田に向かうことにした。
(確か、神田の伊東道場って言ってた……)
昨日は体を動かして大分気持ちもスッキリしたが、やはり藤堂のことが気になって仕方がなかった。
どうしてこんなにも気になるのか……。自分でもよく分からない。ただ、藤堂と千代がどんな関係だったのか?今はどんな関係なのか……気になるのだ。
(……来ちゃった、けど……どうすればいいんだろう)
“伊東道場”と書かれた門の前で鈴音は立ち尽くした。試衛館とは比べ物にならない立派な門構えだ。奥に見える家屋や道場も大きい。
(私、すっごい場違いだ……。それによく考えたらここに平助さんがいるとは限らないし……)
この大きな道場にすっかり気後れしてしまった。
(……でも、せっかくここまで来たんだし。何か聞けるかも、しれないし……)
門の前でうろうろとしていると
「何か御用ですか?」
後ろから声がかかった。小柄なきれいな女性が立っている。
「あ、あの……私は」
何と説明しようか言い淀む。
「お梅?どうかしたのか?」
今度は門の中から、スラリと背の高い男性が現れた。歌舞伎役者のようにキレイな男性だ。
その男性が鈴音を見ると
「これは……可愛らしい道場破りだね」
「えっ……」
言われて自分の格好を見ると、袴に竹刀を持っており、確かにそう見えなくもない。
「違いますっ。私はそんな大それたこと……」
慌てて否定する鈴音を男は目を細めて見つめる。本当に、役者絵から抜け出てきたような美丈夫ぶりだ。
「冗談ですよ。うちに何か御用かな?……お梅、部屋に通してあげなさい」
このお梅という女性はどうやらこの男性の妻のようだ。こちらも美男美女夫婦だ。
「あ、いえ!お構い無く……。こちらに藤堂平助さんがいらっしゃるかと思いまして」
「藤堂君?そうか。それならすぐに呼んで来よう。こんなところでは何だから、中に入りたまえ」
促され、鈴音は門をくぐる。すると、お梅に呼ばれたらしい藤堂が向こうからやって来た。
「鈴ちゃん!?」
「平助さん……」
藤堂は大股で鈴音たちの近くまで来ると、男性に頭を下げた。
「申し訳ありません、伊東先生」
鈴音に向き直ると
「どうしたの?こんなところにまで……」
藤堂の険しい表情を見て、鈴音はやはり来てはいけなかったんだと感じた。
「まあまあ藤堂君。せっかく可愛い子が訪ねて来たんだ。ゆっくりしてもらえばいい」
伊東先生と呼ばれた男がやんわりと取りなしてくれる。
「自己紹介が遅れたね。僕は伊東大蔵。伊東道場の道場主をさせてもらっているよ」
伊東はニッコリと微笑む。
「私は、鈴音と申します」
鈴音も慌てて名乗る。
「鈴音さん。君も剣術を習っているのかい?」
「はい、習い始めてまだ数ヶ月ですが……試衛館で」
「試衛館?ああ成る程。それで藤堂君のことを知っているのか」
藤堂が試衛館に出入りしていることは、道場主も公認のことのようだ。
「もしこのあと用事がなければ、ここの練習も見て行くかい?」
「伊東先生!」
藤堂は慌てたように口を挟むが、伊東はどこ吹く風。
「何を止めることがある?他流派との交流も大事な勉強だからと、君に試衛館へ行くことも認めたんだ。この子にしても同じだろう」
「そうですが……」
「さあ、鈴音さん。ぜひ見て行きなさい」
この伊東、とても強引だ。鈴音は藤堂に申し訳ないと思いつつ、頷くしかなかった。
☆
道場に通されると、その広さに鈴音は圧倒された。それに、門弟の数も段違いだ。ここがこんなにもすごいなら、北辰一刀流の本家、玄武館は一体どれ程だろう。
鈴音の姿を門弟たちは好奇の目で見ている。それは単に鈴音が袴姿だからではなさそうだ。
「藤堂が女を連れて来たぞ。良いご身分だな」
「あいつ、玄武館にいた頃、騒動起こしたんだろ?確か女関係じゃなかったか」
「伊東先生のお気に入りだからっていい気になってるよな」
ヒソヒソ話が聞こえて来る。
「君たち。人の噂話をしている暇があったら稽古に励みなさい」
伊東が一喝すると話し声は止んだが、代わりに鋭い視線が飛んでくる。
(……うわー!全然、歓迎されてないんですけど!)
とてつもなく居心地が悪い。藤堂をチラリと見ると、いつものことだと言わんばかりに平然としている。
ここまで藤堂が嫌われているのはすごく不思議だ。試衛館での藤堂は人当たり良く、皆から弟のように可愛がられているのに……。
「いっ、伊東先生!」
鈴音は伊東に声をかける。
「あの、用事を思い出しました。失礼します」
「……そうか。それは残念だね。また今度来るといい。藤堂君、送ってあげなさい」
伊東は残念そうに鈴音を送り出した。強引だけれど、根はいい人なんだろう。
門を出たとき、鈴音はホッとため息をついた。
☆
「で、何の用だったの?」
伊東道場を後にしてからしばらくは無言で歩いていた二人だったが、両国橋に差し掛かった辺りで藤堂が口を開いた。
「用と言うか……平助さん、どうしてるかなぁって……」
「え、それだけ?」
「すみません!この間、様子が変だったから気になって……。でも、かえって迷惑でしたよね。すみません」
本当に、余計なことをしてしまったと鈴音は後悔していた。
「……いや、別にいいんだ」
藤堂は呟くと、俯いて少し迷った様子で唇を何度か開きかけては閉じ、やがて思い切ったように顔をあげる。
「あのさ、俺ーー……」
「藤堂じゃないか!」
藤堂の言葉を遮って、男の声が聞こえた。見ると、3人の浪人風の男が立っている。鈴音はそのうちの一人に見覚えがあった。
(前に道場破りに来た人……!?)
確か、名前は後藤二郎。
鈴音と目が合うと後藤も気付いたようだ。
「試衛館にいた子だな。藤堂の新しい女か?」
舐めるような視線に鈴音は後退りし、藤堂が一歩前に出て鈴音を背中に庇う。
「藤堂。この子はお前の刃傷沙汰を知ってるのか」
「この子は俺の女でも何でもない。手を出すな!」
藤堂にしては珍しくすごい剣幕で後藤たちを怒鳴り付けた。男たちは一瞬怯み、周囲の人たちも何事かと遠巻きに見ている。
「……行こう」
藤堂は鈴音の手を引いて歩き出した。藤堂が大股で歩くので、鈴音は引きずられるように小走りになる。
しかし話しかけることも出来ず、鈴音は手を引かれて必死について行くことしか出来なかった。