辻斬りの噂
朝晩は冷えるようになったとはいえ、日中はまだまだ残暑が厳しい長月。
鈴音はあれから粕谷診療所に出入りしている。粕谷の調合した漢方薬に興味を引かれたのだ。とはいえ、弟子入りするわけでなく勝手に押し掛けている形だが……。
「また来たのか」
粕谷は苦い顔で鈴音を出迎える。
「ガキの遊び場じゃねぇんだぞ」
「いいじゃないですか。先生、どうせ女っ気ないんだし、私いろいろ手伝いますよ」
「余計なお世話だ。俺一人でもやっていける」
「そうおっしゃらずに。掃除でもなんでもやりますから」
鈴音は着物の袖を捲るとはたきを取り出した。
「んなことしたって何にも教えねぇぞ」
「ケチ」
言いながらも鈴音は掃除を始めた。
「大体、試衛館や三味線はいいのか」
「ここが終わってからちゃんと行きます」
鈴音がテキパキと掃除をしていると、藤堂の声がした。
「おはようございます、粕谷先生。鈴ちゃん来てますか?」
「今度はお前か」
出迎えた粕谷はあからさまに眉をひそめた。
「ここを逢い引き場所にすんな」
「逢い引きだなんて、俺は別に……」
藤堂が玄関から中を覗くと、ちょうど鈴音が廊下の雑巾がけをしているところだった。
「あ、鈴ちゃん!かりん糖買ってきたんだ。掃除終わったら食べない?」
粕谷の体越しに声をかける。
「かりん糖!?食べたいです」
「俺も手伝うよ」
藤堂は下駄を脱ぎ、中へと上がった。
「お前ら勝手なことばかりしやがって……」
粕谷は文句を言いつつもお茶の準備をするのだった。
粕谷は土方家の三男だが、医師・粕谷仙良の養子となり医師となった。仙良亡きあともまだ独り身で、診療所兼自宅で暮らしている。
これまでは患者と、土方が時々訪ねて来るくらいで静かだったが、鈴音や藤堂が出入りするようになってから賑やかになった。
「うるせぇったらねぇな。何でこんなになつかれたかな」
悪態を吐きつつも、内心は嬉しい粕谷だった。
「そういえば、ここんとこ辻斬りが増えてるらしいですね。しかも被害者は全員若い女性」
掃除が終わったあと、かりん糖を食べながら藤堂が言った。
「ああ、あれか」
一度診療所の近くでも遺体が見つかったことがあった。その時に粕谷も検死を頼まれた。
「あれはただの辻斬りじゃねぇな」
「……というと?」
「何て言うか……被害者は全員若い娘で、執拗に、その……」
粕谷は言葉を選びながら鈴音をチラリと見る。鈴音に聞かせていいものか迷っている様子だ。しかし鈴音も好奇心が勝った。
「執拗に?」
次の言葉を促し、粕谷も観念した。
「執拗に暴行されている」
「…………暴行、って……」
つまり、殺される前に縛られて性的暴行を受けた形跡があった。
「イヤな事件ですね」
藤堂は鈴音の前でこの話題を出したことを後悔した。鈴音と被害者の娘たちは年も近い。無駄に怖がらせることになってしまうと思った。
「鈴音も気をつけろ。女の一人歩きは危ねぇぞ」
「……そう、ですね」
案の定、鈴音は青ざめていた。
「ま、そうやって平助が引っ付いてりゃ、大丈夫だろ」
粕谷が豪快に笑った。
☆
鈴音と藤堂は、診療所を出たあと一緒に試衛館に向かった。藤堂と街を歩いていると、女の子からの視線を感じることがある。藤堂の容姿は人目を惹くのだ。
「あ、そうだ。鈴ちゃん、これあげる」
藤堂は唐突に鈴音に何かを握らせた。
「……根付け?」
それは、匂袋に鈴が付いた根付けだった。
「これさ、ほら、前に簪に付いてた鈴。あれをこっちに付け替えてみたんだ……」
「え。平助さんが?すごい、器用なんですね……」
藤堂が針と糸を持って根付けに鈴を付けている姿を想像すると、何だか可笑しくて笑が込み上げてくる。
「……あ、でもこんなのいらない……かな。やっぱり返して」
鈴音に笑われて恥ずかしくなったのか、顔を赤くした藤堂が根付けを取り返そうと手を伸ばす。鈴音は取られないように身を翻し
「ダメです。もうこれ私のです」
と、帯留めに根付けを付けた。鈴音が動くと、リンと可愛い音が鳴る。鈴は土方と琴音のことを思い出す音だったが、今、藤堂の音に変わった。
「大事にしますね」
鈴音が言うと、藤堂は照れたように頭を掻いた。