星の光
鈴音はぼんやりと目を開けた。
「起きたか」
声のした方に目を向けると、粕谷がちょうど手拭いを絞っているところだった。
「…………体が、だるい」
体を起こしたものの、恐ろしく体が重くて言うことをきかず、驚いた。
「当たり前だ。熱があるんだから、だるいに決まってる」
粕谷は鈴音を寝かせると、絞ったばかりの手拭いを額に乗せた。
(……あー、そうか……)
川に落ちたあと、ずぶ濡れで、一旦粕谷のところに連れて来られたのだ。そしてそのまま熱を出してー……。
今は……夕方!?……ということは、昨日の夜からほぼ1日たっているということになる。
「家に連絡……」
「してあるよ。熱が下がるまで預かるってな」
「ありがとうございます」
「礼なら平助に言うんだな。ほれ、そこに当面の着替えとか預かってきてくれたよ」
枕元に風呂敷包みが置いてある。わざわざ家まで行ってくれたらしい。
「父上と母上、怒ってませんでしたか?」
「だから、平助に聞けって」
「……平助さんは?」
「さあな。そのうち顔出すんじゃねぇか。……何か食うか?んで、薬飲んでまた寝ろ」
言うと、粕谷は食事と薬を取りに部屋を出て行った。
出された食事を見て、鈴音は驚いた。
「……姉上が、来たんですか?」
野菜がたっぷり入った雑炊は、昔から鈴音が熱を出すたびに琴音が作ってくれたものだ。
「昨日な。平助と一緒に荷物を持ってきたんだよ」
鈴音は手を合わせ、温め直してもらった雑炊を一口含んだ。琴音の味付けだ。
鈴音は琴音の手料理が大好きだった。
店で忙しい両親に代わって、いつも鈴音を気にかけてくれていた。
「美味しい」
いつからか、鈴音の方から琴音を避けることが増えてきた。勝手に劣等感を感じて。
土方が琴音の婚約者だと知ってからは余計に距離を置いてきたが、琴音の方は変わらず鈴音を気にかけてくれていた。
鈴音はゆっくりと雑炊を平らげた。
熱が下がったら琴音と平助にきちんとお礼を言おうと思った。
最後に粕谷から飲まされた薬は、最高に苦かった。
文句を言う鈴音に粕谷は
「“良薬口に苦し”だ」
と言った。
☆
「土方さん、ちょっといいっすか」
土方が粕谷診療所に入ろうとすると、藤堂に呼び止められた。
「平助!?お前、ずぶ濡れじゃねぇか」
「これ、探してたんです」
平助は手に持っていたものを土方に見せた。
「……それは……簪?」
「ですね。土方さんが鈴ちゃんに買ってあげたやつですよ。鈴ちゃん、大川に落としたって青ざめてて……」
藤堂は土方に詰め寄った。土方は背が高いのでどうしても藤堂の方が見上げる形になるが、藤堂の気迫に圧されて土方は一歩下がった。
「土方さん。気づいてない訳ないですよね?」
「……何に」
「とぼけないでください」
土方はとうとう壁際に追い詰められた。
☆
鈴音が雑炊を食べ終えた頃、廊下側の障子から藤堂の声が聞こえた。
「鈴ちゃん、ちょっと入ってもいい?」
「あ、はい。どうぞ」
すぐに障子が開いて、藤堂が入ってくる。着物は濡れていないが、髪は若干濡れているように見える。
「どう?具合は」
「まだ少し、体がだるいけど、大丈夫です」
「良かった」
「あの……平助さん。色々とありがとうございました。迷惑かけてすみませんでした」
鈴音が頭を下げた。
「いいんだよ、そんなこと。あと……これ」
藤堂が鈴音に簪を差し出した。
「………えっ?どうして……?これ、まさか……」
簪と藤堂を交互に見て、察した。藤堂が、大川から拾ったのだと。
「余計なことだったかな……」
「ううん。でも、こんな無茶……」
大川に落ちた時、足がつかず、もし藤堂が助けてくれなければ確実に溺れていた。流れもそれなりにあった。そんな川から、簪を…………?
言葉をなくして藤堂を見つめる。日は落ちて、薄暗くなり始めていた。
「平助さん。ありがとうございます。……でも、もういいんです」
「いい?」
「……初恋だったんだけど。本の中みたいに上手くいかないですね。私、ちゃんと諦めます」
「……そっか。じゃあその簪、俺が貰っていい?」
思いもよらない藤堂の言葉に、鈴音は面食らった。
「……いいですけど、どうして?」
「内緒」
藤堂は口に人差し指をあててにっこり笑った。
「……ヘンなのーっ」
つられて鈴音も笑った。
障子を開けると、空はすっかり暗くなっていた。今夜は新月のようで、星がよく見える。
「……星ってさ」
藤堂が言った。
「星って、俺たちがいるところよりもずっとずっと遠いところにあるんだって」
唐突に星の話をし始めた藤堂を鈴音は見つめる。藤堂は空を見上げており、横顔しか見れない。
「あんまり遠くにあるから、星が放った光がここに届くまで、気が遠くなるくらいの時間がかかるらしい」
「それってどのくらい?」
「さあ。数十年か、数百年か……」
驚く鈴音に藤堂は微笑んだ。
「不思議だよね。俺たちが今見てる星の光って、ずっとずっと昔に光ったものなんだよ」
藤堂が鈴音に向き直る。
「星ってキレイだよね。光った時には誰も気づかなくても、あとからキレイだねって気づいてもらえる。それってすごいと思わない?」
「うん、すごい!」
それを知ってから星を見ると、なんだかわくわくする。
「鈴ちゃんも……鈴ちゃんの魅力に気づく人はいると思うよ」
「……え?」
藤堂の声が小さくて、聞き取れなかった。でも、藤堂が自分のことを励まそうとしてくれていることは何となく分かった。
「ありがとう」
気持ちも体も軽くなったような気がした。