第三話 赤判
「しかし、面倒な仕事だな」
欠伸を隠すこともなく、一人の兵士は愚痴をこぼす。
昨晩からの掃討戦は今なお続いており、雇い主から渡されたリストもようやく半分以上を消化したといったところだろうか。
鬱蒼と生い茂る森林地帯の中ほどに空いた平野には今現在、数十のテントが立ち並ぶ野営地と化していた。外で食事を取ったり、武具の手入れをする者、またはテントの中で眠っている者や、愚痴をこぼした兵士のように書類の整理に追われているものなど様々だった。
机上の重ねられた羊皮紙は今回のクエストに参加した者達の名簿だった。そして、今は狩るべき獲物の一覧表ともなっている。
残る羊皮紙は半分以上を切っている、最後に数を駆使した捜索を行えば片は付くだろう。
「……しかし、名立たる傭兵に悪名高き冒険者、亡国の騎士に流れの戦士、まあよく実力だけはある奴らをこんなに集めたもんだな、総額の懸賞金はいくらになることやら」
羊皮紙に並ぶ名はどれもが一度は目にした、あるいは耳にしたことのある名が多い。表から裏に至るまで、世間を騒がせたことがある者もいれば、名は広がってはいないが実力が広まっている人材まで揃っている。
更には罪人や死刑囚といった存在だ。
雇い主がどんな根回しをしたのか、或いはその程度は自在に出来る立ち位置にいる人物なのか。まあ、興味がないわけではないが、今は仕事が最優先である。
ただの冒険者やらはともかくとして、このリストに載っている内のレッドリスト達――罪人や死刑囚を逃すわけにはいかない。本来は牢の中にいるべき存在達が今はこの森の中にいる、遅かれ早かれ処罰か処刑の対象だったのだ、今ここで一網打尽にしてしまうのが最善というものだろう。
それに巻き込まれる一般の冒険者にはたまったものではないが。
「―――ッ!」
「ッ――――」
「――ッ!」
「ん? なんだ?」
テントの外で慌ただしく動く人影と重なり合う声。
たしか斥候として何部隊かが朝の内から出払っているはずだが、誰かしらの大物でも仕留めてきたのだろうか。
テントを出てみると、人の流れが野営地の西側へと向かっていっている。
「おい、どうしたんだ?」
「死刑囚の奴が現れたらしい、それも一人で」
近くにいた兵士に尋ね、なるほどと納得する。優先的に処分しておきたい輩があちらからやってきたのだ、ここで仕留めずに置かない手はない。
しかし、森を彷徨い歩き、行き着いた先が此処とは運がないな。
兵士達の表情に余裕があるのも、此処が兵士がもっともいる場所であり、万が一も起こりえないと確信しているからだろう。
そんな運のない奴の顔を拝みに行くかと、他の兵士が向かっていく先へついてくことにする
そこにいたのは一人の年若い男。
まず目がいったのは、肩に置かれた巨大過ぎる鎚。対巨大モンスター、対竜だとしても中々にお目に掛かれない、見た目だけでも重圧感のある一品。鉄塊のような無骨なデザインは逆にその物々しさを映えさせ、その一撃を受けた者がどうなるかは容易に想像がつく。
巨大な鎚。
それだけであの男性が何者なのかは検討がついた。
「レッドリストの――『赤判』か」
それは下から数えた方の早い、赤く名の記載された死刑囚。
顔を簡素な仮面で覆い隠し表情はわからないが、兵士達に完全に囲まれた状況となっても焦る様子は見受けられない。
流石は一度は死刑を宣告された者の心の持ちようと言うべきだろうか。
「ふわぁああ……騒がしいなあ、何かあったのか?」
遅くまで探索していた部隊だったのだろう、明らかに眠気を残したままに尋ねてくる。
「『赤判』だよ、まさかあっちからやってくるとはな、探す手間が省けた」
男を取り囲む内の一人が剣を抜き、男性へと近付いていく。
拠点を築き、食事や睡眠等の補給を行っている兵士達とは違い、相手は遺跡の探索から今に至るまで碌な休息を取っていない。この掃討戦が順調に進んでいるのも、リストの半分以上が既に遺跡内で死亡、または負傷し、疲弊し切っていたことが大きな要因となっていた。
たとえ相手がレッドリストの一人だろうがただの人間に過ぎない。そのため、逃がさないように囲いつつ、一人が確実に仕留めようという算段だろう。
だが、眠たそうにしていた仲間は怪訝そうな表情をする。
「どうした?」
「いや、『赤判』は昨日俺達の隊が討ち取ったはずだぞ」
今度はこちらが怪訝な表情をする番だった。
レッドリストの第一、そんな報告は受けていない。
「隊の奴らが鎚を持って帰ると言ってきかんから放っておいたんだが……まだ、帰ってきてないのか?」
巨大な鎚を持ち帰り、レッドリストの一人を討ち取ったと自慢でもするつもりだったのだろう。先に帰った兵士も仲間が戻るまで報告はせず、今まで寝入っていたらしい。
もう一度男を見ようと顔を向けようとしたのと、鈍い震動と不快な衝撃音が聴こえたのは同時だった。
見ると、先程まで仲間の一人が立っていた場所には、男が持っていた巨大な鎚があった。
「……え?」
突然の出来事に理解が追い付かなかった。仲間は一体何処へ消えたのか、姿形は失せ、手に持っていた剣だけが地面に落ちている。そうか、あの大きな鎚の影にいるに違いない。危ない危ないと笑いながら出てくるに違いない。
違いないと、そう思いたかったが事実はすぐに姿を現した。
鎚がゆっくりと地を離れ上がっていく。その先に、仲間の姿はなかった。いたのは、鎚の下。あったのは、仲間だった赤く白いモノ。
それはあたかも、羊皮紙に押された『判』のように。
それは初めにその鎚を見て思った『一撃を受けた相手』の想像など、想像でしかなかったと思い知らされた。
「あ……あ……」
誰もが叫ぼうとしたが、言葉が紡げない。
誰もが逃げようとしたが、脚が根を張り動けない。
ただ一人だけ、鎚を再び肩へと担ぎ直したその男は、潰したモノをじっと見詰め、ぽつりと呟いた。
「……素晴らしい」
その一言を皮切りに、止まっていた時間は動き出した。
塞き止められていた川が氾流するかのように動き出した人の波。
未だに動けない者、立ち向かう者、逃げ出す者。その全てを問わずに、男は潰して、また潰して、潰して潰して潰して潰して潰して潰して潰して潰して潰して潰して潰して潰して――
断末魔は一切上がらない。
一つ、また一つと声が消えていく、音が失せていく。
「あ……」
身体が影に覆われた。
叫ぼうとしたが、声は――
――潰された。