第一話 竜具
正確に表すなら、それは起き上がっている途中だった。
しかし、おかしい。自分でいうのもなんだが、自身も含め、ここには死人しかいなかったはず。だからこそ死に場所として選び、死んだのだ。
戸惑うシキを余所に、ローブに身を包んだそれはゆっくりと立ち上がっていく。
「あー……朝かー」
聞こえてきたのは、あまりにも気の抜けた声。
周りの死体を気にした様子もなく、完全に立ち上がると伸びをした。その拍子に、頭まで被っていたローブがずり落ち、その正体が露わになる。
それは女の子だった。
朗らかな顔つきで欠伸をしており、後ろで束ねられた灰色の髪が揺れている。場違い、その言葉がぴったりと当て嵌るような雰囲気の少女だった。生に満ち溢れ、死の気配しかしなかったこの場所でさえその生は輝き、先程までの薄気味悪い空気がなくなっていくことに気付く。
一体なんなんだ。
そう思ったのと同時に、彼女はこちらに気付く。
「へ?」
先程もそうだが、緊張していたはずなのにその間の抜けた声に脱力させられる。
「え、なんでなんでなんで?」
それはこっちが聞きたいことだ。
整った顔立ちをしており、青い瞳を大きく広げ驚く様はある意味で様になっている。此処が死体の散乱している場所でなければ、微笑ましい光景であったかもしれない。
だが、次の台詞でそんな余計な考えは吹き飛ぶ。
「私が止めを刺してあげたのに何で生きてるの!?」
「………は?」
今度はこちらが間の抜けた声を出す番だった。
止めを刺してあげた? つまり、この娘に殺されということか?
「それに顔つきも変わってるし若くなってる? まるで別人だよ!」
色々と聞き捨ててならない情報が捲し立てられるが、こちらだって訳がわからないことだらけだ。だが、真っ先に聞きたいことがあった、それだけは聞いておくべきだと思った。
「すまないが、先に教えてくれないか」
彼女の言葉を遮るように、語気を強めて言う。
「俺は、どうやって死んだんだ?」
その台詞に、彼女はきょとんとした表情をするが、こちらの真剣さを感じ取ったのか、口を開く。
「えっと……私が此処に来たときには、虫の息だったの。でもね、死ねないでいた、身体を剣で貫かれていたのに、身体からは血が溢れていたのに、生きてたの。それで、私に気付いたあなた?に頼まれたの――殺してくれって」
嘘を言っているようには見えなかったし、思えなかった。
俺は覚えていないが、何故か納得している自分がいた。
「……それで?」
「うん、刺さっていた剣を抜いたの。それで、血がいっぱい出て……」
そうやって、死んだ。
ようやく、死ぬことができた。それでも、どこかで生き残りたいと思っていたのだろう。先程の頭痛を思い出していると、彼女はおずおずと尋ねてくる。
「あなたの最期はきちんと見届けました。それじゃあ、あなたは一体誰?」
誰、か。それは奇妙な質問だった。けれども、実に的を得ている質問でもあった。
「俺はシキ。きみの知っているこいつが生き返ったわけじゃない。記憶もあやふやで、何で俺がここにいるのかもさっぱりわからない」
そして、次に聞きたかったことを尋ねる。
「俺にしてみればきみも同じだ。ここには、さっきまで死体しかいなかったはずなのに、きみは生きを吹き返した、何故だ?」
その言葉に、彼女は再びきょとんとした顔して、自身の身体をまさぐり始める。
「………なんでだろう? 実は私も一度死んでるんですよ」
衝撃的な発言を何故か照れるように言うのだが、人の目の前で身体をまさぐるのはいいのだろうか。
「えーと何処だったっけな」とあちらこちらを確認していく。
「私もお願いしたんですよ」
目的のものが見付かったのか、彼女はまさぐる手を止めた。
ぐいっと、胸を見せつけるように……あ、結構あるな……いや、違う違う。彼女が見せたいのは、胸の中央にある刺し痕。その肌には刺されたような痕は一切ないのだが、何枚もの服を貫いた痕だけは、はっきりと残っていた。
「私は剣を抜いて、私は刺してもらったんです」
誰に――何て質問はするまでもないか。
「つまり、私達は止めを刺し合った仲というわけですね」
「何だそれ……」
何というか、ちょっとばかりずれている感性の娘のようだ。それでいて、こんな惨状を目の当たりにして普通でいられるくらいには、この空気、この空間に慣れているのだから、この娘も相当な場数を踏んでいるのだとわかる。
拍子抜けしてしまったシキに、彼女は「あ、そうそう忘れてました」と言って、ぺこりとお辞儀をする。
「フィアです、私の名前」
「え?」
にこにこと自己紹介をされ、
「よろしくお願いしますね」
と、何かをよろしくされてしまった。
◆ ◆
二人は兎にも角にも、まずはその場を離れることにした。
あの場所が安全だったのは死人しかいなかったからであり、最早その条件は崩れてしまった。それにあの場に留まった所で、何かが進展するとも思えなかった。
その『何か』がわからない現状なのだが、とりあえずは森を抜ける所だろうか。
「ところで、武器は持ってないのか?」
何だかんだで自己紹介を終え、足早に移動する途中でふと彼女――フィアを見遣り尋ねる。
彼女は武器らしきものは何処にも見当たらない。手足にはプロテクターらしき物が装着されているが、それは相手からの切断だけを考慮され、衝撃や打撃は一切考えられていないようなものだった。
「ああ、必要ないんですよ。えーと……ほら、この通り」
フィアは何気なく持っていた短剣の一つを抜き取り、刀身を掴み取る。シキが危ないと言うまでもなく、握り締められた手の中から、バキッ、という音と共に短剣の刀身が粉々に砕け落ちた。
その手に傷は一切なく、むしろ身に付けている手甲に僅かな傷が付いたくらいだ。
これにはシキも驚き、再びフィアの顔を見る。
「私って元々身体が異常に丈夫なんですよ。傷の治りもかなり早くて、今回も寝れば治ると思ったんですけどね、自分でも『ああ、駄目だこれは』ってわかるくらいの傷を負ってしまって」
ははは、と朗らかに笑うフィア。
シキが止めを刺したという胸への一突き、いつもの彼女ならその程度の傷など、即座に死に繋がるものではなかったのだろう。だからこそ、疑問が残る。
「そんなに強いのに何故……死んでしまったんだ?」
聞いて良いものかと少し悩んだが、フィアの死はシキの死にも関連していることは明らかだった。この鬱蒼と生い茂る樹海の中で、一体何が起きたのか、そもそも何故自分は此処にいるのか、聞きたいことは山ほどあった。
「本当に何も覚えていないんですね……」
少し考えるような表情の後、「とりあえずここからでしょうか」と。フィアは話し始めた。
「えーと、まず私達はとあるクエストに挑むために集められたんです」
とあるクエスト、それがこの森にいる理由だろうか。
「実力重視で人を掻き集めたみたいで、中には罪人や死刑囚もいましたねー」
ちなみにフィアは報酬目当てで参加をしたらしく、その額を聞いただけでもそのクエストの依頼主は相当に潤沢な資金を持ち合わせた、何かしらの権力者だろうと推察できた。
罪人や死刑囚を使うあたりからも、その本気度が窺える。そしてフィアは、遂にそのクエスト内容を話し始める。
「『竜具』と呼ばれるアイテムの回収、それが私達が挑んだクエストでした」
りゅうぐ? 聞き覚えのないアイテム名。だが、何故か知っている気がした。
「この森の奥にある遺跡に三隊に分かれて入ったんですけど、奥に辿り着く途中だけでも沢山の人が死にました。それで、やっとのことで遺跡の最深部に辿り着いたんですけど、そこには『竜具』らしきものはおろか何もなくて、半死半生で帰ってきたらきたらで武装した集団に襲われて……」
あの惨状となって、今に至る。
それが、シキやフィアが死に、あの場所を作った原因。
恐らく、その武装した集団というのは依頼主の手勢。元々、誰も生かして返すつもりはなく、竜具というアイテムを回収させて、殺して、奪うまでが大まかな計画だったのだろう。罪人や死刑囚が混じった集団なのだ、死んだとしても何も問題はない。誤算があったとすれば、その竜具というアイテムが既になくなっていたことだろうか。
「……というか、竜ってあの竜? でかい蜥蜴みたいで、翼が生えてたりするやつ?」
「はい、その竜です。私もそれは見たことはないんですけど」
竜。それはシキの元世界にはいるはずもない、想像上の生物。自分はやはり異世界に来てしまったんだなあと、改めて思ってしまう。
しかし、次の発言で現実に引き戻される。
「ただまあ、既に全滅してしまったんですよ、大型竜は」
「え?」
「今残っているのは中小型の竜くらいで、人類を脅かしていたような大型竜は狩られちゃったんです」
遥か昔に、『人竜戦争』という戦争があったらしく、それは互いの種の生存を賭けた百年以上も続いた大規模なものだったらしい。
結果は人類側の勝利で終わり、竜の時代も終わった。
竜の勢力圏は大幅に縮小していき、確認されていた最後の大型竜も討伐隊によって狩られ、事実上の終戦となった。
そして、大型竜の素材をもってして作られたアイテムこそが『竜具』であり、噂では『竜の力』を発現させるなど、冒険者なら必ず一度は聞くことになるアイテムの一つらしい。
そんな伝説上のアイテムを手に入れるためのクエスト。
ただ、そうなると疑問が残る。シキ――いや、この身体の前の主は、何故そんな胡散臭いクエストを受けたのだろうか。フィア同様に報酬目的だったのか、もしくは罪人、死刑囚の類だったのだろうか。
あの頭痛の後から、憑き物が落ちたかのように様々な記憶が抜け落ちた。
シキがシキであるための仕方のない代償だったのかもしれないが、不便であることには変わりない。ある程度の知識が残っているのだが、目覚めた直後に覚えていたこともうろ覚え、いや、今も忘れ続けている最中なのだろう。
フィアから得た情報に考えを廻らせていると、不意に足を止めた。
身体がシキを止めた。
辺りを見渡すが、変わった様子はない。
「どうしたんですか?」
突然歩みを止めたシキに、少し前にいたフィアも不可思議そうに振り向き、声を掛けてくる。どうしたのか、それはシキも知りたかったが、わからない。
きっと死ぬ前のシキならどうしてかわかるのだろうが、今のシキではこれが限界のようだ。それが一度死んでから生き返ったからなのか、それともまだシキ自身が感覚に慣れていない為なのか、その理由はわからないが――感覚を取り戻している余裕はなかった。
突如として、前方の茂みから剣を振り翳した男が現れたからだ。
狙いはこちらを向く――
「フィア!」
シキが叫び、フィアが跳ねるように横へ跳び場を脱するが、それは始まりに過ぎなかった。
男の不意打ちが合図だったかのように、周囲の茂みから複数人の影が現れる。全員が似たような軽装の装備に身を包み、手には長剣と呼ばれる剣を握っている。
囲まれていた。
気付けなかったことに軽い自己嫌悪に陥りそうになるが、今はそれどころではない。フィアは剣を避けた先にいた相手とそのまま交戦を始め、他の敵もフィアを囲おうと陣を形成していく。
場馴れしている。
相手は明らかに素人集団ではない。訓練され、投入され、経験してきているのが動きでわかる。フィアの元へと駆け出そうとするシキだったが、横手から新たに一人が現れ、待っていましたと言わんばかりに剣を振るう。行動が読めれていることに歯噛みする暇もなく、咄嗟にナイフを引き抜き、振るう。
剣をナイフで受けるの相当に困難であり、下手をすればナイフが一撃で砕かれてしまう。受けるのではなく、当てて、流す――つもりだった。
シキが振るったナイフは振るわれた剣にぶつかり――砕いた。ナイフが、剣を。まるで、『牙』が刀身に喰い付いたかのように、剣はほぼ柄だけの状態となる。
突如の出来事に狼狽える男。そして、それを逃すシキでもなかった。
空中に舞う砕けた刀身の一つをもう片方の手で引っ掴み、投げナイフの要領で男の首へと投擲する。その結果を見るまでもなく体勢を翻すと、地面すれすれに身体を滑らせるように疾走していく。チッ、チッ、チッ、と僅かに地面を駆る音だけが鳴り、シキはフィアを狙う敵の背へと迫る。
フィアへと近付く敵は二人。
一人目は最期までシキの接近に気付かず、横を通り過ぎるときに首筋をナイフで流し斬ると、一言も発しないままに前のめりに倒れていく。
二人目の男は直前でシキの接近に気付き、フィアへと振るおうとしてた剣を眼下から迫るシキへと振り直そうとするが、遅過ぎた。ナイフを軽く、とん、とその身体へと押し込む。軽装とはいえ装着していた胸部の鉄鋼を、編まれた鎖帷子をまるで紙切れの如く無視して、その刀身は男の身体へと沈んでいき、男の身体もまた、ぐらりと地面へと落ちる。
崩れた男の先では、フィアと隊長格らしき風貌の男が相対していた。
初めに不意打ちをした敵は既に地面に伏しており、残っているのはその男だけのようだ。
その男が扱う剣は一般的な長剣よりも一回り以上太く長さのある大剣なのだが、男は難なくと振るってみせている。ごく自然に大剣を使いこなすその腕からも、他の敵との格の差が感じ取れた。だが、それを相手取るフィアも明らかに普通ではない。
フィアが振るっているのはその手足、つまりは拳と脚なのだが――なんだあれは?
ほぼ生身の拳と脚で剣を捌いているのも大概なのだが、拳が剣と重なるたびに飛び散る火花に、蹴りが剣を弾くたびに鳴り響く金属音。
短剣を握り潰すのを見せられていた身でも驚きの光景だった。
フィアの繰り出される連撃は洗練された舞いを思い起こさせ、その軌跡を炎の影が爛々と綴っていく。手足を振るうたびに身体から陽炎のような湯気が立ち昇り、まるでフィアの身体自体が熱せられた金属のようになっている。
よく見ると、湯気が出ているのはそなたの傷口、いや、より細かく言うならその血液だ。沸騰したお湯のような血液は、フィアを躍動させ、より身体の能力を底上げしていく。
フィアは頑丈で即時回復する体質を盾として、己の拳と脚を剣の如く振るう。いくら頑丈とはいえ傷付く、ならばあえて傷を受け、攻勢へと転じる。狂戦士のような戦い方は傍から見たら自殺同然の行為だが、致命傷はもとより、即座に動きに繋がるような傷を与える攻撃は的確に避けている。狂戦士のような無謀さはなく、あるのは自身の身体を動かす冷静さと傷付くことを恐れない果敢さ、感服せずにはいられない戦い方だった。
何度目かの拳と剣との衝突。あえて正面からぶつけた拳は大剣の中軸を捉え、男の振るう大剣を遂に弾き飛ばす。勢いよく地面を蹴ったフィアは、右拳を大きく振り被りながら身体を躍動させて男へと肉薄する。体勢のよろけた男が振るった横薙ぎの一閃を軽々と避け、地面を踏み込み、右拳を更に握り締め――振り放つ。
響き渡る衝撃音。
拳の衝突音、はたまた爆炎の破裂音が混じり合い、轟音となり森を震わせる。
男の身体は弾き飛ばされた。その浮遊は数秒にも満たなかったが、遥か後方にあった樹木にぶつかることで静止するに至る。
熱を失った血はすでに蒸発することもなく、フィアは自身の血で彩られていた。戦闘スタイルの特性上そうなるのは当たり前なのだが、その紅さは本当に血のものかと思うほどに鮮やかであり、先程の戦闘とはまた別の意味で一瞬だが見惚れてしまった。
すぐにはっと我に返り、フィアへと歩み寄る。
「おい、大丈夫か」
シキが声を掛けても反応はなく、代わりにぽつりとフィアは呟く。
「私の身体、こんなに無茶しても平気だったっけ……? 魔法……?」
その言葉に、いや、その単語にシキは珍しく目を輝かせる。
「魔法? この世界には魔法があるのか?」
「え? ありますよ?」
当たり前じゃないですかというように答えるフィアだが、シキとしては心躍らせるにはいられない要素であった。やっぱり異世界に来たなら、ほら、竜や剣ときたら魔法も外せないワードだと思うわけだ。異世界と思わしき場所に来て、たとえ自分が一度死んでいようとも、少しは期待してしまうピュアな少年心は残っているのだ。
ただ、その魔法の内容は多少なりとも想像と違っていた。
魔法とは属性魔法、つまりは自然を扱うもののことらしく、そこまで万能の産物ではないらしい。
特に、よくある精神系の魔法や、肉体強化系の魔法は存在すらしていないのには驚いた。魔法とはあくまで自然を取り扱う手段であり、使い手自体が珍しい映像魔法は『水映』、通信魔法は『風鳴り』といったように呼称され、属性を利用した上で成り立っているのだと後に知ることとなる。
生活で使う魔具は世間的には普及しているのだが、魔法武具に関してはまだまだ開発途上らしい。そもそも魔法を常時発動しつつ、更に人を殺傷せしめる程の魔法と衝撃に耐え続け、纏い続ける素材自体が少なく、その上それを武器状に加工する技術など、あげればあげるだけの課題が山積みなのだとか。
「それじゃあ、さっきのは魔法じゃないのか?」
「多分……違うものだと思います。そもそも私、魔法の素養なんてないからもし魔法を使えたとしても自傷すると思うし」
魔法とは属性を操る方法にしか過ぎない。そのため、放った魔法を操る魔力が足りず、自身を傷付けることだってごく普通にありえる。そこら辺もまた、魔法武具の課題の一つらしい。
そんな会話をしていると、吹き飛ばされた男が「ごほッ!」と吐血しながら意識を取り戻した。こちらを見遣ると、恨み言のように言葉を吐く。
「くそッ……やはり竜具は回収されていたのか……ッ」
「竜具? そんなものはなかったって話じゃなかったか?」
「うん、何もなかったよ」
頷くフィアが、それを見て男は鼻で笑う。
「はッ……自らその力を振るっておいてわからんのか……その力こそが『竜具』……お前達は竜の力を宿したんだよ……」
竜の力。
たしかに、多少はおかしいと感じていた。この身体が熟練した腕を持っていたとしても、いくらなんでもナイフで剣を破壊したり、装備の上からナイフを突き立てただけで貫けるわけがなかった。
あまりにも自然に行い、当たり前過ぎて気付けなかった。
「……お前らの振るう武具、身体は竜の部位と同じ力を持つ……ははは……ただの剣で竜が殺せるわけないか……くそ……――」
男は最後まで悪態をつき、静かになった。
竜具とは、人自身と扱う武具に竜の力を授けるアイテムだった。無論、回収して受け渡しなどできない。遺跡の奥に辿り着いた時点で、彼らは身に付けていた。
人には竜のような強力無比な身体を有してはいない。竜のような爪も、竜のような尻尾も、竜のような鱗も持ってはいない。故に、装備した。爪の代わりに剣を、尻尾の代わりに槍を、鱗の代わりに鎧を。
ありとあらゆる物を駆使して、身に付けた。
シキがナイフを扱うように、フィアが手足を振るうように、そしてそれに呼応するように、その力は発揮された。
「つまり、竜具は回収されていた……俺達が生き返ったのもこの竜具の力か……?」
一度死ぬことが竜具の発動条件なのか、はたまた発動していたのかはわからない。ただ、竜具を手に入れ、その力が発現しているのは紛れもない事実なのだろう。
シキは剣を砕いた自身のナイフを見る。
咄嗟に抜いたのは大型の片刃ナイフ。装飾のないシンプルな構造を持ち、手持ちのナイフの中でも最も手に馴染み、身体の一部と言っても過言ではない感覚がある一品。恐らく、全てのナイフがあのような威力を発揮はしないだろう。使い慣れた武器だからこそ、その威力を遺憾なく発揮できたのだと感じられた。
「たしか、竜の部位と言っていたな」
竜の部位、つまりは爪や鱗ということだろうか。ただ、シキは自身の竜具の見当はもう付いていた。いや、意識した途端に、これだという確信が生まれていた。
剣を砕いたときの感触、鎧を貫いたときの鋭さ。それは……
「……牙」
竜の牙。爪が引き裂くためにあるなら、牙は砕き、貫くための箇所だろう。敵と戦うために使うだけでなく、獲物を喰らうための器官。
自身の竜具がわかると、今度はフィアの竜具が気になってくる。
あれ程の力を見せ付けられたのだ、気にならないはずがない。
「フィア、自分の竜具がどの部位かわかるか?」
「うーん……」
シキは何となく見当が付いたが、フィアのは普通の部位とは何か違う気がした。
元々の肉体の素養に加え、新たに宿った力。更に頑丈となったことか、はたまた回復力、いや、どちらも強化されているとフィアは感じていた。まるで竜そのものになったようにも思えたが、それではあまりにも強力過ぎる。あくまでも『部位』なのだ。
戦闘中のフィアを思い出す、舞うように繰り出される拳と振るわれる蹴り、肉体は敵の攻撃を弾き、傷付いたとしてもすぐに治癒する回復力。湯気が立ち昇るほどに血が滾り――血?
「なあ、いつもあんなに身体から湯気が立ち昇るもんなのか?」
「いやあ、戦いに意識がいってたからどうだろう……でも、いつも以上に身体が熱かったのは覚えてる。それで、いつも以上に無茶をしても平気だって何となくわかった」
身体が、つまりは『血』が熱くなっていた。
「血……竜の血なのか……な?」
血は部位に当てはまるのだろうか、たしかに身体を形成するものではあるが……何か違うような気がする。フィアも「そうなの……かな?」と、確信には至っていないようである。
血が身体能力を高めていたのはたしかだろう、なら、他に何があるだろうか。
「血じゃないなら……血管……骨……いや、血を流しているのは……心臓」
シキの呟きに、フィアがぴくりと反応する。
顔を上げると、フィアはわからなかった問題がやっと解けたときの子供のような、無邪気な笑顔となっていた。その反応に若干ながらも戸惑っていると、フィアは確信したように言う。
「心臓……それです! それですよ! ……それで、何で血と心臓が関係あるんですか?」
「あ、ああ、そうか。テレビもネットもないんだから普通は知らないよな……心臓はな、身体全体に血を廻らせるためのポンプなんだよ。大概の生物は心臓を傷付けられると、死ぬ」
「へー、だから私も簡単に死ねたんですね、一つ勉強になりました」
止めを刺されたときのことを例に出し感心するフィア。さらっとこちらが気になるような発言をするが、意図してのものではないだろう。裏表がないぶん、ときたまに刺されてるような気がしてならない。
ただまあ、万全の状態のフィアなら胸を刺された程度は死ななそうだなと思ったのは黙っておこう。
「ま、まあ俺も医者ではないし詳しくはわからんが、フィアが確信したのならそうなんだろう」
「はー心臓かー、そういえばバクバクしてたような気がする」
自身の胸に手をあてがい納得するフィア。激しく動いていたのだから心臓の鼓動も激しくなるだろうとも思ったが、シキが自身のナイフを握るときに感じた感触ように、きっとフィアにしかわからない感覚があったのだろう。
そう考えていると、何を思ったのかこちらを見ている。
「……なんだ?」
「ちょっと手を借りていいですか?」
何を手伝わせる気なんだと思ったが、言葉通りの意味だった。
シキの返答を待たずに右手首を引っ掴み、胸元へと手を寄せて――くっつけた。
「…………………は?」
手に伝わる柔らかだが張りのある感触。
触ったのは胸、紛れもなく胸だ。
あ、やっぱり結構あるな……いやいやいや違うだろ。
煩悩を振り払い、シキの思考は駆け巡る。転んで起きて、とにかく走る。転んでも、転がる。
何で? 何でだ? 何でこうなったんだ?
はっきり言って、お色気耐性はある方だと自負していた。だが、これは何か違う。お色気やエロティックなものではない、強力無比な何かだ。
「自分で触ってもよくわからなかったんですけど、何か違いがあると思います?」
「え、あ、そ、そそうだな、戦闘の後だからかもしれんが、ち、ちょっと熱いかもしれない」
どもりながらも何とか心臓に対しての返答をするが、「柔らかくて張りがあります」とか返しそうになる馬鹿な自分をぶん殴る。
空気の読めない、飄々としている、そんなキャラだったっけか俺は。そんな俺だったなら、「うひょーラッキー」とか「左手もいいかな?」とか最低な(思い付いてはいるこの事実)発言をするのだろう。
無理です。謝ります、すみませんでした。
俺は何に謝っているのだろうか、過去の自分、はたまたフィアに対しての罪悪感からだろうか。
ならば、こちらから注意した方がいいのだろう。そうだ、お互いのため、しいては今の俺のためにも注意した方がいいに決まっている。
「その、だな。あんまりこういうことは男性にしないほうがだな……」
「こういうこと?」
よくわからず首を傾げるフィア。
くっそ可愛いなおい。
……まずい、キャラが崩壊を始めている。
だが、自身の手がシキの手首を掴み、掴んだ手を己の胸元へ、つまりは自身の胸を触らせている。その事実に至るまで、あまり時間を要することはなかった。
「あ、心臓がまた熱く……」
ぽつりと、余計な一言を呟く。
熱気を感じた。フィアの顔は血とは別に紅く染まっていき、慌ててシキの手を放すと、恥ずかしげにこちらを見遣り、
「ご、ごめんなさい……」
と、何故か謝る。
せめて、叫んだりしながら、罪悪感的な意味でも殴るような反応が欲しかった。
なのに、その反応は反則だ。
「本当に……すみません……」
「いえ、こちらこそ……ありがとうございました」
おい、俺の馬鹿。
「あ、ありがとう……いえ……粗末なものを……」
「いえいえ……ご立派で……」
馬鹿だ、馬鹿な会話が発生している。
しばらくはぽつぽつとぼそぼそと言い合い、最終的にお互い黙ってしまった。どちらかが口を開こうとするも、言葉が続かずに、また黙ってしまう。
お互いが自身のキャラではない状況に、完璧にやられてしまっている。
わかってはいる、わかってはいるのだが、空気が読めないだけでは、どうしようもならないときだってある。この空気を打開するようなスキルを、シキは持ち合わせてはいない。過去にそんな経験がない。ない。ないんです。
焦ったり自己嫌悪に陥ったりと混乱するシキ。
しかし、妙なその空間を打ち破ったのは、予想だにしていない形でだった。
「……何見せ付けてんだ……くっそ……」
静かになっていた男――隊長が、こちらを何とも言えない表情で見ていた。
生きていたのかという驚きよりも、このときばかりは咄嗟に二人で、
「「ありがとうッ!」」
と、お礼を言ってしまい、
「お礼なんて言ってんじゃねえよ……てかハモんなし……」
更なるお言葉を頂いてしまったのだった。