治癒魔術
「……あの女の人は?」
「貴様からは、見えない場所に居るだけだ。抜くぞ」
真咲が呟くと、意外な事にスブリマが返す。
スブリマは、一方的に宣言すると、左手で足を掴みながら治癒魔術をかけつつ、
右手で一気に剣を引き抜いた。
「-っ!!」
スブリマは、すぐさま剣を投げ捨て、右手で傷口を直接抑える。
再び翼に光を纏う。
どくどくと痛みを訴える箇所に、温かな物が流れ込んでくる。
(痛みが、消えてきてる……?)
不思議な感覚だった。
輸血や点滴を受けている時のような感覚に似ているだろうか、けれどそれよりも違和感がない。
温かくて心地好い感覚が足先から広がって来る。
懐かしくて眠くなる。
強張っていた筋肉が弛緩してゆく。
(駄目だ……眠くて、目が開かない……)
真咲は、睡魔に襲われ、屈してしまった。
小さな寝息にヘルバは、真咲が寝入ってしまった事に気付く。
寝顔は、切れ長の目が閉じており眉も下がっている穏やかなもので、女性とすぐに解る。
「あれ、お姉さん?寝ちゃってる?」
ヘルバが呟くと、スブリマが何でもない事のように返す。
「……治癒魔術に慣れていないのだろう。子供が治癒魔術を受けて眠るのと同じだ」
「人間は治癒魔術をあまり受けないですもんね。起こした方が良いですか?」
翼有種の子供でも、治癒魔術に慣れていなければ真咲のように眠ってしまうのだ。
ヘルバは、真咲を起こそうかと思ったが、スブリマは首を横に振る。
「いや、元気になって暴れられても面倒だ。掛け終わったら、この家を出るぞ」
「でも……!!」
「今のサリーレを見られても、仕返しをされても面倒だ。行くぞ」
「はい……」
ヘルバが言い募ったが、族長であるスブリマに反対されてはもう言う事を聞くしかなかった。
真咲の治療を終えたスブリマは、血に濡れた手を自身の服で拭う。
そして、部屋の戸の横の影の中で蹲り、震えが止まらないサリーレの肩に手を掛けて立ち上がらせた。
「辛いだろうが、もう暫らく我慢してくれ。穢れはここでは祓えない」
「……はい」
サリーレの顔色は非常に悪い。
彼女の翼には、水色の光が薄く膜のように覆っていた。
ヘルバはその様子を見て、仕方ないと諦める。
そもそも、サリーレはヘルバを救おうとしてくれていたのだ。
そのせいで、穢れを負ってしまった。
自分のせいだと、ヘルバは申し訳なく思う。
それに、真咲にも悪いと思っている。
助けられたのに、恩を仇で返してしまった。
真咲が怒るのは当然で、サリーレに危害を加えようとするのならば、代わりに自分が受けても良い。
(だけど、その代わりに)
戦う事が出来ない自分達の代わりに、やって欲しい事があるのだ。
「ヘルバ、何をしている?」
サリーレを支えているスブリマは、ヘルバが真咲の元で何かやっているのに気付いた。
「このままじゃ辛いと思ったので、枕代わりと、書置きを……」
「余計な事はするな。お前も兄と同様に置いて行くぞ」
睨みつけられたヘルバは震えあがる。
「は、はい!すみません!」
ヘルバは、スブリマの反対側から、サリーレを支えて歩き出す。
けれど、ずっと胸に抱いている事を訊いておきたかった。
「……スブリマ様、兄は、プラトムは生きていると思いますか……」
「……生きていると思っておけ」
「……」
消え入りそうな声のヘルバに、スブリマは肯定も否定もしない返答だったが、望みが薄い返答に、ヘルバは心が重くなった。
その様子を、サリーレは無言で見詰めている。
しかし、サリーレの不安は、しだいに大きくなっていく。
「スブリマ様……私も、プラトムや姉と同じ様になるんですか?」
「そうさせない為にも、穢れを払うんだ。嫌だと思うのならば、歩を進めろ。それが、今出来る最良の対策だ」
「はい!」
のろのろとした歩みだったが、サリーレの歩みは多少速くなった。
そんな、必死なサリーレを見て、ヘルバは悔しくも思う。
(兄さんは、皆の事を守って自ら勧んで囮になったのに。
どうして、皆、兄さんの翼の色でしか判断しないの?翼の色が変わってしまったって、その人は変わらないのに!)
ヘルバは、小屋を振り向く。
もう、真咲に託すしかなかったのだ。
真咲が動いてくれるか、わからない。
動いてくれたとしても、手遅れかもしれない。
それでも、一縷の望みに縋るしかなかった。
旧10話目の改変です。