寄り添う虹
歩人の射抜かれそうな視線に怯むが、紅子は反論しなくてはいけない言葉があった。
「たぶらかすなんて言うのやめて!紫延さんはそんな事してない!!」
「お前、自覚すらないのか?」
本気で驚いた様子の歩人に、紅子は怒る。
「私は、たぶらかされてなんてない!
あの人の力に成りたいだけだもの!!」
「紅子……」
「そうですよ、人聞きの悪い。
導きの神よ、戯れが過ぎますよ」
「え?」
ぽんと、肩に紫延の手が置かれ、紅子はかっと全身が熱を持つ。
いつから居たのか?とかどうしてここに居るのか?とか、
訊きたい事は多いのだが、
紫延が紅子を自分の腕の中に囲ってしまったので、紅子は何も考えられなくなる。
「うっわ、思った以上に籠絡されてたなぁ。
もう少し早く声掛けとくんだった」
露骨に嫌な顔を浮かべ、紫延と紅子を見る歩人。
失敗したと、小さく言葉を零した。
そして、駐車場の入り口に佇む紫延から距離を取る。
「彼女をどうするおつもりだったんですか?
【未完成の世界】の連れて帰るおつもりで?」
口の端を持ち上げながら、紫延が歩人に問う。
その表情は、紅子からは見えない。
「いいや、それはしないさ。
お前達から遠ざけようとしただけだ。
ホントに、真実の女神の加護を受ける者は、
眼が良いぶん、魅了にとことん弱いよなぁ。
あの馬鹿も無理矢理連れてきたら良かった」
溜息を吐く歩人は、頭の中に浮かんだ人物に罵声を浴びせたい気分になったが、
丁寧な口調で、反撃してくるのが想像できたので止めておいた。
「で、【管理者】。
お前は、紅子をどうするつもりだ?」
「もちろん、【逃亡の世界】へと連れて行きます。
世界から逃げようとしている者を救い上げるのが私達の役目ですから」
「役目ねぇ……。
で、条件は達成出来そうなのか?
今の状態では、【逃亡の世界】は存続すら危うい」
「そのあたりは、我が神々にもお知らせしましたが、結論には至っておりません。
その為にも彼女が居るのです。もう少し、猶予をお与えください」
頼んではいるが、どこか余裕のある紫延に、歩人は胡乱気な視線を送る。
「いけしゃあしゃあと……。紅子で何が変わるんだ?」
「真実の女神は、今や巫子を通してでないと物事が認識出来ないご様子なのです。
ですから、紅子の存在は必要不可欠なのです」
「……ちっ。
真実の女神が正常ではないという報告は上がっている。
断罪神からの期限は、一月だ。
淀みを消去しきるか、移し鏡を叩き割れ。
紅子が居れば、やれるんだな?」
「御意に」
歩人は、今度は、紅子に話しかける。
「紅子、お前が向こうの世界に行くのは、必然だ。
それはどうあっても、変わらない。
だが、行った切りになるのか、帰ってくるのかはお前次第だ」
「私は、帰ってきたくはないわ」
「今は、だろ?」
「稲生紅子を、真実の女神の巫子にする旨は理解したが、
……そいつに、隠し事はしてやるな」
「……ええ、善処しましょう」
紅子から見えない位置を解っていて、紫延は笑う。
「……紅子、満帆南には伝えておいてやれ」
歩人は、触れていた柵の前で腕を振るい、空中に魔法陣を出現させる。
触れていた時にはすでに、描き切っていたのだ。
とん、と軽く地を蹴って、歩人がその中に吸い込まれるように消えて行った。
紫延を牽制している事を示すように、歩人はこの場では背中を見せなかった。
年若い神に、紫延は警戒されている。
紫延は、自分の存在をカムフラージュする為に、神気を抑え込んだ。
地味な印象に戻るが、それが効かない紅子には、紫延の存在自体が目の毒でしかない・
「紅子ちゃん、学校にこの大荷物で行くの?」
「は、はい!すぐに紫延さん達と行こうと思っていて」
至近距離からの問いかけに、紅子は焦って早口になる。
「約束は、夜なのに、こんな早朝から張り切ってくれるなんて、嬉しいな。
余り寝てないだろうに?」
「いえ、眠れなかったので平気です!」
ふふ、と雲から月が出るように、紫延は美しくも怪しく微笑む。
「あの、紫延さんはどうして此処に?」
「あぁ、虹が上がっていただろう?
あれが、私達、虹龍と兒龍だからね。
元の姿に戻って、破壊神に報告をしていたんだよ。
あの姿だと、大概のこの町の事は見渡せるんだ」
自分が、スマホで撮影していたのが、紫延と巳春だという事に、紅子は衝撃を受ける。
(そうか、だから、虹の龍なんだ……)
「そうか、その事も話していなかったね。
あの方の言う通り、話しておかないといけない事が多いね。
夜とは、言わず、君の用事が終り次第レインボウに来なさい。
焦らなくても良いけど」
「はい!」
「じゃあ、【完成された世界】最後の日だ。十分味わっておいで」
紫延は、紅子から腕を放し、背中を押してやる。
「行ってらっしゃい、紅子ちゃん。
レインボウで待っているよ」
「はい、また後で!!」
幾度も繰り返されて来た、見送りの挨拶。
けれど、今回は紅子にとっても、紫延にとっても特別な物になる。
「そう、世界をもっと視ておいで。どんなに汚い物かを」
紅子の背中に、笑みを消して紫延は呟いた。




