選定者の了解
上機嫌な紫延と、興奮気味の紅子。
辛そうな巳春に、何か思う事がある初意。
四人の表情はそれぞれだった。
「と、いっても紅子ちゃんには時間が必要だね。
明日の夜十時に、ここで待ってるよ」
「はい!」
紫延の言葉に、紅子はすぐに了承を返す。
初意は、二人の様子を見ながら、こっそりと飼い主と犬のようだと思う。
自分も、紫延には何一つ敵わないし、尊敬はしているが、
ああいうところは少し好きになれないのだ。
初意が、巳春を心配気に見やると、巳春は悲しそうに笑っていた。
それを、紅子は知らない。
すっかり暗くなってしまった。
レインボウの扉を初意が開けて、紅子が出る。
けれど、初意は紅子を止めた。
「紅子、お前、良いのか?
俺たちと来て……」
「なんで?あんたも行った方が良いでしょ?
嫌なの?」
明らかに不機嫌になった紅子は、初意を睨み付ける。
その視線に初意は怯むが、すぐに否定した。
「そうじゃない!……はっきり言って、来てくれた方が嬉しいよ。
けど、お前は元々人間なんだ。
普通の生活なんてなくなるんだぞ!」
声を荒げた初意に、紅子は顔をゆっくりと下げる。
長い髪で表情は初意には、解らない。
ぼそりと、低い声で紅子は言葉を零す。
「……私にとって、普通の生活なんてなかったわ」
「紅子……」
「母親には、献上品として他人の子供に差し出されるし、
その子供には、言う事聞いてくれないと自殺してやるって毎回脅されるし、
姉は自分の事しか考えてないし、父親なんて家庭に関わろうとしないし、そもそも帰って来ないし、
母親は、気持ち悪いし!」
そこまで一気に言い切ると、紅子は顔を上げる。
初意に向って叫ぶように声を張っているが、
本当に向かって言いたい相手は、違う。
それは、解っている。
そして、解っている事はもう一つある。
「私には、普通なんてなかったの!!
母親がさらにおかしくなったのが、私の眼のせいだなんてとっくに気付いてる!
けど、それだって、私のせいじゃないもの!!
私が、望んだわけじゃないのに!!」
この世の者ではない者を視てしまう娘に悩んだ母親は、
学生時代のかつての憧れの人に相談をした。
けれど、そこに癒しと依存を見出した母親は、
娘がおかしなものを視なくなっても、依存をしたままになった。
そして、母親がおかしくなった事で、姉も、父親も、紅子も引き摺られるようにして不和が広がった。
それを聞いた初意は、自分が痛そうな顔をして、
紅子に手を差し出した。
初意も、意を決したのか、吹っ切れたように紅子にこう告げる。
「……紅子、悪かった。
行こう、【逃亡の世界】へ。
そんな理不尽は捨ててしまおう」
「……うん!」
紅子は、笑顔を浮かべ、初意の手を取った。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※
期末試験初日。
今日は、目覚めが非常に良い。
紅子は、ベッドの中で背伸びをする。
早朝と呼ばれる時間帯、さっさと制服に着替えて、姉が起きて来ない内に洗面所を占拠して、
髪も化粧も仕上げた。
そして、学校に行くには多い荷物を抱え、紅子は家を出る。
寝ている姉の顔は、昨日飲み過ぎて帰ってきたせいで、むくんで酷い顔になっていた。
父親は昨日も帰って来なかったらしい。
母親は、寝姿すらも見たくない。
昨日は、帰ってすぐに荷物を纏めていた。
こんなに楽しい荷造は、産まれて初めてだった。
全財産と、気に入りの服、下着に小物。
要ると思ったのは、それくらい。
スマホは、行く道中に捨ててしまおうと思った。
駅までの道を、ゆっくりと歩く。
真夏の早朝は、空気が澄んで涼しくて、思わず空を見上げた。
「虹……雨なんて降ってたっけ?」
大きな虹が、二重に空に掛かっていた。
二重の虹は、珍しいと思い、紅子はスマホで撮影する。
その様子は、どこか龍塚夫婦を思い出させて、紅子は顔を顰めた。
(紫延さんは、好きだけど。巳春さんは……)
けれど、紫延はこう言っていた。
『巳春は、良いんだよ。どうせ、私達は生き残り同士、番になるしかなかったのだから』と。
紅子は、その言葉を反芻する。
つまり、紫延は、巳春の事を愛していないという事になる。
紅子は、胸の中に期待が広がるのを感じる。
(私にも、チャンスがある……!)
凄く気分が良かった。
「でっかい、荷物だなぁ、紅子」
朝日の中に立って、空にスマホを向ける紅子に、声を掛ける人物が居た。
三階建ての月極駐車場、日の当たらない一階に場違いな印象の人。
艶やかな赤毛に色の白い肌。猫のような興味心の強そうな吊り目。
今日は、白のTシャツに黒い丈の長いジレ、ビンテージ加工のジーンズ、黒のコンフォートサンダルだった。
「歩人さん……」
昨日、紫延から忠告を受けたばかりなので、紅子は身構える。
けれど、それを予測していた歩人は、紅子を見て、笑い声を零した。




