逃亡の世界とは
頭がぐらぐらとする。
現実離れした現実が、現実離れした過去の映像が、紅子を追い詰める。
紅子の救いであるはずの男性は、底の見えない紫の瞳を細めている。
「助言者?真実の巫子?」
「その名の通りだよ。
僕らを助けてくれる【助言者】。【真実の巫子】は真実の女神に会ってからになるけれど、
きっと、紅子ちゃんは気に入られるよ」
紅子は、神妙な面持ちで黙る。
混乱したままだ。
だが、紫延に求められている事が、素直に嬉しく、力になりたいとも思う。
そんな紅子の気持ちを手に取るように理解している紫延は、心の内で微笑む。
そして、困った表情を作った。
「僕らも、急がないと【追跡者】を【未完成の世界】から送り込まれてしまうからね。
その対策をしなければ」
「【追跡者】?」
「彼が、言っていただろう?
『こちらの介入もアリだ』と。あれは【追跡者】を送り込んでくるという事だよ。
【追跡者】もその名も通り、せっかく逃げて来た者を捕まえては【未完成の世界】に連れて行く役目の者達だよ」
「なんでそんな事を?」
「彼ら、【未完成の世界】は【逃亡の世界】を作り上げた【真実の女神】【破壊神】の元々いた世界なんだ。だから、彼らは逃げた神々の代わりに、逃亡の世界へと逃げて来た者を捕獲して連れ帰るんだ」
「そんな勝手な!」
「そう、勝手だ。その傲慢な態度だからこそ破壊神と真実神が見限っても、
彼らはそれをやめようともしない。
昼間の彼、あれは、【未完成の世界】の導きの神だ。関わっては駄目だよ」
「神?歩人さんが?」
歩人の顔を思い起こすが、綺麗な顔をしていたが、人懐っこく気安い印象を抱く。
あんな人が、神だと聞いても、紅子はピンと来なかった。
けれど、紫延は首を振る。
「名前を出すのも駄目だ。それは真名ではないけれど、彼に感知されてしまう」
紫延の真剣な様子に、冗談ではなさそうだという事が紅子にも解った。
「そしてね、烏山さんの息子さんは、私達の役目に関係しているんだ。
烏山さんは、先々代の【選定者】だったんだが、その息子さんはかなり強い力を持っているんだと、
烏山さんが自慢をしていたんだ。
今は、初意が【選定者】なのだけど、初意はそれほど力が強くなくてね。
初意では一日に一人しか異世界に運べないのだけど、その息子さんは一気に三十人は移動出来ると、
烏山さんが豪語していて、烏山さんも、多くて二十人だったから。
もし、その息子さんが私達の仲間になってくれたら、多くの人を助けられると考えているんだ」
話の途中で名前を出された初意は、バツの悪そうな顔をしていた。
力が足りていないと、言われているのだ。
それは、当然だろう。
(けど、余りにも能力の開きが大きすぎる気がする……)
「紫延さん、その話、単なるその人の息子さんの自慢話って事はないですか?
もし、鯖よんでたり、嘘だったりしたら……」
大げさな息子自慢だったら、初意が余りにも不憫だ。
少し、むっとしながらも紅子は言うが、紫延は首を振った。
「大丈夫だよ。
烏山さんは、『真実の女神に誓って、うちの息子の能力は素晴らしい。一気に三十人は人を運べる』と言ったんだ。
私達、【逃亡の世界】に属する者達にとって、真実の女神に誓う言葉は最も重い。
それに、嘘ならば、アレが来てしまうからね……」
言葉の最後は、音量が小さく、紅子の耳には届かなかった。
「【選定者】はその者が抱える悩みを吟味して、移動するに相応しい人物か見極め、
移動させる者の事。
選定者になる者は、空を飛ぶ為の翼や海を移動する為のヒレを持っている者が選ばれ易いんだ。
さっき、紅子ちゃんが言っていたでしょう?
『その男の子も、背中に黒い翼があって』って。
烏山さんは、鴉天狗だったんだ。
その息子さんも鴉天狗か、あるいは何か違う生物か。
けれど、いずれにしても羽付きだ。
移動の為の能力は高いはず。
だからこそ、烏山さんの息子さんを探しているんだよ」
「そうだったんですか……。じゃあ、あゆ……あの人はどうしてその息子さんを……?」
「私達に、一気に運ばれたんじゃ、困るからね。
それと、彼の力も利用しようとしているのだろう。
【未完成の世界】はいつでも人不足だから」
「【未完成の世界】はずっと戦続きなんだ。
人間と神々が争っているんだよ。だから、いつでも戦力不足。
兵士を調達する為に、逃亡の世界の者を連れ去ってはむりやり戦わせるんだ。
許せないだろう?」
「はい……!」
なんと理不尽な事だろうと、紅子は思う。
理不尽な目に遭って来た紅子は憤る。
他人に行動を強要される苦しさは、紅子は二度と味わいたくない。
それを強要してくる者も、許せないのだ。
「それを止める為にも、紅子ちゃんには、真実の巫子になって欲しいんだ
そうすれば、君の目は幼い頃よりももっと広い範囲を力を制御しながら視る事が出来る。
烏山さんの息子さんを探す為にも、是非、私達に協力して欲しい」
紅子に向き直って、紫延が真摯な表情で伝える。
「は、はい!」
ほぼ、勢いで口から滑り落ちてしまった言葉だが、紫延の目が珍しく大きく見開かれている。
こんな様子の紫延は始めて見た。
「本当に!?良いの?」
「……は、はい。お世話になってる紫延さんからの頼みですから」
自分の頬が熱い。
恥ずかしいと感じたが、珍しく興奮気味の紫延を眺めていた。
紅子の不躾な視線に気付いているが、紫延は紅子の頭を撫でた。
「ありがとう、君なら、そう言ってくれると思っていたよ」
ご褒美として笑顔を贈る。
紅子は、大きな手の感触と目を細めた紫延に見惚れていた。
その様子を見て、巳春は目を背けて胸を押さえ、初意はさらに溜息を吐いた。




