二匹の龍と天馬と
「その男の子は、烏山樹さんの息子さんだろう。
養子が居るとは貴意ていたんだけど、今や行方不明となっていてね。
私達も探しているんだ。
昼間の彼も、大方、その息子さんを探す為、こちらに探りを入れてきたのだろうね」
巳春も、初意も頷く。
三人も、会ったばかりである歩人も、からす庵の息子を探しているのはどうしてだろうと、紅子は思う。
「あの、皆さんはなぜ、その人の事、探しているんですか?」
「心配だというのもあるの。一度も会わせて貰った事はないけれど、
恩人の大事な息子さんだもの。探して、どうにかしたいのよ」
巳春が答えるが、彼女は本当に心配しているようだった。
けれど、言葉に含みがあった。
「心配だというのもある」と言ったのだ。「も」とは何を含んでいるのか。
紅子の疑念を察したらしい、紫延が微笑を浮かべながら、紅子に向き合う。
「ねぇ、紅子ちゃん……私は何に見える?」
「え?」
ぎしりと、紅子の座るソファに両手をついて、紫延が怪しく声を掛ける。
自然と見上げる形になる紅子は、その距離の近さと、一変した紫延の雰囲気にどきりと身が竦んだ。
紫延の身体の間から、巳春が見えたが、巳春は目を背けて、こちらを見ないようにしていた。
妻である彼女は、夫が、他の女に近寄っても、止める気はないらしい。
紅子は、違和感を覚えるが、その事に意識を向けていた事を紫延に悟られてしまう。
「巳春は、良いんだよ。どうせ、私達は生き残り同士、番になるしかなかったのだから」
耳のすぐ側で、思わずぞくりとする低音で囁かれて、紅子は動揺する。
「さぁ、私は何かな?」
眼を合わせると、やはり、その瞳は紫色だった。
濃い、飲み込まれそうな、深い紫。
所有者が殺し合い奪い合った宝石のように、抗いきれない魅力を持つ。
そこから目を放せない紅子を嘲笑うかのように、
紫延は紅子の前に右掌で、紅子の目の前を隠してしまう。
そして、ゆっくりと口の端を上げながら、掌を下げた。
「!?」
紅子は、余りの衝撃で思わず、胸の前で手を組み、防御態勢を取ってしまう。
本能的な恐怖、知らずがたがたと歯の根は合わず、体も震える。
目の前に、大きな龍が居た。
『ははっ、そんなに驚いてしまうとはね』
頭に直接響く声は紛れもなく、紫延のもの。
白い鱗に、所々紫色の鱗が入る、神々しく雄々しい龍。
『仕方がありませんよ。人間にとって龍は神と同格なんですから』
初意の声の方向を見ると、赤い体躯の天馬。
その横には、白い鱗にオパールのような輝きを持った艶めかしい龍。
耐えられなくて、ぎゅっと強く目を瞑る。
すると、大きな掌がぽんと、紅子の頭を撫でた感触がした。
さらに、その手は紅子の髪を撫で続ける。
そろそろと、顔を上げた紅子は、人間の姿をした紫延と目が合い、脱力した。
「ふふ、怖がらせてごめんね?徐々に慣れていこうか、私達に」
「……なんなの、なんなのこれ!?」
感情の振幅についていけなくなった為か、泣きたいと思っていなくとも、勝手に涙が流れた。
紅子は、混乱していた。
そんな紅子に、ふっと意地の悪い笑みを浮かべて、潜めた雰囲気を取り払った紫延は、
紅子の隣に腰を掛けた。
「私達はね、絶滅仕掛けている動物と同じなんだ。
元居た世界には、私と同じ種類の龍は、巳春しかいなかった。
逃亡の世界という世界に逃げて、私達はその世界の神から役目を貰ったんだ。
私達と同じく、その世界の理に縛り付けられて、何もかも身動きが取れなくなってしまった者を、
別の世界に逃して、自由にするのを手伝う役目なんだ」
「別の世界?」
「紅子ちゃんが産まれたこの世界を私達は【完成された世界】と呼ぶ。
そして私達が拠点としているのが【逃亡の世界】と呼ばれている世界なんだ」
揺蕩う珈琲の香りも、この電球のオレンジ色の照明も、いつもと同じ。
なのに、今までとは全く違う雰囲気の会話。
とても、信じられないが、これを否定してしまえば、
自信の小さな頃の辛い記憶も、存在自体も否定してしまう事になる。
それに、紫延の話す事ならば、真実であるに違いないのだと、紅子は確信しているのだ。
「私が逃亡の世界の管理を、神から委託されて行う【管理者】
初意が、どの者を逃がすかを決めて連れて来る【選択者】
巳春が私の補助を行ってくれているんだ」
だから、いつも三人一緒なのだと、紫延は苦笑した。
そして、紅子に紫色の瞳を向ける。
「そして私はね、君に是非、私達と共に来てもらいたいんだ。
【助言者】として【真実の巫子】として」
紅子が、紫延を信用しているというならば、
紫延は、紅子が必ず言う事を聞いてくれる『良い子』だと確信しているのだった。




