『絵本の天使様』
幼い頃、両親に連れられて週末は必ず教会に行っていた。
母は、明るくひょうきんで可愛らしい人。
父は、冷静だが優しかったと真咲の記憶にはある。
二人は、真咲に眠る前に絵本を読んでくれたのだ。
クリスマスを題材にした絵本だった。
人の優しさを信じられない主人公に厳しく罰を与えた天使。
銀色の髪の天使がとても怖く思えたが、両親はこう言ったのだ。
「真咲、この天使様はただ厳しいだけではないんだよ」
「そうよ、この人の為を思って、わざと厳しくしたのよ」
「なんで?」
怖い人の事が、良い人とはどうしても結びつかない真咲はよく解らなかった。
「人の事を本気で叱る事の出来る人は、愛があるから出来るの」
「あい?あいってなに?」
「まだ、真咲には難しいかな」
父が困ったように微笑すると、母が小さな真咲を抱きしめた。
「そうねぇ、母さんと父さんが真咲の事を大好きな気持ちと似ているものよ」
「真咲は、父さんと母さんは好きかな?」
「だいすき!」
「天使様も、この主人公の人に対して同じような気持ちなの」
「なのにおこるの?」
「だからこそ怒るの。きちんと周りを見てほしいから、他の人にも優しくなれたら、この人も救われるから。ほら、最後のページ、皆がとても幸せそうでしょう?」
母が見せた物語の最後のページは、登場人物が皆、笑顔で集まっていた。
「うん!」
「真咲も、愛を持って人に厳しく、優しくしてね」
「うーん?がんばる!」
まだ理解はしていなかったが、その時の記憶はずっと真咲の根底にある。
生きてきた人生のほとんどが、忘れたい思い出したくない記憶だとしても、この記憶だけは大事だった。
大事だからこそ、こんな、自分を殺してみすぼらしく生きている毎日の中で思い出したくはなかった。
大事な、大切な思い出までも、砂埃や血で塗れて穢されてしまいそうで、嫌だった。
幸せな日々の中で、思い出すのならまだしも、こんな悲鳴と怒声の起こる場で、しかも、絵本の天使と似た翼有種をこんな目に合わせているなんて許せなかった。
真咲は、腰の細身の剣に手を伸ばし、鞘から抜いた。
自分が、何の得にもならない事をしようとしている事は解っているが、
驚くほど、頭の中は冷めていた。
真咲を突き動かすものは、大事な思い出を穢されたくないという思いだ。
だからこそ、『絵本の天使様』も、翼有種達も穢されてはいけない。
他の物がどうなろうと関係ない。
自分の事すらも。
守るものは過去で、今も、未来もどうでも良い。
「お前ら、翼有種から手を離せ」
抑揚の無い声で、真咲が言い放つと男達は目を剥いた。
「はぁ?手柄を独り占めしようってか?!」
「手柄はどうでも良い。お前達のような屑を見たくないだけだ」
「小僧、何考えてやがる?」
男の一人が真咲に向かって酒瓶を投げつけるが、難無く真咲は避ける。
真咲に今朝、話しかけてきた男の酒瓶を違う男が奪ったのだ。
奪われた本人は、困惑していた。
真咲が、挑発すると男達は翼有の少女から離れて、真咲に刃を向ける。
「何?おれの力おっさんから、聞いてないの?」
「はっ!何ぬかしてやがる!」
正面の男が切りかかってくるのと同時に、もう一人が右斜め上からの袈裟斬りをしてくる。
再び避けた真咲の両上腕に手の平ほどの大きさの蒼い魔法陣が浮かぶ。
それも一瞬。
それで、真咲の体は変化する。
剣で左から右へと払い、二人の刃を弾いた。
剣筋よりも力技の払い方だ。
けれど、この場には正しく剣術を習った事のある者は居ない。
だからこそ真咲の力が発揮出来る。
そのまま刃を返し、右から斜め左へと斬り払う。
刃は、右に居た男に深く入り、正面の男には浅く入った。
「くそっ!」
正面の男が、再び剣を振り下ろし、真咲は自分の剣の刃で受け止める。
先ほどよりも重い力が掛けられる。
そこに、右の男が刃を塞がれた真咲に斬りかかって来る。
刃は、真咲の体を傷つけなかった。
真咲が男の手を左手で掴んでいたのだ。
掴まれた男がぎょっとして、真咲の手を見る。
蒼い鱗に覆われ、爪は黒く長く変化していた。
鱗は、真咲の頬まで広がり、真咲の焦げ茶色の瞳も、蒼く染まる。
皮膚は硬化し、筋力が上がる。
真咲の特殊な能力は、これだった。
4話と5話を纏めたものです。