母の面影
「その翼は彼の物よね?」
「はい……」
真咲は、落ち込んだ表情で翼を胸に抱いたまま、のろのろと座り込んだ。
斐蝶は、真咲に話し易いように身を屈める。
「そんな顔しないで、確かにその翼はもう元には戻らない。
けれど、もう戻らないものとして諦めたのは彼自身だわ。
真咲ちゃんのせいではないでしょう?」
真咲は、その言葉に首を振る。
「でも、あたしがもっと早くに来れていたなら……!」
「……本当に?本当に、その翼を失くさないですんでいた?」
「っ!」
叱るような斐蝶の言い回しに、真咲は胸に矢が刺さるような痛みを感じた。
そう、たとえ真咲が幾分か速く着いていたとしても、すでにプラトムの翼は切られていただろう。
「真咲ちゃん、無茶な事をするのは人助けとは言わないわ。単なる自己犠牲で自己満足。
他人を助けたいのであれば、まず、最初に自分を助けなさい」
「自分を助ける……?」
子供のように解らないと自分を見つめてくる真咲に、斐蝶は頭を撫でる。
母親のように。
「人を助けるというのは、とても重い事なのよ。簡単に出来る事ではないの。
それでもなお、真咲ちゃんがやりたいと言うのであれば、まずは自分の事を考えて。
真咲ちゃんが倒れれば、この青年も巻き添えにしてしまうわ。
それは、駄目でしょう?」
「うん……」
柔らかい笑みを浮かべながら、優しく女神は真咲を諭す。
真咲も反発する気は全く起きず、言う事を素直に聴いてしまう。
「わかれば良いわ。いい子ね」
頬に触れた少し冷たい手に、懐かしさを感じて真咲は切なくなる。
呪術の女神に、自分の母親の面影を重ねているのは自覚しているのだが、この女神は余りにも母親然としていた。
(どうしよう。ずっと甘えていたい……)
「……斐蝶さん、甘やかしすぎですよ」
咳払いをしたカイが、斐蝶を止める。
「あら、ヤキモチかしら?」
「ちがいますよ!」
くすくすと笑いながらも、斐蝶は真咲から離れない。
一旦、真面目な表情をつくり、向き直る。
「ただの慰めにしかならないけれど……。
『呪いの大姫が命じる。血涙蝶よ、その力奪い取れ』」
呪術の女神の影の中から、一匹の蝶が出現する。
子供の頭くらいの大きさの真っ黒な蝶。
下側の羽根には目のような紅い模様がある。だが、纏う光は暗緑色だ。
身体の重さに負けるのか、ゆらゆらとゆっくりと羽ばたき、プラトムの翼に止まった。
口吻を伸ばし、翼に止まったままで羽ばたく蝶の羽根が鈍い水色に光る。
真咲が注視している最中、プラトムの片翼は砂の様に、真咲の腕の中でもろく崩れた。
蝶は、女神の手に戻る。
「おかえり。『奪い取った力は、渡す力に』」
女神の手に止まった蝶は、形を鈍い水色の光の玉に変える。
彼女は、その光を握り込み、片方の手で真咲の左手を取った。
左の小指に、濁った水色の指輪が嵌められた。
「はい。これは真咲ちゃんがつけておきなさい。
彼の為に使われる力だけど、真咲ちゃんが持っておく事に意味があるはずよ」
「わかった……」
真咲は、その水色の指輪をそっと撫でる。
ガラスのようだけど温かいその指輪は真咲の体温に馴染んだが、真咲はこそばゆさを覚えた。
(プラトムの力を、私が預かる……。
プラトムの為に使われる力を私が預かってても良いのかな?)
呆けている真咲に、斐蝶はどこからか服を取り出し、真咲の肩に掛けた。
簡素な男物の木綿のシャツだ。
「え、あ、ありがとう」
「どういたしまして。とりあえず、私達は彼が起きる前に失礼しようと思うよ。
余り同じ場所に居続けると【管理者】に目をつけられる可能性があるからねぇ。
そうだ、それと、彼には本当の事は隠しておきなさいね。
呪術の女神に助けられたと知れば、彼のデルイルとしての誇りが許さないかもしれないから」
「……そういうものなの?」
「そうよ、翼有種も有翼種も空に関係のある種族は誇り高いし、
……元々男って誇りだとか沽券だとか気にしちゃうから面倒くさいものよ」
「聞こえていますよ!」
斐蝶の台詞の後半は小声だったのだが、耳敏くカイが聞き取っていた。
「でも、嘘をついて【しらせ】に知られたら……」
「大丈夫よ、【しらせ】なんて撃退してしまえば良いもの」
「そんな事が出来るの?」
「出来るよ、また教えてあげるわ。とりあえず、彼にはこう教えておいてね」
「……わかった」
真咲に耳打ちした斐蝶は、テントから出て行く。
カイが、彼女を追って出て行くと、テントの中の明かりは消えた。
斐蝶はひらひらと真咲に手を振り、カイは頭を下げる。
斐蝶はカイを連れて、また花の香りのする風を纏って、消えていった。
旧26話と旧27話を編集したものです。




